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2019年07月10日 15:29回想の山旅全体に公開

十勝岳・旭岳・流氷の海 〜雪の降り積む〜

 3月初旬の十勝岳の中腹でのことだ。雪の結晶の氷片が天から紺色のヤッケに舞い降りる。その結晶は、目にも鮮やかに明瞭で、乾いていて、どこか堅牢さをも感じさせる。ピンセントでつまめば、掌にのせられるような気持がした。子どもの頃、珍しく空からちらついてくる雪をいくら観察しても、牡丹雪は黒い布地に付着すると途端に溶けてしまった記憶がよみがえってくる。北国育ちでない子どもの悲しい記憶である。
 この忘れがたいエピソードは、大学の卒業を控えた昭和48年(1973年)3月初旬、ヤマレコkichichanと十勝岳と大雪山・旭岳にスキーを持って出かけた時のことだった。
 以下、いささか長くなるが、当時の若者の山旅の様子がうかがえるので、北海道再訪日誌から旅のスケッチを書き写してみた。

1.上野駅から十勝岳の麓、白金温泉まで
 上野駅で待ち合わせ、23時21分発の十和田4号に乗り込む。車内は混んでいて、1ボックスに4人という席割だ。12時間の旅を考えると決して快適とは言えない。仕方がないので最新の芥川賞作家の郷静子の「れくいえむ」を読む。昼前に、青森駅に着く。ここから青函連絡船で函館に渡り、もう一度夜行列車に乗る計画なので、夕方の船便まで町をぶらつく。
 北国の駅裏の路地には、乾物や生鮮水産物を売る店が軒を並べていた。あんこうやマグロやタコ、筋子やたらこなどを商う店が何十軒も集まって市場をなしている。その市場の中を肩掛けをはおり、網でできた手提げ籠をもったおばさん方が行き来していた。我々はまずは腹ごしらえとばかりに、さくら食堂という看板の懸かった店に入った。店内はそれ程の品とも思えない掛け軸が両側の壁一面を占拠し、親父さんが薬缶でお茶をついで回っていた。この愛らしい名前の食堂は、地元のなまりが飛び交う、北国を感じさせる雰囲気のある食堂だった。
 青函連絡船で函館に渡り、23時59分発のカムイ1号に乗る。さすがに2日連続の夜行の疲れが眠りを誘い、どうにか木々を識別できる明るさを取り戻す頃までうつらうつらとした。札幌を過ぎると車窓はモノトーンの平野がどこまでも続き、白と黒の迷宮に迷い込んだ異邦人にでもなった気分だ。
 旭川から9時30分発の国鉄バスに乗って十勝岳の麓の白金温泉に向かう。白金温泉では、町営の白樺荘に投宿した。ここは、一泊500円で、温泉、薪つき、炊事道具も自由に使うことができる。鍵を預かった時、塩漬けのキノコをもらってうれしかった。この冬は、暖冬で例年より雪が少なかったのだが、ここにきて10日ほど雪が降り続いているとのことだ。

2.十勝岳でのスキー、新雪にあえなく撤退
 白金温泉に着いた午後、少し様子を見にと、望岳台まで出かけてみた。この日は日曜日だったので、多くのスキーヤーがいたが、午後3時ともなるとめっきり減った。その日もガスと雪で見通しがきかなく、スキー場の第2リフトまで行って、そこから滑って宿まで戻る。アスピリンスノーといえども、新雪の雪面は人が滑った場所を外れて傾斜が緩いところに来ると自然ととまってしまうので、あまり快適でない。
 この夜は、2日ぶりに体を大きく伸ばして眠る。非常に疲れていたのだろう、ぐっすり眠り込んでしまい、翌朝目を覚ますと午前7時だった。
 一番のバスで、望岳台まで行き、リフトを使ってスキー場の最上部まで上がる。そこからは、シールをはって登り始めるが、膝までのラッセルが行く手を阻む。例年この時期なら雪面はかなりしまっているはずなのだが、今年は毎日雪が降るから登っていくのはかなりハードなアルバイトである。避難小屋の横を更にまっすぐ登っていく。ガスで見通しがつかない中、どうにか噴煙が上っている近くまでたどり着いた。午後1時30分、雪面もアイスバーン状態になったところで、引き返すことにする。
 膝まで新雪に埋まりながらしばらく滑っていくと、kichichanのビンディングのワイヤーが切れるというか抜け落ちるというアクシデントに見舞われた。どうにか応急措置してリフトのところまで降りる。スキー場のパトロールがスキー場の最上部で我々の姿を発見して、心配したのかしばらく後をついてきた。もう午後の4時である。彼は、仕方なくリフトを利用してスキー場の下まで下り、そこからは、林間の道をスキーをつけて白樺荘に戻った。
 翌日は、昨日以上にガスがひどかったが、戦前中谷宇吉郎が雪の結晶を研究したという白銀荘の方への偵察も兼ねてゲレンデに出る。中谷は、ここで雪の結晶の写真乾板を3000枚ほど撮り、これをもとに雪の結晶形の分類を行ったという。それが現在も雪の結晶の世界的基準となっているというのだからすごい。
 第2リフトのところまで登って、スキーで降りてくる。昨晩また新雪が10cmから20cm積もったらしいが、雪が軽いからほとんど気にならない。自衛隊員が数百人ほど雪上訓練にスキー場に来ていた。物珍しさも手伝って、しばらく訓練の様子を見学した。彼らが使っているスキー用具は、前皮と後ろかかとを止める皮のみのもので、足の踵をかなり自由に挙げることができた。カンダハーに近いこの独特の金具を実にうまく使いこなして滑っていたので、感心した。そうこうするうちに、彼のワイヤーがまた壊れてしまった。
 午後の3時には白金温泉までに降りて、バスで旭川に向かう。夕食は、「北の富士」というちゃんこ屋に行って、ちゃんこ料理をたらふく食べた。
 当初はここから勇駒別に向かい、大雪山の旭岳に登る予定にしていたが、この天候では、旭岳の頂を極めるのは難しそうだ。そこで一計を案じ、夜行列車で網走にいってオホーツクの流氷を見に行くことにした。

3.流氷を見に網走に
 翌朝8時に網走着く。早速、浜小清水に向かった。浜小清水は、夏であれば原生花園のハマナスが有名なところだ。
 しかし、この時の浜小清水は、どんよりとした天気で、小雪が舞っていた。駅の裏手にある流氷の海岸にでると、そこは白灰色の世界が広がっていた。一生懸命目を凝らしても、白灰色の空と氷の流れ着いた海の境目を見極めることはできない。これでは、近くにあるトウフツ湖畔に行っても、一面の雪原が広がるばかりで、ハクチョウの飛来を確認するのは難しそうだ。ビンディングのワイヤーの件も頭の片隅にあったので、網走市内に戻り、スキー用具の店を探して歩く。幸い、ワイヤーを400円で購入できた。
 待てば海路の日和ありということだろうか、午後2時頃になると、何日も垂れ込めていた曇天の空に青空が顔をだし始めるではないか。夜の夜行列車までにはまだ時間があるので、流氷を見に常呂まで足を延ばしてみることで相談がまとまった。
 期待していた通りだ。遠軽行きの列車に乗りこむ頃には、久しぶりに気分が爽快になるような天気になった。常呂は、一昨年の夏にも来たのだが、その時はバスで真っ直ぐサロマ湖畔に向かったので、外海が駅裏近くに広がっているとは、知らずじまいであった。貨物を運ぶ蒸気機関車の横を潜り抜け、海岸沿いに常呂川に出る。河口近くは水面が見えるが、上流は氷が張って真っ白だ。シンプルな作りの海辺の家々の間をうねるように歩いていくと、流氷の海に川のような亀裂が入っており、ハクチョウを見ることができた。日が傾いてきて再び西の空に厚い雲が覆い始めてくる。雲間から漏れてくる夕日と流氷の海、簡素な海辺の家々が織りなす風景は、どこか懐かしく、心を落ち着かせる。再び網走に戻り、夜行列車で旭川に向かった。

4.大雪山・旭岳でスキーを楽しむ
 旭川の駅前から、朝の8時10分発の勇駒別行きのバスに乗る。勇駒別に着くと、少しでも天気の良いうちにと気がせいて、宿を探すこともせずにロープ―ウェーの乗場に直行した。ロープ―ウェーを乗り継いで、姿見駅まで上がってみると、完全な晴れとまではいかないが、旭岳を望むことができた。ここからは高度差600〜700メートル位である。起伏はあまりないから、頂上までそれほど時間はかからないだろうとアッタックを決行することにした。適当なところにスキーをデポし、アイゼンをつけて登る。朝早くから下から上がってきたスキーヤーは、スキーブーツにストックのいでたちで登っている。旭岳は天気さえ良ければ、簡単に登ることができるということだろうが、風が強いときなどアイゼンは必需品になる。
 1時20分ごろ山頂に着く。急いで下って、ロープ―ウェーの駅あたりからスキーを装着して滑降する。林間を気持ちよく滑っていくが、雪が軽いのには驚かされる。スキーが滑りすぎるといううわさもうなずける。
 次に日は、案の定天気が悪くなっていた。旭岳は、麓からはもちろんのこと、ロープウェーで姿見駅まで上ってもガスがひどく、その姿を見ることができない。幸い昨日山頂まで登っているので、そこは気楽なものだ。ロープウェーを使って何度も林間コースを滑り降りる。午後になると天気はますますひどくなってきたが、最終バスまで滑った。

5.懐かしの紋別の牧場へ
 旭川に出て、ここでkichichanと別れて一人夜行列車に乗る。就職すればなかなか北海道には来られないだろうから、オホーツク海の町紋別まで行って、大学3年の夏にお世話になった牧場に行こうというのだ。
 翌朝早く、紋別駅の一つ手前の元紋別駅で列車を降りた。小さな無人の木造駅舎は、最果ての地にたどり着いたような寂しさを感じさせる。そんな駅に乗客3〜4人が一緒に降りたったので何事かと思ったら、SLファンだった。旧国道を歩いていくと一面の雪原に朝日がまばゆく、犬が一匹ひとなつこそうに後をついてくる。牧場に着くと、朝の搾乳の真最中であった。
 滞在期間中に二頭の子牛が生まれた。ある朝、雌牛が生まれたというので牛舎に駆けつけると、子牛は少しよろよろしながら、もうひとり立ちしていた。
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コメント

RE: 十勝岳・旭岳・流氷の海 〜雪の降り積む〜
懐かしい記憶です。スキーのビルディングワイヤーが切れたのは鮮明に記憶していますが、この山行でのことだったとは思いませんでした。
KYOTO TOPの製品でした。今調べると以下に若干の説明がありました。
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https://www.treasure-f.com/shop/863/topics/200693/

数あるアウトドアメーカーの中で、海外製品に目が行きやすい昨今、国産のジャパンブランドも名のあるメーカーがあるのをご存知でしょうか?

特に金物系を扱ったメーカーで、日本のアウトドア産業を盛り上げたメーカーはいくつかあり、EVERNEW(エバニュー)を筆頭にMORITA(モリタ)、そして今回ご紹介するTOKYO TOP(トウキョートップ)は昭和を代表する名ブランド。

元々は町工場の金属加工からアウトドア用クッカーの製造にシフトチェンジして行った経緯はどこの会社も同じで、日本の物作りをアウトドア用品に応用した流れです。

TOKYO TOP(トウキョートップ)は、元は共和運道具製作所から1963年に、東京トップに社名を変更し、アウトドアなどのスポーツ系用品の製造・販売に変わった会社です。エバニュー、モリタと名を連ねるブランドとなります。その後、社名がNEW TOP(ニュートップ)に変わり、1989年に廃業、消滅となります。
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今思い出すとワイヤーを圧着端子状のもので輪にしておりその部分ですっぽ抜けた気がします。今考えるとセフティー機構もない素朴な構造のビルディングなので、ワイヤークリップで継いだほうが十分に点検できると思えます、当時そんな知識はなかったが。

ところで実施した年月日わかりますか
2019/7/11 0:20
RE: 十勝岳・旭岳・流氷の海 〜雪の降り積む〜
 登山用具も当時は国内企業ががんばっていたね。登山用品の変遷も面白い視点です。
 今も手元にあるピッケル(NUPURI BERCHEIL)もアイゼン(8本爪)も札幌門田のものです。残念ながら、当時使ったコッフェルやホエブス(ホワイトガソリン仕様の携帯コンロ)などは、廃棄してしまいました。スキー板もその後買い換えたものが実家にあるだけです。写真で見ると、南京竹のストックやリュックは今もあると思う。
 一度、私も、登山用品の思い出をヤマレコ日記に書くとおもしろいかもしれないね。

 なお、旅行日程は、次の通りです。
 昭和48年3月3日(土)  上野から青森へ
     3月4日(日)  函館から旭川経由で十勝岳麓の白金温泉へ
     3月5日(月)  スキーで十勝岳目指すも、途中敗退
     3月6日(火)  スキー場で滑走練習、夜、旭川から網走に
     3月7日(水)  網走、浜清水、常呂で流氷見物。夜行で旭川へ
     3月8日(木)  勇駒別から大雪山旭岳に登る。  
     3月9日(金)  旭岳のロープウェーで林間滑走を楽しむ
     その後、私は、14日まで元紋別の牧場に滞在。
2019/7/11 10:29
RE: 十勝岳・旭岳・流氷の海 〜雪の降り積む〜
愛用のホエブスは30歳を超えた当時知り合いとキャンプに行った時彼がその使用感に驚いていた記憶が残っています。当時はコールマンが徐々に主流になっていたようです。今整理していますが、見つかりません。引っ越し中に廃棄?してしまったのでしょうか。SALEWAの12本爪アイゼンは手元にありますが当時のアイゼン・KADOTA10本爪は見当たりません。当時のピッケル木製シャフトは使用に不安があるので近くの喫茶店の店主に欲しいといわれたのであげてしまいました。
当時の日本はまだ登山用品など趣味の製品の成熟度が低かったように感じています。その後ちょっとかじった渓流釣りも英国のハーディー・スウェーデンのカーディナルの繊細さにまだ達していないように感じました。
http://hardy-greys.jp/history/
https://tsurihack.com/3371
最近はモンベルなどそれなりのメーカーが出てきたのかもしれません。以下に個人が利用した製品を整理している方がおられました。
https://blogs.yahoo.co.jp/koubejyunntarou/12387472.html

ところで日程連絡ありがとうございます。
2019/7/11 11:50
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