さきほど、テレビのバラエティ番組で「いじめ」問題を取り上げていた。
その中で現状説明として、いじめた側の保護者がいわゆる「モンスターペアレント」であり、弁護士を付けて教師に向かい「教師は警察ではないのだからそれ以上の捜査行為はするな。もしこれ以上の関わりを持つなら、訴訟で片を付ける」旨の対応がまかり通っているという現実を知らされた。それが、教師がいじめ問題からそっぽを向き、見て見ぬ振りをする素因となっているらしい。
なんということだろうか。いつから学校は、教員を単なる管理者としての存在にして、自らを客と思っている横暴な保護者の天下になったのだろう。
私は幼稚園から大学まで、外部から20数年仕事として関わって来た。有名校、あまり知られていない学校。進学校、そうではない学校。数々の取材や同行を通じ、児童や生徒達と触れ合ってきた。生徒達と共に登山したことも数多くある。
確かに、荒れている学校は存在する。生徒達のその暴力や挙動不審な事象に屈し、メンタル面で長期休暇を余儀なくされている教員が驚く程存在する事も知っている。いわゆる学級崩壊である。
が、それらの粗暴な生徒達も、外部者である私が業務上とりまとめないといけない場面でそのような振る舞いを咎めたとき、素直に応じる事が多い。頭ごなしに怒鳴るのではなく、そのような凶暴な生徒のすぐ前に立ち、口に人差し指を立てるだけで大人しくなるものなのだ。そのとき、私は一見笑っているが決して眼をそらさない。
私は最近、死の病と言われている病気に冒された。が、それがどうしたと言うのだ。険しい山で数々の逆境に耐えてきたことからすれば、苦しさは微塵も感じていない。
そのような気概で荒れた生徒に立ち向かっているのだから、生徒にしても私の眼力に鬼気せまるものを感じ取っているのかもしれない。
何も子供達に対して脅迫、強要するつもりは毛頭無い。いま、君がしている事がいかに理不尽な事か。それをわかってもらいたく、真剣かつ慈愛に満ちた眼差しで立ち向かっているだけだ。
私の息子もいじめ、もしくは無視に合い、一ヶ月程登校しなかった事があった。彼が中学校一年生の秋である。そのとき私は仕事を可能な限り調整して、毎朝息子と話し合った。しばらくは家で休養させ、気持ちが落ち着いた頃を見計らって車に同乗させ中学校に向かった。最初は保健室に送り届け、彼を笑顔で見送った後は校長室にて学校責任者と毎朝一時間話し合う場をいただいた。
山間部の学校だったおかげもあり、学校長は真摯に問題に向き合ってくれた。程なくして普通に登校できるようになったが、その頃には私は職員室では有名な保護者になっていたようだ。
我が子達が小学生の時は、進んで授業参観やその後の懇談会、音楽会などに参加した。その時の親達のかしましい事に閉口した。授業参観で児童が発表している言葉が聞き取れない程、教室の後ろでおしゃべりの花が咲いているのである。
音楽会でもしかり。せっかく子供達が練習を重ね、慣れない楽器を操って名曲を披露しているというのに、後ろではまるですずめの大群の有様である。
もちろん、私はそれらの親達の前に無言で立ち、口に人差し指を押し当てた。結果、その場は静かになるのだが、狭い世間の事、かなり嫌われていただろう。が、おしゃべりは居酒屋に行って下さい的なおせっかいは一切言わなかった。
有る意味、私もモンスターPなのかもしれない。しかし、大局を見極め、あくまでも客観的に持論を推し薦めたつもりである。
現在学校に通うご令嬢ご子息をお持ちの皆様。どうか、学校をスーパーマーケットやカーディーラーとはき違えないでいただきたい。
クレームを付ける事と、問題提起する事は似て非なるものなのだ。
sekitoriさんこんにちは。
日常生活での少数派は辛いと申しますか…
たとえ正しい行いでも、その場にいた大多数が正しくない行いをしていたなら少数派、行いが正されても少数派は異端児扱い。
大人社会、その中でも企業等々成熟した社会集団ほど、異端児の主張にも耳を傾け成長の糧とする土壌が整っているものですが。。
残念ながら異端児の生存域は狭く、多くの場合は『大人気ない』とされ、疎まれ役しか回ってきません
その異端児、いじめや暴力の対象となるのはある意味必然的な流れともいえますが、理不尽なのは正しい行いをしている少数派がその被害者となる事でしょう。
多数に巻かれ、無難に生きる手段など、教わらなくても嫌でも勝手に身に付くもの、教育者の方にはまずは何が正しい事なのかをはっきり示す道徳を説いていただきたいものです。
inakabusさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
実はワタシ、幼稚園児の頃よりずっとアウトローでした。モラルやマナーは一応遵守してきたつもりですが、人と同じ事をするのが嫌いできらいで。
相手が担任の先生だろうが、校長/教頭先生だろうが、はたまたうるさ型のおばさまだろうが、ちょっと怖そうなおじさんだろうが、意見を申してました、小学生の頃より。
天下無双の天の邪鬼、へそ曲がりだったんでしょうな。クラスで異端視されることもままありました。が、元来そんな視線は気にならない性分だったのでしょう。むしろ快感でもありました^^;
それが、今回の闘病には生かされているような気がします。三つ子の魂百まで。これからも、永眠するまで変わらないでしょう。
それでも、暖かく見守ってくれる仲間は大勢います。世の中の理不尽に対して、誰かが言わなければならない事を皆感じているからです。
嫌われ役、おおいに歓迎です。でも、山には嫌われたくありませんので、謙虚な姿勢で登ります(^^)。
おはようございます、sekitori様
私の業界でも、訴えてやると言われることがよくありますが、言う人に限って訴えない傾向があります。言われたところで、仕事の内容に変わりありません。どうぞ訴えてください、とは言いませんけれど(笑。
学校の先生も、”必要だからやっている”とハッキリ胸を張っていれば、そんなこと言われにくいのでしょうけれど、
きっと事なかれ的な人がいて”まぁまぁまぁ”・・・そんなことをいつも想像してしまいます。
政治や世間を見ていて、いつも思うのは、
振り上げた拳をどう下ろすか
このことを考えられる人が減っている気がするのです。
お邪魔しました
1955さん、コメントありがとうございます。
いますね、何かにつけ文句やクレームを付けないと気が済まない人や、いつもイライラしてる人。
すべての不幸が自分に来てるがごとく、マイナスに生きても楽しくありません。
私は、何が起きても慌てず騒がず、自分のやりたい事を楽しくやる人生を、これからも熱く実行していきます。
過去なんか、終わった事です。
あるのは、輝かしい未来のみ!
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