比叡山は、何と言っても最澄が開いた延暦寺の山である。ケーブルができようとハイウエーが通ろうと例えスキー場が設けられようと、俗なるものを超越して今も変わることなく「聖」を保ち続けている。京都側から見ても、琵琶湖側から見ても実に存在感を感じさせる山容であるが、私には琵琶湖側からの山容の方が、どっしりとしていて、この山の宗教的空間性を際立たせているように感じられる。しかしそれにも増して、京都側の比叡の姿に魅力を与えるのは、「雅さ」ではなかろうか。比叡山延暦寺そのものが、都の北東の鬼門封じとして開かれたことからうかがえるように、比叡山は初めから京都という都の構成要素の一つとして都市計画の一部に組み入れられていたといって過言ではないだろう。それは、時を経て今日に至ってもなお、京都の町と比叡山は一体となって都の景観を形づくっていることからもうかがい知れる。
以下、半世紀も前の比叡山の思い出の三題話である。
その1.月明かりの雲母坂
大学生になって初めて住んだのは、左京区松ヶ崎。京都の夏の夜を彩る五山の送り火一つ妙法の「法」の字のある山の麓の旧家の裏庭に建てられた小規模な学生向けの新築の貸家であった。したがって住人はほとんど大学1年生だったと記憶している。
吉川英治の「親鸞」は高校時代の愛読書の一つだ。その影響もあったのだろうが、親鸞聖人ゆかりの雲母坂から比叡山に登ってみたいと、入居早々からうずうずしていた。そんな入学して間もないある晩、同宿の学生の一人と比叡山に行こうではないかということで話がまとまった。それも、今から行こうというのだ。天気は心配なさそうだが、真夜中にナップサックと水筒、懐中電灯をもって出かけるのは、ちょっとした冒険小旅行だ。
いささか記憶に定かでないが、市内地図ぐらいは持ったであろうが、5万分の1の地図や登山地図は持っていなかった。果たして首尾よく登山口が見つかるか、心配の種である。二人で下宿先を出て、高野川にかかる松ヶ崎橋を渡る。高野川の流れゆく水の音が闇に響いている。月明かりに比叡山が浮かび上がっていた。
音羽川沿いにある「親鸞聖人御旧跡きらら坂」の石碑を目当てに当てずっぽうに歩いていく。どうやら、登山口にたどり着けた。
そこから、両側からえぐられたような細い急な道を登っていく。左側に鉄条網の柵が続いているのは修学院離宮との境界なのだろうか。道々には、水飲封陣之跡や浄刹結界趾、千種忠顕碑などあるはずだが、暗くて周囲の様子までよくわからない。歩くことが目的だから、そのようなことにはお構いなくひたすら登っていくと、ケーブル比叡駅の駅舎が見えてきた。ここから、適当に高い方へと道を取っていくと、四明ヶ岳山頂に着いた。
頂上は夜風が思いのほか吹いていて、寒い。仕方がないので、土産物屋か何か建物のある、風のこなさそうなところまで移動する。それでもうすら寒く。どこからか段ボール箱を探し出してきて、それにくるまるようにしてじっと数時間夜明けを待った。東の空が白々と明け染めるころには、もうすっかりしびれを切らして琵琶湖側に降り始める。下りは何のことはない、日吉大社もパスして、京阪電車の坂本駅へ。浜大津経由で京都市内に戻った。
その2.雲母坂を駆ける
雲母坂は、その後も何度か登ったが、確か山スキー合宿を控えての頃だから12月の初旬だっただろうか、数人の仲間と銀閣寺道あたりからトレーニングがてら走って登ろうということになった。今でいうトレランみたいのようなものだ。一乗寺を過ぎて、曼殊院道から雲母坂道に入る。ハアハア言いながら登っていくと、足がもう一歩も前に動きそうもない。すると、千種忠顕碑の手前で数人の学生らしきグループに追い付き、追い越されてしまった。スキー部の連中らしい。彼らは、こんな訓練していたのかと驚いたものだ。何しろ腿の太さが違う。それでも、最後は歩くようにしてどうにか頂上までたどり着くことができた。しかし、こんなチャレンジをしようとは、もう2度と思わなかった。
その3.時雨の季節の比叡山
2年次の途中から出町柳枡形を少し上がった葵橋西詰近くの民家の二階に下宿した。
京都の冬は、厳しい寒気が吹き荒れた一夜が明けると、北山の白き峰々の稜線に雪煙が舞い、肌にわずかな湿り気を感じる。そういう朝は、一瞬間ではあるが朝日を浴びて美しい虹がかかる。比叡山の方を見やると、うっすらと雪化粧をして静かな佇まいを見せている。そんな日は、頂上はどうなっているだろうかと、興味がむくむく湧いてきたものだ。
ある時、三宅八幡から冬枯れの道を登って行った。この道は、雲母坂の上部に合流する。夏よりは開放的な感じを抱かせる山道を登っていくと、時折青空を見せていた空に突如ガスがかかり、牡丹雪が舞い降りてきた。小梅のような雪片がふわっと空から湧いて出るように舞い降りてくる。思わず掌を広げ、歩を止めて空を見上げる、八瀬のケーブルの展望台まで出ると、北山の峰々に深く抱かれて、いかにも寒々とした感じの大原の里が一望できた。
比叡山の人工スキー場を横切って延暦寺に向かうと、北面の道には、やはりかなり雪が積もっていて、次第にズック靴が濡れていくのが分かる。今日は、延暦寺の境内には参拝客も観光客もいない。あまたの堂宇も木立もうっすらと雪を頂いて、霊峰比叡山延暦寺の姿を束の間取り戻したかのようである。
日が傾き、明日の天気の回復をうかがわせる頃になると、ヒシヒシと寒気が勝ってきて、雪まみれになったズックの足先が痛いように冷たかった。
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