![]() |
山行記録でも出没しているので有名な爺様のようです。
偏屈な爺様嫌いじゃありません。
偏屈になるには何かしらの理由のある方がほとんどです(山の場合ね)。
昔は通り抜け可能だったけど、今は駄目というパターン。
考えられる理由。
役場の人間と喧嘩(通行料で役場ともめた。整備してくれると言ったのに整備してくれない。一方的に指定自然公園にしますからと言われたりと)。
ゴミを捨てられたりと嫌な思いをした。
登山者がうるさい。
私有地をお持ちの方には大事な土地なのに登山者は私有地を大事にしない。
等があると思います。
でも一番はコレじゃないかしら?
寂しいので人を叱りつけてコミュニケーションをとる。
寂しがりなんだよね。今か今かと登山者が来るのを待っているわけだし。
ある意味生きがいでもあるのかしら?
そんな事を考えると偏屈な爺様嫌いじゃないなあと思います。
子供の頃はその家の前を通過しただけで怒鳴るランニング姿のオッサンがいました。
その頃を懐かしく思い出します。
自分も早く偏屈になりたいなあ・・・(え、もうなってるって!?)。
saitama-nさん、おはようございます。
ご指摘の日記ですが、写真の『「罪金」参万円』に異様なオーラを感じました。立札の小さな三角屋根は、自分自身の主張に対する強固な確信を示しているようですね。
この土地所有者と称する方は3万円徴収できたことはないでしょう。日帰りのハイキングコースに現金3万円持ってくる人なんでいないから。「千円」ぐらいにしておけば、鬱陶しいので渡す人がいるかも知れません。
日記を拝見してあれっと思い林野庁の森林計画図を確認したら、お寺の境内地らしき所以外は案の定「国有林野」でした(この辺の根拠は日記にコメントを書かせていただいています。)。
わざわざ森林基本図まで調べでコメントを書き込むこの私も、相当偏屈なジジイかも知れません。
断言はできないものの実は国有林野だったとすれば、「罪金請求」のご主張には相当複雑な事情があるのでしょう。その具体的な事情は知る由もないのですが。
おっしゃるように「寂しい」とか「ある意味生きがいでもある」というのは的を得ていると思います。自分の言い分が理解されない→より強く主張する→ますます孤立する→理解を得たいとさらに強く主張する→一層孤立して・・・・ということでしょうか。
写真の立札が緑藻か何かで黄緑がかっているのを見て、この「所有者」が生きてきたであろう孤独な歳月の長さを思い少しシンミリしました。
そして、この立札が撤去されたら、「所有者」は生きがいを失い元気をなくすのではないかと思いました。
この「所有者」の方には、なんとか登山者や世間と折り合いを付けて平穏な人生をすごしていただきたいですね。
irazuyama様。
数年前に甥っ子と夕方の公園で遊んでいたら、隣の爺様からうるさいと怒鳴られました。
子供はうるさいの当たり前じゃんと思っていたのですが、よくよくお話を聞くと、どうやら独り暮らしで寂しい様子。
爺様なりの他者とのコミュニケーションの取り方なのかしら?と思いながら公園を後にしました。
件の爺様も根底はそうなのではないかなあ・・・と。
irazuyama様のおっしゃるように爺様は登山者と折り合いをつけて下さるといいなあと思います。
一方、爺様の生きがいならそれも仕方ないのかなあとも。
少し古い情報の可能性がありますが、越沢バットレスへのアプローチや丹沢の鳥屋待沢の出会い付近も同様のトラブルに要注意です。
鶴巻温泉駅から弘法山へのハイキング道も新聞で話題になってました。固定資産税を割り引く代わりにハイキング道を設置したのに一方的に行政がその割引を止めたのが理由と書かれてました。
Kijo-Ash様。
実際に役場ともめた案件があるのですね。
地権者の言っている事が正しいとか進入禁止の罰金は違法なので支払わなくて良いとかでなくて危うきに近寄らずが一番良いかもしれません。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する