夜行列車で山登りに行くとなると、列車の中で少しでも眠って、いやわずかでも休んでいきたいと思うのが人情である。ボーとした頭では、初日の登りがなんとも堪える。
しかし、年末や夏休み、ゴールデンウイークなどの繁忙期となると、座席の確保というより、乗るのも大変であった。それも、始発駅ならまだいい。座席指定券がなくても、早めに駅に行けば済むのだから。高校の北アルプス後立山縦走の時は、昼頃に駅に集合して、交代で部員の座席の確保をした。
ところが、途中駅となると、ままならない。学生時代に正月の聖岳に登った時は、年末帰省客でごった返す京都駅から大阪発の夜行急行銀河に乗った。大きなキスリングをもって、無理矢理に乗り込む。こういう時は大量の新聞紙が欠かせない、通路に少しでも空間があるなら新聞紙を引いてわずかでも楽な姿勢で夜を過ごすのだ。この時は幸運なことに、激込みの車内で車掌がいないことを幸いに、車掌室横の椅子にちゃっかり指定券もなしに座ってしまった。おかげで、井川から畑薙ダムまでの1日1便のバスに間に合った。
もう一つの難問は、終着駅ではなく、途中で下車しなければならない時だ。車窓が白々と明けてくる頃に下車する場合などまだいい。晩秋から冬の季節など夜明けも遅いし、暗いうちは車内放送も最小限だ。正月の御嶽山の木曽福島駅しかり、薬師岳から笠ヶ岳縦走の富山駅しかり、聖岳の金谷駅しかりである。おちおち眠ってもいられないので、まったく参ってしまう。
最後に失敗談。
夜行列車の思わぬ落とし穴は、忘れ物である。暗いうちに途中駅で慌てて降りる時が特にいけない。
就職して1年目の秋、山好きの同僚に誘われて山ガールふたりと2泊3日で至仏山、尾瀬が原、燧岳と山歩きを堪能したことがあった。夜明け前に沼田駅に降り立つと、登山バスを待つハイカーでごった返していた。この時である、思わず顔が青ざめた。ズボンの後ろポケットに入れてあった財布がないのだ。幸い単独行でなくて助かった。
もう一つ忘れがたい失敗は、高校の南アルプスの春合宿の時だ。オーバーシューズを片方がリュックのサイドポケットから落ちたのに気付かず、眠気まなこで夜行列車を降りてしまった。おかげで、稜線に出ると靴は寒さで硬くなるは、森林帯では雪が隙間から入り込むは、実に寒い思いをした。
それでも、昭和の青春の山旅には、夜行列車がよく似合った。朝一番の列車、朝一番のバスにのって登山口に向かえるありがたさは、何にも代えがたいものだった。
が復活して欲しいと思う
今日この頃です
夜行鈍行 山陰も
*ちくま は さわやか信州号で代替えできますが
満席が多くって
ほんとに夜行列車ないのは、寂しいものですね。
山陰本線の夜行鈍行といえば、伯耆大山に登った時に利用しました。大山口駅に着く頃、美しい朝焼けが見られたのが思い出です。
「その3」もぜひ書いてください😃
コメントありがとうございます。
確かに高校の南ア・春合宿のときも、名古屋から夜行で塩尻駅に。そこから辰野駅まで行って、飯田線で伊那大島。そこからバスに戸台まで入って入山でした。北沢峠にテント張って、駒津峰や小仙丈ヶ岳に行きました。(県教育委員会のお達しで雪山の山頂まで登れなかった悔しい思い出でもあります)
塩見岳の時も、京都から名古屋に移動し、そこから夜行列車にのり、翌朝辰野から伊那大島まで行って、バスで鹿塩(塩川)に入りました。
本当に懐かしいです。
私は学生時代(40年以上前?)、ワンゲルに所属していました。
夜行列車で行く夏山合宿は、きつかった!先輩は、何故か小さなサブザックで、下級生は、キスリング。まぁ、リーダーは、いざという時に動かないといけないから身軽でないと、と妙に納得しています。
うろ覚えですが、夜行列車で行った時のこと、両サイドの網棚を使ってハンモックを張って寝ている人がいたような。
今は、無くなったようですが、新宿駅の「アルプス広場」が懐かしいです。
さすがにハンモックを張った猛者にはお目にかかれませんでしたが、皆迷惑をかけない範囲内で少しでも快適に過ごそうと工夫してましたよね。
私は、少し空いているときに4人掛けのボックス席の隙間にキスリングを入れ込んで、互いに靴を脱いで足をのばしあっていたことを覚えています。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する