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ヤマレコのkichichanと語らって、一度積雪期の山で実行してみようということになった。
今回は、あくまで厳冬期の山の緊急時のシェルターとしてではなく、積雪期の山での雪洞泊まり体験なのだから、その分それに適した山、時期を選ぶことが必要になる。その条件を私流に考えると、豊富な積雪、安定した斜面、悪天候への対処のしやすい設営場所、それに山スキーを楽しめることも欠かせない。
ということで、昭和50年(1975年)3月6日から3月9日まで乗鞍岳に行った。正確に言うと、乗鞍高原のスキー場の最上部の適地に雪洞を張り、晴天ならば乗鞍岳をできるだけ高いところまで登ろうという計画である。
第1日目は、国設乗鞍高原スキー場のリフトを乗り継いで、標高2,000mほどのスキー場最上部に出る。ここから、シールをつけて少しばかり登り、雪洞の作りやすい斜面を探す。場所選びには、風対策も重要だ。ほどなく、相当の積雪だが針葉樹の木々を埋め尽くすほどでもない傾斜地を選び、雪洞を作り始める。もっとも、スコップの扱い方などからきし慣れていない私は、すっかりkichichanに負んぶに抱っこの状態だ。彼はこれまでも山スキー合宿に雪洞づくり訓練を取り入れたことのある経験者である。黙々と雪洞を掘り、寒風が入り込まないよう雪洞入口に雪のブロックを器用に積み上げた。その上、洞内に明かり台や炊事道具を置く棚など、かなり凝った作りに仕上げたのだった。
雪洞内には雪はいくらでもあるから、夕食づくりの水も心配ご無用だ。温度は確かに零度前後。エアマットを敷いて寝袋を広げれば、天国である。ろうそく一本の明かりが、いかに明るく、その炎がいかに暖かいかを実感する。
当時の日記には、こんな感想を記している。
「冬の山に入ると、例えば毛の手袋がどうしてこんなに暖かいのだろうと感じるときがある。生活するに必要な道具の一つ一つのありがたみが身に染みて分かる。天然の世界にすっかり身を浸して精一杯体を動かしていると、時として自然の摂理の一節一節が手にとるように分かり、その日その日を生き抜くことの素晴らしさに気づかされる。
その一方で、都会の生活がいかに快適であるかということを思い知らされることも多い。人工的な環境の人間に与えるディメリットばかりでなく、人間の英知が生み出した人工的な環境の良さにも思いをはせることもできるのだ。
山の中を自分の足で歩き、雪の穴倉で一夜を明かすことが教える最大の喜びである。」
次の日は、天気快晴。高度を上げていくと笠が岳、槍ヶ岳、穂高の峰々と、北アの山々見えてきた。位ヶ原の手前まで登って、眼下を見下ろすと、壮大な景色が一望できる。そこをめがけてスキーで下る。
せっかく作った雪洞だ。もう1泊することにして、次の日も乗鞍岳の斜面を滑った。
3日目、雪洞に別れを告げ、下山する。下山後、梓村村営の乗鞍ハウスに泊まり、珍しくのんびりした。この施設は、使われなくなった学校の建物を移築したもので、林間学舎ともよばれていた。村から運営管理を任されていたのは、若い夫婦だった。自然に包まれた生活に憧れたのか、はたまた山登りの趣味が高じたのか、事情を聴くのはためらわれたが、ここでの生活を楽しんでいるようであった。
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