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これは是が非でも、夜空に無数に出現する流れ星を見に行かなければなるまい。では、どこに出かけるとするか。あれこれ考えた挙句、伯耆大山の山頂で流れ星の出現を待つことにした。後は行動あるのみ。
この時のニュースのインパクトの凄さは、後に松任谷由実が「ジャコビニ彗星の日」を作詞、作曲して歌ったことで分かろうというものだ。歌詞の一部を引用しよう。「部屋の灯り消して窓辺に椅子を運ぶ 小さなオペラグラスじっとのぞいたけど 月をすべる雲と柿の木揺れてただけ 72年10月9日・・・私はひとりぼんやり待った 遠くよこぎる流星群」
前々日の夜、京都から山陰本線の夜行列車に乗る。大山口駅に着く頃には、美しい朝焼けが見られた。しかし、あまり喜べない。朝焼けは、天気が下り坂の予兆かもしれないからである。駅からバスで大山寺に向かう。そこで朝食をとって8時過ぎに出発。大山寺は、奈良時代養老年間(約1,300年前)に金蓮上人に依って開山された由緒ある古刹である。まずは、お参りをして登山の無事と晴天を祈る。天気は快晴である。今日は日曜日だといったこともあってか、金門神社にかけて多くの観光客、ハイカーがいた。
ここから元谷に向かう。稜線部はかなり崩落が進んでいるのだろう、幾つも砂防堰堤がみえる。そのザレた沢を登りつめて、上宝珠越に出る。振り返ると日本海が見渡せた。ここから、ユートピアの避難小屋に行き、三鈷峰を往復。さらに、象の鼻、天狗ヶ峰、剣ヶ峰とたどる。今では通行が禁止されているそうだが、当時は結構ハイカーが弥山から歩いたようで、その日もかなりの登山者とすれ違った。しかし、稜線は想像以上に切れていて、すれ違いにも注意が必要だった。どうやら弥山からユートピアへ向かうのが順めぐりらしいが、こちらは山頂付近でジャコビニー流星群を観測しようという魂胆があるのだから、ユートピア周りも仕方がないというものである。
弥山の頂上小屋に、午後2時半前に着いた。頂上小屋あたりをぶらぶら散策しながら、ツエルトを張る適地を調べる。頂上付近は樹木もなく、草原のたたずまいだから、風をよけるに適当なところを探すのが大変だった。四囲にすっかり人気がなくなり、ほの暗くなるのを待って、ややくぼんだ所にツエルトを張る。もちろんこんなところで夜を明かそうなどという物好きはいない。(注:今は、テントは禁止されているかもしれない。)
夕方になると、西の空は、半分ほど雲に覆われて、雲の合間からぼんやりとした夕日しか見ることはできなかった。悪い予感が走る。案の定、夜になると、空はほとんど雲に覆われてしまった。雲の合間から大量の流れ星が出現することを祈りながら待つ。しかし、望み天に届かず、結局、ほんのわずかな流れ星を見ただけで終わってしまった。この時は、さすがにわが身の不運を恨んだものだが、後日知ったところでは、そもそも流星群の大出現は幻だったようなのだ。ユーミンの歌詞にも、「シベリアからも見えなかったよと よく朝弟が新聞ひろげつぶやく」とある。天文台はいろいろ批判されたようだが、誠にお気の毒というほかはない。
夜明け近くなると、さらに悪いことに雨が降り出してきた。もう、ここでツエルト張って頑張っていても仕方ないから、9合目の岩小屋まで行って、未練がましくしばらく様子を見る。しかし、天候の回復は望むべくもないようだ。あきらめて、尾根筋の一般登山道を大山寺に向かった。
この日、流星群が見られなかった欲求不満を解消し、少しでも溜飲を下げようと、松江の街や宍道湖を巡り歩いた。宍道湖湖畔からの夕日は、絶品だった。 (当時の山行記録を一部編集)
【山行記録】 昭和47年(1972年)10月8日〜9日
8日(日)
京都から夜行列車。大山口駅に近づくと、美しい朝焼けが見られた。バスで大山寺に行き、朝食をとり8時過ぎに登山開始。天気は快晴。大山寺→金門神社→元谷→上宝珠越→ユートピア⇔三鈷峰→剣ヶ峰→弥山→14:30ごろ頂上小屋。
夕方には、西の方角から空の半分ほどが雲に覆われる。次第に雲多くなり、鈍い夕日しか見られず。夜間、ほとんど流星群、観測できず。ツエルトで宿営
9日(月)
朝方、雨となる。9合目の岩小屋まで下り、様子を見る。夏山コースを下山。帰路、松江により、宍道湖の夕日を眺め、夜行列車で京都に。
【参考】
「星のいのちの詩」 第8回「ジャコビニー流星群」
http://www.sairosha.com/webja/hosi-8.htm
fengsanさん、こんにちは。
ユーミンの歌にあるぐらいですから、興味のない方でも名前ぐらいは聞いたことがある流星群だろうと思いますが、本当はとんでもない空振り流星群!
何しろ前評判は凄かったですからね。
当時、遠征できるような身分ではなかった高校生でしたから、一晩中自宅の屋根裏に出れる態勢で待機してましたが、結果はずっとベタ曇り、眠い目をこすりながら学校へ行った思い出があります。
その日の夕刊で「流星出現せず」の小さな記事を見たのを覚えています。
コメント、ありがとうございます。
私は学生でしたから、少し兄貴分でしょうか。
高校の時、後立山の種池でテント泊した時、空にはこんなに星があるのかと圧倒された記憶があって、カメラ片手に高いところに出かけようと思ったのでしょう。
まあ、にわか天文ファンというやつです。一生懸命天気図を眺めながら行き先決めたのに、とんだ空振りでした。これも良き思い出です。
高校1年生の時に氷川(奥多摩)駅からの六石山まで夜中歩いて山頂にたどり着くと人だかり。!皆さんジャコビニーを当てにしてきましたが、夜明けまで普通の流れ星が見えただけでした。そのまままた石尾根を降りて登校しました。
borav64mさん、コメントありがとうございます。
50年ほど前のお星さんの話で思いが通じ合えるなんて、うれしいですね。
奥多摩・六石山の石尾根は有名のようですが、その後登られましたか。私は、先日鈴鹿の釈迦が岳に50年ぶりにのぼって、自然は変わらないものだと改めて実感しました。
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