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ただ、ヤマレコ日記の記事は、写真は3枚までという制約がある。また、記事の中では一緒に山を旅した仲間の名前は、匿名の形にした。
そんなこともあったので、この機会に回想の山旅を北から南へと順番に並べなおすとともに、思い出の写真も記事の中に織り交ぜながら、
『青春の山 白秋の山 昭和の山旅を考える』というタイトルをつけて整理してみた。なお、白秋の山という言葉を付け加えたのは、人生の折々に登ってきた山も忘れ難きものだからである。
思えば、ヤマレコ日記に記事を書き連ねてこられたのも、野帳(フィールドノート)に記された山行記録と心に残る山の思い出を書き記した「山日記」のノートのおかげである。
「山日記」のノートの冒頭に、「これまで四季折々に山に登り、多くのものを得ることができた。私にとっては、山登りは単なるスポーツではなく、思索の旅であった。山登りという行為を通じて自然と人生に関して思索をめぐらすことは、これまで文字にこそ表されることはなかったが、私の世界観、人生観に目に見えぬ影響を与えてきたのだった。」という文章を見つけて、そんな思いを抱いていたのかと感慨深い。
平成・令和の山旅は、ヤマレコをはじめとする登山者プラットフォームに圧倒的なボリュームで蓄積され、誰もが、いつでも、どこででも、その世界を楽しむことができる。素晴らしい時代を迎えたものだ。
一方、昭和の山旅は、ごくわずかな例外を除いて、その時代を生き抜いてきた人間の記憶の中に刻まれているに過ぎない。もちろん、山旅には、どの時代にも通じる文化的価値を見出すことも多々あるのだが、昭和には昭和の時代の風を感じさせる山旅があるのもまた真実であろう。
お蔭様で、これまで私の拙いヤマレコの記事を延べにして3万5千人を超える方々にご覧いただけた。ご興味のある方がおられたら、お暇なときにでも「fengsan」の日記の関係記事をご覧いただければ、幸いです。
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