カテゴリー「昭和の山旅考」の日記リスト
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2025年 04月 18日 17:42昭和の山旅考
私が山スキーを初めて経験したのは、昭和44年(1969年)の暮れ、大学1年生の時だった。積雪期の山登りには、大いにスキーを活用すべしとの考えだったのだろうか、妙高・笹ヶ峰でのスキー合宿の実施が決まったことが、きっかけである。
早速、クラブの先輩に連れられて登山用品店に行き、必要最低限のものを買い
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2023年 06月 14日 13:05昭和の山旅考
今年も6月15日から伊那市の戸台口から北沢峠まで南アルプス林道バスが運行されるという。令和4年は、バス運行期間中に50,735人が利用した。今年は、もっと多くの登山者たちに利用されることだろう。近年のヤマレコの山行記録を見てもわかるが、この林道バスのおかげで甲斐駒ヶ岳や仙丈ケ岳が日帰りで登山できる
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2022年 09月 02日 17:24昭和の山旅考
雪山賛歌は、若い時山でよく口ずさんだ歌だ。純白の雪山は、山を登る若者にとって何といっても憧れで、雪山賛歌はその心持をよく表していたのだった。
強く心に残る雪山賛歌のフレーズは、第5番の「吹雪の日には本当に辛い ピッケル握る手が凍えるよ」であった。ところが、雪山賛歌の本家本元の京都大学学士山岳会
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2022年 08月 26日 10:08昭和の山旅考
山で雄大な大景観を堪能した者は、一度はカメラに収めてみたいと願うものだ。私も、そんな衝撃を受けた山行があった。
しかし、山にカメラを持っていくようになったのは、大学生になってからである。初めは自分にとって挑戦的な山行の記録を残したいという思いからだったが、次第に日の出、入日が一瞬見せる神秘的な景
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2022年 07月 04日 10:15昭和の山旅考
冬ともなれば、老若男女を問わず、こじゃれたダウンジャケットを着て街を闊歩するのは、今では当たり前の光景となった。しかし、私が半世紀以上前に山登りを始めた頃は、羽毛服というものは一流の登山家ならいざ知らず、貧乏学生にとって高嶺の花、憧れの山道具であった。
初めての山スキーの合宿は、隙間風が遠慮会釈
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2022年 06月 12日 18:05昭和の山旅考
高校時代の7泊8日の北ア・後立山連峰大縦走の夏合宿中、最も楽しみなのは何といっても夕食であった。
毎日テントサイトに着く時間は、その日の行程によってまちまちだったが、着けばテント設営の一方、早々に夕食の準備に取り掛かる。
煮炊きはホエブスと呼ばれた調理用バーナーを使ったが、燃料はホワイトガソリ
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2022年 04月 29日 17:53昭和の山旅考
高校時代の山岳部の夏合宿「後立山連峰テント縦走」(昭和41年)のように7泊8日の長旅となると、お昼の食事は、荷物の重量や気候といった制約や行動食としての側面が強く出て、とかく単調なものになりがちである。しかし、この時の食糧計画を振り返ってみると、なかなか工夫がみられて面白い。
これは、「昭和の
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2022年 04月 14日 21:02昭和の山旅考
私の日本アルプス初体験は、昭和41年の高校2年の7泊8日の夏山テント縦走だった。後立山連峰を北から南へ、平岩の七本かずらから入山し、朝日岳、雪倉岳、白馬岳、白馬鑓ヶ岳、不帰の嶮、唐松岳、五竜岳、鹿島槍ヶ岳、爺が岳、針ノ木岳、蓮華岳と踏破して、最後は信濃大町の扇沢に下りた。顧問の先生やOBを含め13
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2022年 02月 11日 13:51昭和の山旅考
初めて雪山を経験した1960年代後半、オーバーシューズを履いてアイゼンやワカンをつけて登るのが普通で、ロングスパッツを選択肢として意識することはなかったように記憶している。
ロングスパッツとの出会いは、大学に入って山スキーを始めた時だった。当時の山スキーのビンディングは、カンダハーと呼ばれるタ
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2022年 02月 05日 09:23昭和の山旅考
昭和の山登りを象徴する服装スタイルといえば、ニッカーボッカーとニッカーホースに革の登山靴といっていい。
言い換えれば、ひざ下までのニッカーボッカーには、ニッカーホースと呼ばれる膝上までの長靴下が必需品なのである。
ところが、ウールの靴下は、どうしてもかかと部分やつま先が登山靴と擦れて穴が開
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2022年 01月 21日 20:55昭和の山旅考
私の若かりし頃の登山の服飾スタイルといえば、純毛の山シャツにニッカーボッカーと長靴下が相場だった。
化学繊維もあまり種類のない昭和40年代、山シャツは起毛性のある織り方をしたウールの長袖でなければならないと考えられていた。山シャツは、チェック柄が多い。汚れが目立たないとか視認性がいいなど諸説が
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2021年 11月 09日 14:19昭和の山旅考
山登りには、基本は歩くことであるから、登山靴が必須のアイテムである。これまでに6足ぐらいは履いただろうか。それだけに思い出は多い。
まずは、昭和40年代初め頃の苦い思い出から。
高校でしばらくバスケットボール部に在籍してから山岳部に入ってみたものの、このクラブは積雪期の登山や岩場の訓練
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2021年 10月 25日 19:40昭和の山旅考
山登りを始めた昭和40年代の初め頃、ヤッケは専らフード付きの防風、防寒用の上着で、雨具とは別物だった。
最初に買ったのは、綿製のうぐいす色のものだ。ヤッケとは別に雨具としてビニール製の黄色のポンチョを持て行ったから、綿だからといって機能的にそれほど不自由に感じなかった。ヤッケは、「伝家の宝刀」扱
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2021年 09月 12日 13:55昭和の山旅考
自然を愛する君へ
春は野を歩いて 草の名を覚えよう
夏は高原を歩いて 草の名を覚えよう
秋は渓谷を歩いて 草の名を覚えよう
冬は堤を歩いて 明日への息吹を知ろう
これは、若き日のノートに記されていた詩作だ。ちょっとばかり詩人気どりで書き付
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2021年 08月 30日 15:18昭和の山旅考
長い下り道を登山口まで下り切ると、言いようのない達成感とほっとした気持ちで心が満たされるものだ。
昭和の時代とは言え、山峡の集落の登山口までバスが一日何便もあるものではなく、何時間も待つことがしばしばあった。そういう時、近くの渓流でのんびりと足を冷やして解放感に浸ってみたり、木陰に身を横たえて
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2021年 08月 13日 11:41昭和の山旅考
夜行列車で山登りに行くとなると、列車の中で少しでも眠って、いやわずかでも休んでいきたいと思うのが人情である。ボーとした頭では、初日の登りがなんとも堪える。
しかし、年末や夏休み、ゴールデンウイークなどの繁忙期となると、座席の確保というより、乗るのも大変であった。それも、始発駅ならまだいい。座席
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2021年 07月 18日 09:42昭和の山旅考
マイカーなど高根の花、高速道路もほとんどない昭和40~50年代の山旅は、夜行列車を抜きにしては語れない。山の思い出は、車内の混み様、座席の確保の努力、快適な過ごし方の工夫、思わぬ忘れ物など夜行列車の思い出と強くつながっている。
日帰り登山も、夜行列車利用でなければ、まともな登山はできなかっ
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2021年 07月 03日 11:09昭和の山旅考
昭和の山旅では、手帳に記録をとるのが当たり前だった。特に、学校登山部においては、山行記録は後輩に引き継ぐべき大事なデータだった。私もそれで記録をとる習慣が身に着いた。
ところが、世の中の移り変わりとともに、デジカメの写真が記録変わりとなり、最近ではGPSアプリがより詳細な行動記録を自動でとって
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2021年 06月 16日 10:48昭和の山旅考
平成・令和の山旅は、2005年10月30日に開設されたヤマレコに圧倒的なボリュームで蓄積され、誰もが、いつでも、どこででも、その世界を楽しむことができる。素晴らしい時代を迎えたものだ。
一方、昭和の山旅は、ごくわずかな例外を除いて、その時代を生き抜いてきた人間の記憶の中に刻まれているに過ぎない
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