登山道を歩く通常のハイキングではなく、藪を漕ぎ崖を登り道なき山中をつき進むバリエーション山行。そんなタイトルの小説が芥川賞を獲ったというので、これは読まねば!と楽しみにしていました。
発売日前に図書館へ予約して、ネタバレを踏まないようにヤマレコ日記も他のSNSも慎重に避けながら待ち、ようやく貸し出し順番が回ってきて一気に読了。
以下、若干のネタバレを含みます。
主人公は転職して地方の中小企業に勤める30代。彼を取り巻く環境は最初から薄暗く、先の見えなさや足元の不安定さからくる重苦しい不安感に包まれています。
経営者が舵取りを誤って社内が一気に傾いていく様はとてもリアルで、現代日本を覆う暗い空気感に通じるものを感じました。
会社が傾いていく中で「自分の仕事をやるだけだ」と落ち着いた様子で言う妻鹿に、主人公の波多は「妻鹿さんは現実の危機が見えていない」と反発します。
けれど私は、そうだろうか、妻鹿はちゃんとわかっているんじゃないだろうかと思いました。
以前に読んだ本*で、田部井淳子さんが天候悪化でパーティが厳しい状況に陥った時に「まだ起きていないことを、あれこれ心配するんじゃない。しっかり足元を見て歩きなさい!」と叱ったエピソードを思い出しました。
妻鹿の言う「自分の仕事をやるだけだ」は、田部井さんの言う「しっかり足元を見て歩きなさい」と同じ意味に受け取れたのです。
妻鹿に連れて行ってもらった初めてのバリ山行で、波多が精神・肉体両面で追い詰められていく様子も、とてもリアルでした。
山で思いがけず厳しい状況に陥った時、ましてそれが”よく知らない人”に”連れて行ってもらう”行程であった時のメンタル悪化の仕方は、確かにこんな具合だろうなと思います。
肉体的にしんどくなるほどに、良くない考えはぐるぐると螺旋を描いて降下して、普段なら思いも寄らない先鋭的な場所に着地してしまう。あるある、わかると思いながら、息をつめるようにして一気に読み進めました。
数週間の病気休養を経て仕事復帰した波多が、本来の自分を取り戻したかのように見え、またバリ山行にハマっていく心境の変化を、これまたあるある、わかると思いながら読みました。
状況は変わらずむしろ悪化しているように見えるのですが、波多個人の精神状態は以前とは逆に凪いでいます。一方で山へは頻繁に出かけていく。
山へ行くのは現実からの逃避でもあり、同時に自分自身の人間性を取り戻す瞑想のようなものでもあると、私自身山へ行く度に感じることです。
最後のシーンで「妻鹿さん…!」と胸がいっぱいになりました。
妻鹿に会ったら波多は話したいことがたくさんありますもんね。でも同行したらそれは「バリじゃない」わけで、妻鹿にとっては嬉しさ半分、迷惑半分といったところかもしれません。
『バリ山行』松永K三郎著・講談社
*『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』柏澄子著・山と渓谷社
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