高校時代の7泊8日の北ア・後立山連峰大縦走の夏合宿中、最も楽しみなのは何といっても夕食であった。
毎日テントサイトに着く時間は、その日の行程によってまちまちだったが、着けばテント設営の一方、早々に夕食の準備に取り掛かる。
煮炊きはホエブスと呼ばれた調理用バーナーを使ったが、燃料はホワイトガソリンであった。着火させるためには、バブルを開いたときノズルから気化したガソリンが噴出してくる程度にバーナー部分を予熱する必要があった。予熱には通常メタと呼ばれていた固形燃料の使うのだが、わが山岳部では何事も節約とばかり、最初にピストンでホッピングして加圧し、ガソリンを少量液体のままにじみ出させて火をつけ、予熱代わりにしていた。これは、正規の使用法とはいいがたいやり方であった。第一慣れるまで加圧の塩梅がむつかしかったし、革製のパッキングがくたびれてくると圧をかけるのがそもそも大変であった。
また、山行期間中、補充用のホワイトガソリンはポリボトルに入れて携行したが、パッキングする際にはポリボトルをビニール袋で幾重にも包んだものだ。いい加減に扱おうものなら、ガソリンのにおいが食料に移り、料理を台無しにしてしまうからである。悪夢の思い出として表立っては語られることはなかったが、前年の夏合宿では、水と間違えて鍋にガソリンを入れるという一大事件があったらしい。
さて、夏合宿の晩餐の思い出である。
エッセン長には、入山4日目までは、肉を出したいといった明確なポリシーがあったようだ。
1日目は、しょうゆ漬けした牛肉を使った生卵つきのすき焼き。豪華な夕食でもって、耐乏生活の幕開けを慰め、励ます配慮だったのだろう。2日目は、定番のみそ漬けの豚肉を使った豚汁。3日目は、塩漬けした豚肉を使ったカレーである。玉ねぎ、ジャガイモ、人参に加えてマッシュポテトも使ったようだ。4日目は、揚げたクジラ肉の鯨肉スープ。玉ねぎ、人参、ジャガイモ、豆腐を具に、しょうゆベースの味付けだった。クジラ肉については、あらかじめ味をつけておくべきだとの反省が部誌に記されているところを見ると、スープはいささかぼけた味だったのだろう。
4日目以降は、混ぜご飯とスープ、そば、牛肉ベーコンシチューといった具合であった。
肉の保存といえば、学生時代に登山用保存食としての「ペミカン」を試作したことがあった。ペミカンは、本来カナダやアメリカに先住するインディアンたちの伝統的な携帯保存食の一種で、細かく砕いた干し肉とドライフルーツを混ぜ合わせたものを動物性脂肪(ラードなど)で固めたものである。大学生協の食堂でラードを大量に分けてもらって、豚肉をじっくり揚げ、水分を飛ばして干し肉代わりにした。味付けは、塩コショウだったと思うが、実用には程遠かった記憶がある。
少人数の登山では、いろいろ工夫したが、やはり食糧の保存・携行の方法で苦労した思い出が絶えない。インスタントラーメンをわざとつぶしてかさを減らしてみたり、卵はお米をクッションにして持って行ってみたり、しょうゆは鰹節の粉にしみこませ、油はマヨネーズで代用したりした記憶がある。
パートナーの岳友が「女子大生のための料理」という本によれば「玉ねぎは炒めると甘さが増す」と突然言い出すと、そのイメージギャップに新鮮な驚きを覚えたものだ。玉ねぎのうまみは、水溶性だから、油分で包み込めばいいのだと蘊蓄を傾け始めると、さしずめ理科系人間の本領発揮といったところで、恐れ入った。だが、狭いテントの中では、マヨネーズの酢の成分が揮発して目に染みるのには閉口した。こればかりは、実験してみないと分からないものだと、文科系人間の私は大いに留飲を下げたのだった。
(参考)昭和41年(1966年)の高校山岳部の北ア夏合宿の記録
「後立山連峰テント大縦走 〜昔の高校山岳部は半端じゃないの巻〜」
https://www.yamareco.com/modules/diary/356744-detail-201342
「昭和の山エッセン 〜朝食編〜」
https://www.yamareco.com/modules/diary/356744-detail-266945
「昭和の山エッセン 〜ランチ編〜」
https://www.yamareco.com/modules/diary/356744-detail-268122
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