https://www.yamareco.com/modules/plzXoo/index.php?action=detail&qid=5843
質問者は当時の詳細なルートを知りたいようですね。
個人的には縦走中の事件という事で、事件を知るうえで大まかなルートが分かれば詳細なルートに重要性を感じません。
それはそれとして、リンク先のウィキペディアで見られるルート図は地図からルートを引いたと思われる線です。
地図とルート図を組み合せればルートの検証が可能でしょう。
資料は判決資料しかありません。ルート図(ウィキペディアより拝借)と昭和7年発行の地図で検証します。
GIMP(画像編集ソフト)を使用します。GIMPの使い方は分かりません。適当です。
窓の杜:「GIMP」無料で高機能な画像編集・処理ソフト
https://forest.watch.impress.co.jp/library/software/gimp/
地図のレイヤーとルート図のレイヤーを組み合せます。
微妙に位置関係が合いません。ルート図のレイヤーを伸縮して調整。
違和感のない地図を作成できました。
作成した地図によるルートの検証結果は下記のとおり。
問い (1) 5/16の、落合から笠取山までルートは、どのルートを通ったか?
答え 落合から一ノ瀬高橋まで林道、林道がなくなるので登山道で野沢峠へ。その後、笠取小屋から笠取山の捲き道(縦走路?)。
※野沢峠でなくて、途中から緩い尾根を登り野沢峠の北に出たと思われる。(ルート図と縮尺が正しければ)。
問い (2) 5/17の、笠取小屋から将監峠までのルートは、唐松尾山の頂上を通るルートか、巻道ルートのどちらを通ったか?
答え 捲き道ルート(縦走路?)。ルート図でも笠取山と唐松尾山の山頂を踏んでいない。
問い (3) 5/18の、六ツ石山〜氷川駅(現奥多摩駅) のルートは、石尾根か、ハンノキ尾根か、山の神尾根か?
答え 裁判に必要ない情報なので、ルート図に記載されておらず不明。
以上。
下記で地図(昭和7年発行)をダウンロードしてご自分で検証なさると良いと思います。
Stanford Digital Repository:1:50,000 chikeizu(三峯)
https://purl.stanford.edu/jn819vp4068
Stanford Digital Repository:1:50,000 chikeizu(丹波)
https://purl.stanford.edu/nf409vf7651
地図の印刷についてはこちらを参照。
画像編集ソフトで加工すると#2と#3の写真ぐらいには見やすくなります。
saitama-nの日記:大日本帝国陸地測量部が作成した地図をコンビニのマルチコピー機で印刷する(画像加工)
https://www.yamareco.com/modules/diary/148886-detail-214888
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