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カテゴリー「回想の山旅」の日記リスト
全体に公開
2025年 05月 31日 15:19
回想の山旅
憧れの黄山への道1981年 〜長江の蕪湖から麓の町へ
「桂林山水甲天下」、山水画の故郷として桂林の名前があげられることが多い。わたしも冬旅行の時に桂林で川下りを楽しみ、桂林の風景を描いた水墨画を記念に買った。しかし、山水画など中国の伝統絵画の力強い山岳美は、黄山のものである。 明代の大旅行家の徐霞客は、「五岳帰来不看山、黄山帰来不看岳」(五岳に登
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2025年 04月 21日 11:50
回想の山旅
息子と登った山 塔ノ岳 〜アルバムに残る思い出〜
息子と一緒に初めて山に登ったのは、平成5年(1993年)息子が小学5年生の時だった。 その山は、丹沢の塔ノ岳。前年に家族で大山に登っているからか、声を掛けたら珍しくついてきたようだ。 ただ、私自身は、40代半ばの働き盛り、なかなか自由に山に登る日が選べるわけでなかった。きっと5月の連休も終
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2025年 03月 20日 16:08
回想の山旅
阿蘇高岳・久住山・開聞岳・高千穂峰 〜青春の断章・九州一周旅行〜
大学に入ったものの、大学紛争の影響で授業がない。9月に入って、後期から授業再開との目途が立ったところで、自由を謳歌する最後のチャンスとばかり、18日間の九州一周貧乏旅行に出かけた。 まずは、名神高速道路の京都南インター付近に行き、ヒッチハイクを開始。三度ほど長距離トラックのお世話になって広島に
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2024年 03月 18日 21:04
回想の山旅
比良の山の思い出 〜当時の地図に喚起される山行の記憶〜
今私の手元に、昭和43年(1968年)7月に発行された山と高原地図シリースの「比良山系」の地図が残されている。 鴨川河畔から眺められる東山の山並みは、北は比叡山から奥比叡の山までで、花折峠より向こうの比良の山々はあくまでも近江の国の山であり、旅情を感じさせる山であった。ただ、京都で大学生活を送っ
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2023年 12月 19日 20:57
回想の山旅
金峯山の思い出 〜40代は忙しい、旧友とゆく山小屋泊の旅〜
40代は仕事で忙しく、山など無縁の時代だった。登ったと言えば、子どもも小学生になったので、家族そろってゴールデンウイークに丹沢の大山に行ったり、息子と塔ノ岳に登ったりしたぐらいだ。唯一の例外が、富士山を世界遺産にしようという当時としては夢のような話題が聞かれるようになった頃、仕事の縁で46歳の夏に
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2023年 08月 15日 17:01
回想の山旅
安達太良山の思い出 〜上野駅の夜行列車と伝言板〜
安達太良山は、私にとっては智恵子の故郷の山という印象が強い。 母親が智恵子のファンであったので、実家には高太郎の詩集があった。「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川。」や「阿多多羅山の山の上に毎日出てゐる青い空が智恵子のほんとの空だといふ。」といったフレーズが安達太良山のイメージを形作ってい
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2023年 05月 24日 13:13
回想の山旅
中国・泰山登山記1981年 〜天まで続く石段の道〜
1980年代初め中国の北京に語学留学した時、中国の歴史と文明の諸相を自分の目で見る旅をできるだけ沢山しようと考えた。しかし、外国人はどこにでも自由に行けるわけではなく、公安局に事前に許可をもらえば出かけることができる開放都市のリストがあった。 その中に、「泰安、曲阜」の名前を見つけた時、俄然
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2023年 01月 25日 16:47
回想の山旅
丹沢・大山の思い出 〜家族で登った初めての山〜
横浜北部の高台から見ると、丹沢山地の突端の山が大山で、その左に富士山が見える。だが、その大山も東海道線に乗って相模川の鉄橋を渡ると、実に端正な山姿を見せる。古来修験の山として畏怖されたことや江戸時代には庶民が大山講を組織して登拝したことも納得できる山容である。 古来人々に親しまれてきた大山は、関
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2022年 01月 12日 08:46
回想の山旅
北海道出張とアポイ岳の思い出 〜襟裳岬から風が吹いてくる〜
ヤマレコの山行記録でごくまれに「出張のついでに登ってみた」といった記述を目にすると、ちょっとした秘密を共有した感覚になって思わずニヤッとしてしまう。 なにしろ、かくいう私も若い頃出張の合間に山を登ったことが一度となくあったからである。 北海道のアポイ岳に登った時もそうだった。 アポイ岳
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2022年 01月 06日 14:05
回想の山旅
白根三山 〜就職の年の夏の思い出よ、甦れ〜
就職して初めての夏、仕事にもようやく慣れてきて8月の下旬に夏休みが取れることとなった。さてどこの山に登ろうか。あれこれ考えたあげく、白根三山が候補に上がった。学生時代に甲斐駒ケ岳から早川尾根を歩いたときに見た北岳の美しく、力強い山姿が、強く印象に残っていたからである。 夏休みは、3日は取れそう
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2021年 12月 18日 18:25
回想の山旅
富士山 〜遠くで眺める山に登ってみた〜
富士山に初めて登ったのは、1995年(平成7年)夏、46歳の年だった。しかし、決して念願かなってといった感じではなかった。若い時から富士は眺める山だと思ってきたからだ。 富士山の美しさは、優美な山の姿にある。しかし、皮肉なことに、その美しさ故に登山は単調な歩行となり、森林限界を越えればダイナミ
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2021年 12月 09日 20:31
回想の山旅
会津駒ケ岳と田代山・帝釈山の思い出 〜50歳、天命未だ知らずして岳友とともに〜
どういう切っ掛けだったか、もうすっかり忘れてしまったが、2000年8月、50歳の年に大学時代の山仲間と三人で会津駒ケ岳と田代山・帝釈山に登ったことがあった。 50歳といえば、孔子様の時代なら「天命を知る」べき年齢であるが、戦後高度経済成長の申し子である団塊世代は、社会人としてまだまだ忙しく仕事に
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2021年 06月 09日 09:28
回想の山旅
立山の春 室堂から剣沢、雄山へ
昭和54年(1979年)のゴールデンウィークに立山に入ったことがあった。学生時代からの山仲間のヤマレコkichichanからのお誘いである。 理学系の大学院に残って研究活動を続けていた彼は、この年の3月、ケーブルカーの運行が始まっていない立山の麓から剣御前小屋まで往復したという。目的は研究者の
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2021年 06月 02日 13:58
回想の山旅
谷川岳天神平 〜山スキーの道具を試すの巻〜
一月下旬の寒い日、新調した山スキーの道具を試そうと、谷川岳の天神平にやってきた。 ことの発端は、年末の越後の火打山で、山スキーの師匠の滑りにカルチャーショックを受けたからだ。師匠は、年齢も何のその、山頂部から天狗の庭へと続く大斜面をまるでゲレンデを滑るように、弧を描いて軽やかに滑り降りていった
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2021年 05月 26日 10:38
回想の山旅
正月の火打山 〜雪山賛歌が響く〜
新潟の火打山(2461m)は、頚城山塊の最高峰にもかかわらず、山里から優雅な山容を見ることはできないためだろうか、その素晴らしさをあまり知られていない。 雪の降り積む冬、たおやかな峰は、どこまでも白く、雪山としての風格は超一級品である。しかし、その姿をいつも拝めるわけではなく、まして頂に立てる
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2021年 04月 21日 16:47
回想の山旅
氷ノ山スキー山行の思い出
正月の妙高笹ヶ峰で山スキーの楽しさを知って、すっかり山スキー熱にとりつかれてしまった。学業の方はほどほどに、同学年の山仲間を誘って山スキーの練習をかねて近場の山に出かけることとなったのは、必然の成り行きである。 2月初め、比良山系の最高峰の武奈ヶ岳にテントをもって泊りがけで出かける。当時、北比
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2021年 04月 11日 12:37
回想の山旅
武甲山 〜ふるさとの悲しみとともに〜
暇に任せて古い資料を整理していたら、「悲劇の名山 秩父『武甲山』」という昭和53年(1978年)3月27日付の新聞記事「月曜レポ」の切り抜きが出てきた。「全身を切り刻まれて近く頂上喪失」という見出しは、ショッキングなものだ。 このルポルタール記事は、秩父の写真家の清水武甲さんが3月まだ雪の残る
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2021年 04月 03日 21:57
回想の山旅
大雪原の鳥海山 〜沈殿の日々の後に〜
大学時代の山仲間H君からゴールデンウィークに鳥海山に登るお誘いが来た。彼は前年の5月中旬にも登っていて、少しでも雪質のいい季節に山スキーを楽しみたいと考えたのだった。 2年前の同じ季節に彼と飯豊山の石ころび沢を滑り降りた爽快さを思い出して、心が動いた。もうかれこれ45年も前の話である。彼が残し
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2021年 03月 25日 10:12
回想の山旅
大峰山 〜地図に残された赤線の思い出〜
私の手元に、「山上ヶ嶽」の白黒の5万分の1の地図が残されている。昭和44年の春、大学に入ったものの大学紛争のあおりを受けて授業もなく、クラブの先輩に誘われて出かけた大峰山行の時に使った地図だ。 地図の片隅に、「明治44年測量、昭和32年要部修正測量、昭和42年資料修正、昭和43年11月発行」と
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2020年 03月 15日 20:53
回想の山旅
初めての雪山 鈴鹿・銚子谷 〜水墨画の世界が広がるの巻〜
鈴鹿の山は、落葉広葉樹の森が多い。広葉樹の樹皮は、ブナやクヌギなら灰褐色、イタヤカエデなら暗灰色、ヒメシャラなら淡赤褐色と微妙に色合い違う。その色彩の違いが素人目にも判るのは、葉を落とした冬である。それが林になり、森になると混交色となり微妙な色合いを生む。 雪が舞い散れば、一層鮮やかさを見せる
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2020年 02月 27日 21:29
回想の山旅
我が家で滑落疑似体験 〜カタクリの山での悲劇を思い出したの巻〜
山でのケガといえば、転倒や滑落が原因なことも少なくない。先日、家にいながらして滑落の疑似体験をしてしまった。 和室の天袋から物を取ろうとして、籐製のスツールから転げ落ちたのだ。具体的な状況はこうだ。床の間のある和室の天袋は半間弱(80cm)しかなく、左右引き戸でなく前開きの扉になっている。敷物
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2020年 02月 17日 13:24
回想の山旅
晩秋の薬師岳から笠が岳へ 〜昭和の貧乏学生のケチケチ山旅の巻〜
昭和の貧乏学生は、山に入る時もいろいろ節約術を駆使したものだ。その一つが、営業期間の過ぎた山小屋の冬季小屋利用である。ただ、これにはいくつか問題があった。まず、当然ながらシーズンオフなので登山口までのアプローチにバスなどの公共交通機関が期待できないことである。さらに大きな問題は、寒波やドカ雪などの
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2020年 01月 08日 15:16
回想の山旅
後立山連峰テント大縦走 〜昔の高校山岳部は半端じゃないの巻〜
私の日本アルプス初体験は、高校2年の7泊8日の夏山テント縦走だった。後立山連峰を北から南へ、平岩の七本かずらから入山し、朝日岳、雪倉岳、白馬岳、白馬鑓ヶ岳、不帰の嶮、唐松岳、五竜岳、鹿島槍ヶ岳、爺が岳、針ノ木岳、蓮華岳と踏破して、最後は信濃大町の扇沢に下りた。 テント泊の装備に食料9日間に非常
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2019年 12月 20日 19:32
回想の山旅
春の白馬岳 〜アイスバーンの大斜面はエッジが効かないの巻〜
大学生の頃、冬から春先の登山には必ずと言っていいほど幅広のショートスキーを持って出かけた。山スキーへの興味というより、雪山を登る道具としてのスキーに関心があった。 新雪や少し締まった雪の原を歩き、林間の斜面を登り、稜線から爽快に下りるには、スキーという道具は、その重さからくる負担を差し引いても
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2019年 11月 29日 18:05
回想の山旅
庚申山、皇海山と足尾銅山の思い出
皇海山に登ったのは、昭和51年(1976年)の10月だった。皇海山が百名山であったこともその動機の一つだったが、どちらかといえば足尾銅山のあった足尾山塊の山であったことや前山とでもいうべき庚申山が魅力的であることにあった。 もっとも、足尾銅山自体は、昭和48年(1973年)2月に採鉱を停止し、
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2019年 11月 06日 10:29
回想の山旅
乗鞍岳 雪洞は快適だの巻
北極のイヌイットは、冬季に狩りに出ると圧雪ブロックを使ってイグルーという一時的なシェルターを作って寒さをしのぐという。日本の山ではさしずめ雪洞ということになる。 ヤマレコのkichichanと語らって、一度積雪期の山で実行してみようということになった。 今回は、あくまで厳冬期の山の緊
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2019年 10月 16日 20:54
回想の山旅
木曽駒ケ岳と母の思い出 〜夏の稜線を南駒ケ岳まで〜
木曽駒ケ岳は、亡き母が登った唯一の山である。といっても、はるか戦前の話である。高等女学校に通っていた母は、夏休みに兄とその友人の3人で上松駅から登ったというから、当時多くの登拝者や登山者がたどった敬神の滝小屋から金懸小屋を通るルートを登ったのだろう。カメラ好きの兄の友人が撮ってくれた百合の花を胸
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2019年 10月 06日 21:37
回想の山旅
「日本百名山」の本と武尊山
深田久弥の「日本百名山」の著作を知ったのはいつの頃だったろうか。私の手元にあるのは、新潮社版の布張りのハードカバーの表表紙に小さな版画が張り付けられた洒落た装丁のものだ。それを納めるために函(はこ)がついており、弓折岳側から見た槍ケ岳の写真が印刷されている。奥書を見ると、昭和39年(1964年)7
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2019年 09月 29日 10:11
回想の山旅
いざ槍ケ岳山頂へ。さて、その前に天気図でもとるか
大学生の頃、10月に燕岳から奥穂高岳までテント縦走したことがある。昭和45年(1970年)のことだ。燕岳の花崗岩の巨岩と槍ケ岳の頂上からの北鎌尾根の景観と奥穂のジャンダルムの岩が、今でも強く印象に残っている。この時もヤマレコkichichanと一緒だった。 山行記録によれば、初日は中房温泉から
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2019年 08月 28日 16:44
回想の山旅
越後の山は雪深い 〜荒沢岳惨敗、越後駒ヶ岳・中ノ岳に〜
越後の山は雪深い。その威力の凄さに気づかされるのは春の山においてである。尾根の稚木は冬の豪雪に押しつぶされて、息も絶え絶えのように感じる。腐れ雪の中で根曲りの木々の枝を踏み抜いて歩いていると、沢筋ではドドッー、ドドッーと雪のブロックが崩壊する音がこだまする。この地方では、これを「じごすり」と呼ぶこ
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2019年 08月 15日 15:09
回想の山旅
尾瀬・早春の山スキー 〜至仏山ムジナ沢を滑る〜
同じ時期に同じ山に2年連続して登ったのは、3月の至仏山だけだ。雪原の尾瀬ヶ原、雪を頂く燧岳、平ガ岳から越後三山への真白き山脈と、山頂からの景色は何もかもが絶景だった。しかも、頂から一気に滑り降りる山スキーの醍醐味は、忘れられない。 3月の春分の日前後の至仏山は、幸い2度とも雪が安定していて雪質
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2019年 07月 28日 13:21
回想の山旅
剣沢の一夜 〜北アルプス初心者のはまりし罠〜
北アルプスには、高校の時に一度だけ後立山連峰をテント縦走した経験があった。その時は、連日天気がすこぶるよく、夏山を満喫した。このビギナーズラックというべき経験が、心の中に夏山に対する慢心を生んだのに違いない。それを教えてくれたのが、雨風吹き荒ぶ剣沢の一夜である。 大学1年の夏休みの話である。中
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2019年 07月 10日 15:29
回想の山旅
十勝岳・旭岳・流氷の海 〜雪の降り積む〜
3月初旬の十勝岳の中腹でのことだ。雪の結晶の氷片が天から紺色のヤッケに舞い降りる。その結晶は、目にも鮮やかに明瞭で、乾いていて、どこか堅牢さをも感じさせる。ピンセントでつまめば、掌にのせられるような気持がした。子どもの頃、珍しく空からちらついてくる雪をいくら観察しても、牡丹雪は黒い布地に付着すると
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2019年 06月 29日 11:17
回想の山旅
比叡山・雲母坂の思い出
比叡山は、何と言っても最澄が開いた延暦寺の山である。ケーブルができようとハイウエーが通ろうと例えスキー場が設けられようと、俗なるものを超越して今も変わることなく「聖」を保ち続けている。京都側から見ても、琵琶湖側から見ても実に存在感を感じさせる山容であるが、私には琵琶湖側からの山容の方が、どっしりと
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2019年 06月 19日 22:30
回想の山旅
朝日岳から以東岳に 〜ブナ原生林に魅せられて〜
ブナの森の魅力は、四季を通じて変化する落葉広葉樹の美しさである。私が初めてブナの森の美しさを知ったのは加賀の白山であった。原生林として残っているブナ帯は、標高1000mから1600m位までだから、標高を知る目安ともなる。初めての山に入るとき、山の風格をなす地質的な特性とともに林相の変化が楽しみとな
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2019年 05月 28日 13:35
回想の山旅
伯耆大山 〜ジャコビニー流星群1972出現せず〜
ジャコビニー流星群を観測でできるまたとない機会が到来したとのニュースが全国を駆け巡った。昭和47年(1972年)の10月9日午前1時に流星群の軌道が地球に最接近すると考えられたからだ。しかも、世界的にみても日本の夜空は観測に好条件だという。 これは是が非でも、夜空に無数に出現する流れ星を見に行
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2019年 05月 18日 13:54
回想の山旅
はじめての山 鈴鹿・釈迦が岳 〜経験がないとは、恐ろしいの巻〜
鈴鹿山脈の竜が岳の南面から入道が岳あたりまで、鈴鹿花崗岩が織りなす山や渓谷は白く美しい。釈迦の寝姿に似るとされる釈迦が岳(1091m)は、御在所岳と並んでその中心的な山と言っていい。私にとっては、初めての山として忘れがたい山でもある。 その登山口の朝明渓谷に初めて行ったのは、昭和41年(196
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2019年 05月 10日 20:01
回想の山旅
甲斐駒ヶ岳 〜早春の早川尾根をたどりオベリスクへ〜
昭和47年(1972年)4月に甲斐駒ケ岳から早川尾根を縦走し鳳凰三山を目指した。この時期にアルプスの稜線を歩くのは初めての経験だった。春山への大いなる期待とちょっぴり不安が入り混じった心の状態を見透かしたかのように、春の嵐が吹き荒れて、出発を一日延ばすこととなってしまった。 名古屋からは夜行列
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2019年 04月 27日 12:24
回想の山旅
十文字峠越え 〜里程観音の祈り〜
民俗学者の柳田國男によれば、峠への道には「水の音の近い山道」と「水の音の遠い山道」があるという。前者は、川筋を外れまいとするので、何度も谷水をわたり、最後に急に険しい上り坂になるが、後者は、麓に近いところが険しい道となり、時に桟道やそば道をいくことになる。これを峠の表裏と呼んで、独特の分析をしてい
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2019年 04月 25日 22:38
回想の山旅
秋の白山行 〜合掌造り集落から念仏尾根〜
合掌造り集落は、平成7年(1995年)12月に「白川郷・五箇山の合掌造り集落」として世界遺産に登録されて、今では多くの人の知るところとなった。その機能美は、昭和10年(1935年)に白川村を訪れたドイツの著名な建築家であるブルーノ・タウトが夙に絶賛したところである。 19世紀末には1,850棟
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2019年 03月 25日 20:42
回想の山旅
七面山 〜木喰上人のふるさと丸畑から〜
富士は、言うまでもなく日本一高い独立峰である。その姿は、南アルプスはもとより、遙か北アルプスの頂からも目視することができる。しかし、その富士は何か小太りした富士であることが多い。それでも、富士の姿を指呼し得た時は、他の山とは違った特別の感慨が頭をよぎるものだ。いったい人を引き付けてやまない富士の魅
11
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2019年 03月 21日 21:00
回想の山旅
御座山 〜南佐久の奥山にて〜
日本二百名山が深田久弥氏のファン組織の「深田クラブ」により選定されたのは、昭和59年(1984)の事であるから、わたしが御座山(おぐらやま)に登ったのは、それ以前ということになる。その頃、私はしきりと地元の人に愛されているが、登山者にはあまり登られていない山に関心が向いていた。 山峡の村を訪ね
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2019年 03月 03日 21:46
回想の山旅
上州神流川から両神山へ 〜峠をたどりて〜
神流川(かんながわ)は、信州、上州、武州の国境の三国山(1,834m)を水源とする川で、利根川水系に属する。私が、神流川という名前を知ったのは、「山里の釣りから」(内山節著 日本経済評論社 1980 )であった。 この本は、題名から受ける印象と違って、ヤマメや岩魚といった渓流に棲む魚を釣る面白
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2019年 02月 19日 16:08
回想の山旅
開聞岳 〜地図の好きな少年の憧れ〜
地図が大好きな子供にとって、地図帳の最初に等高線の説明のために挿入されている地形・場所ほど印象に残るものはない。開聞岳も、等高線の説明に使われる地形・場所の一つでないだろうか。湖と海岸線の間際に等高線が同心円状に描かれている山は、容易にその姿を想像できるからだ。 地図好きな子どもの例にもれず、
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2019年 02月 16日 21:17
回想の山旅
祖母山追想 〜岡城址にて〜
城塁のような大手門を潜り抜けて桜ともみじの道をたどると、城郭の左右は河岸へと絶壁をなし、いかにも堅城の様を呈している。ここは岡城址。2つの川に挟まれた溶岩台地の最も高いところが天守閣の跡である。豊後竹田に生まれた瀧廉太郎は明治の御一新の折に廃せられた岡城をイメージして荒城の月を作曲したという。
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2018年 10月 19日 20:39
回想の山旅
飯豊山スキー山行(後編) 石コロビ沢を滑る
飯豊の山は、行ってみたい山の中でも第一級の山であった。幸い大学時代の山仲間のH君が東北の山に強い関心を持っていたので、5月(1974年)の連休を利用して残雪期の飯豊山に登ることになった。この季節、スキーを持っていくのは、登山には無用の長物で、体力的に重荷の何物でもない。しかし、そこは20代の若さで
10
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2018年 10月 11日 17:41
回想の山旅
飯豊山スキー山行(前編) 成人登拝の山 飯豊山
山形県米沢市六郷町に置賜民俗資料館という私立の博物館があります。この資料館は、遠藤太郎氏(1904〜1976)が、戦後故郷の置賜地方の伝統的な生業(なりわい)や暮らしが急激に変化し、日本らしい農村文化が急速に失われていくのを惜しみ、庶民の間で長年使われてきた生産・生活用具などの民具を収集したことが
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2018年 10月 03日 07:40
回想の山旅
御嶽山の思い出 〜山頂は、まるでガラスの城〜
木曽の御嶽山は、名古屋に生まれ育った者にとってなじみの深い山である。小学生の時、教師に連れられて東山の高台から初めて雪を頂いた「オンタケサン」を見た。高校の校舎の廊下からは冬になると御嶽山や中央アルプスの山並みが見えた。遠くから見る御嶽山は、やはり雪がよく似合う。そんなお山に出会えた日は、一日中楽
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2018年 09月 26日 08:13
回想の山旅
奥秩父の沢 入川股ノ沢・真ノ沢 夜明けの来ない明日はないの巻
奥秩父という呼称があの山深い山々に冠せられたのは、いつの頃からなのか詳らかには知らないが、秩父盆地の奥山一帯をさす名前として定着したものであろうことは容易に想像される。しかし、今日では、この山域は甲州側、信州側からの登攀が便利となり、秩父の街並みを通り過ぎ、栃本、川又といった山間の集落をたどり、山
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2018年 09月 17日 13:49
回想の山旅
奥秩父の沢 笛吹川東沢釜ノ沢 わらじが気持ちいいの巻
先月(注:昭和53年(1978)8月)出かけた滝川の渓谷美がもたらした興奮から冷めやらぬものか、夜行列車に飛び乗ってしまった。奥秩父の代表的な沢登りルートの東沢を遡行し、甲武信岳に登り、信州の梓山へ日帰りしようというのだ。 田部重治(1884〜1972)は、「秩父の山の美は、むしろ渓谷にある。
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2018年 09月 13日 14:04
回想の山旅
奥秩父の沢・滝川 岩魚なんていないの巻
今は山里に行けば、岩魚の塩焼き定食が味わえるのですから、いい時代になったものです。 岩魚は、サケ科の魚の中でも稚魚の餌付けが難しく、長く完全養殖は不可能といわれていました。宮城県の栗駒高原耕英の数又一夫氏が、苦心の末に岩魚のふ化と稚魚の餌付けに成功したのが、昭和44年(1969)。これが、日本
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2018年 09月 02日 15:59
回想の山旅
11月の塩見岳 月明かり、そして純白の世界
月明かりは、山歩きにとって実に心強い味方だ。今回の出発日も、天気予報と月齢を参考に決めた。満月が近いのだ。 京都を発って、名古屋で中央線の夜行列車に乗り、辰野で飯田線に乗り換え伊那大島に向かう。ここからバスで終点の鹿塩に行く。着いた時には、時計は既に午前11時を指していた。バス停からは、まずは
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2018年 08月 26日 11:03
回想の山旅
天気図を書く、天気図を読む 北ア裏銀座・撤退は悲しいね
山に登り始めた高校時代、天気図用紙を近くの気象台の日本気象協会支部に買いに行った記憶があります。天気図作成は、山登りの基本知識・技術でした。 最近では、NHKのラジオ第2放送の気象通報を聞いて、天気図をとる登山者はあまりいなくなったのでないでしょうか。かくいう私も日帰り登山者となった昨今では、
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2018年 08月 17日 12:31
回想の山旅
正月の聖岳
初日の出は、山で迎えると決めていた。大学1年、2年のときは妙高笹ヶ峰で、3年の時は木曽の御嶽山で拝んだ。大学最後の正月は、南アルプスの上河内岳から聖岳へ冬の稜線歩きを目指そうということなった。同行の士は、ヤマレコのkichichanである。 この時代は、山登りは夜行列車利用が常識であった。長距
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2018年 08月 05日 18:29
回想の山旅
白山〜初めての単独行〜
昭和44年に大学に入ったものの大学紛争の関係で授業が始まらない。そこで、冬になると高校の校舎からそのたおやかな姿をはるかかなたに見いだすことができた加賀白山をできる限り昔のスタイルで登ろうと思い立った。コースは福井の越前大野の鳩が湯から石川の岩間温泉に抜ける2泊3日の計画だ。 食糧は、4日分用
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2018年 08月 04日 16:36
回想の山旅
初めての山スキー 妙高・笹ヶ峰
初めての山スキーは、昭和44年の暮れから正月にかけて、大学1年生の時に、妙高の杉野沢で経験した。この杉野沢集落は、標高600メートル、妙高山の南西の裾野にあり、近くに妙高国際スキー場があった。スキー場から集落までは沢沿いに林間滑走して降りることができた。スキー場の奥には妙高の外輪山と標高1300メ
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