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50歳といえば、孔子様の時代なら「天命を知る」べき年齢であるが、戦後高度経済成長の申し子である団塊世代は、社会人としてまだまだ忙しく仕事に追われる日々を送っていた。きっと、夏の休暇を無理矢理合わせて福島の山旅の3日間を確保したのだろう。
私は、横浜から車を駆って集合場所の福島県の桧枝岐にある民宿の吉田屋に向かった。前泊という習慣は、もともと我々の発想にはなかったが、50歳にしてようやくゆったりと山登りをして息抜きをしたいという心境に達したといったところだ。
だが、長年の習性は簡単には直せない。せっかくの休日だと欲張り心が出て、桧枝岐に入る前に下郷町にある会津西街道の宿場町の大内宿と会津田島にある祇園会館に立ち寄った。過疎化が進むばかりの山峡の地域は、もう観光が村おこしの唯一残された道なのである。下郷から沼田街道を南下している間にも幾つかスキー場があったが,桧枝岐にもスキー場があるのに内心驚いた。そういえば,国道はスノーシェルターがよく整備されていて、東京から1日で来られるのだから,もはや桧枝岐は秘境ではないのだと感慨にふける。
もう一つ印象的だったことは,昔日幻の魚とあこがれたイワナの釣り堀があったことである。こうなると、イワナはもう幻の魚でもなんでもなく、周辺の民宿では渓流釣りの釣り人が登山者よりよっぽどお得意様なのかも知れない。2日目に泊まった湯ノ花温泉の民宿の主人の話では,この温泉地でもイワナの養殖自体は30年ほど前から細々とやっている人がいたのだそうだ。帰ってからインターネットで調べてみたら,イワナにはエゾイワナ、ヤマトイワナ、コギ、ニッコウイワナなどの種類(亜種)があって,養殖魚の放流が自然の生態分布系を乱してしまっていることを知って、いささか複雑な気持ちになった。
さて、会津駒ケ岳登山の当日は、M君の車を下山予定の登山口キリンテにデポし、民宿の車で林道上部の滝沢登山口まで運んでもらった。
早朝6時45分に登り始め、駒の小屋には9時25分に着いた。駒の小屋は,新しくて気持ちの良さそうな小屋だったが,水場がないのが欠点だ。山頂には9時50分に着いた。あいにく周囲の尾根筋にガスがかかり、展望がきかないので、バカでかい山名の木柱の前で記念撮影をして、そのまま中門岳に向かう。この季節なのに、稜線脇に雪がわずかに残っていた。頂上部の湿地帯は広々として気持ちがいい。池塘にワタスゲという組み合わせも風情があっていい。中門岳に10時30分に着く。そこで昼食をとった。
そこから引き返し、周回するように駒の小屋から大津岐峠に向かう。峠までの稜線は、中門岳への木道の道とは対照的に狭い。峠近くまで来て、ようやく天候が安定してきた。燧岳,至仏岳,平ヶ岳の山並みが間近に見えて大いに気分を良くした。大津岐峠からは、かつて桧枝岐の人たちが大津岐地区の開墾のために通ったという道を歩いて午後2時36分キリンテの登山口に降り立った。
桧枝岐の郷土料理「裁ちそば」を丸屋旅館で食べる。特に、そばつゆがうまかった。「鎮守神祭礼奉納歌舞伎」は残念ながら18日だそうで、江戸時代から続く農村歌舞伎を演ずる舞台を見学する。
翌日田代山・帝釈山に登るのに都合の良いようにと湯ノ花温泉に移動する。温泉というと、つい山間の地を思い浮かべるが、湯ノ花温泉は田んぼの中に何ら目立つことなく周囲の風景に溶け込んであった。弘法の湯など4つある公共浴場の入湯料は200円というので驚く。
その夜投宿した民宿「かぎや」で見たポスターの田代山は、思っていた以上に奇抜な地形の山であった。まるでコンピュータグラフィックスで加工したように山頂部がぽっかりと大湿原に覆われ,周囲をオオシラビソの林が囲んでいる。桃源郷というより天上の楽園といった面持ちである。
登山口となる猿倉口には、田代山林道(現在は、県道栗山舘岩線)を上がっていくことになるが、その林道は、栃木県側へは特定の期間以外は通り抜けられないようだ。登山口から田代山まで1時間ちょっとで行けるのだから,アプローチがこれ以上良くならないように祈るばかりだ。
翌12日、猿倉登山口7時50分とゆっくり目のスタートである。9時前には小田代、9時半前には田代山山頂に着いてしまった。なるほど、山頂部の景観は評判通りだ。これほど広大な規模の山頂湿原は珍しい。晴れていれば、会津駒ヶ岳から燧ヶ岳、さらには日光の山々まで眺められるはずだが、今日もパッとしない天気だ。木道の道をゆったりと歩き湿原の花を探すが、期待したほどでなかった。 、
田代山大明神と弘法大師が祭られている避難小屋から湿原を離れて帝釈山に向かうと、一転見通しの利かない森の中をひたすら歩くという感じになる。頂上はガスで景色もいまいちだった。ここで30分ほどかけて昼食をとり、11時10分に出発、再び田代山を経由して午後1時20分には猿倉登山口に戻ってしまった。
3人ともここからの帰路は長いので、湯ノ花温泉の弘法の湯に直行する。源泉かけ流しの湯は、山歩きの疲れを取り、リフレッシュするには最高である。さっぱりしたところで、出発。途中に南会津町前沢の曲家集落による。明治40年の大火後に同一時期に再建された集落は、牛や馬が家族同様大切にされた時代の文化を今に伝えるものだ。ここでも名物のそばを堪能した。
(山行記録)
2000年8月11日(金)
6:45滝沢登山口→7:57水場→9:25駒の小屋→9:50駒ヶ岳山頂→10:30中門岳→(昼食)→11:30駒の小屋→12:45大津岐峠→14:35キリンテ
8月12日(土)
7:50猿倉口登山口→8:57小田代→9:25田代山(1926m)→9:45田代避難小屋→10:43帝釈山(2060m)昼食11:10発→12:05田代避難小屋→13:20猿倉登山口
帰路の舘岩で、たまたま木材を取り扱っている店・きこりに立ち寄りました。機会があれば机などを自作してみたいとも考えていたので、その後その店から定期的に郵送されてくる情報を楽しみにしていました。その中で太い天然木を切る見学会が行われており、栗や胡桃などが取り扱われてことも知りました。当時は木場や東急ハンズでこのような木の板を見るのも楽しみでした。参加したいと思っていたものの、仕事もありなかなか踏み切れませんでした。仕事を辞めた初めての秋、2014年10月25日(土)・26日(日)にかけて、楡の木の伐倒と製材を行う「第36回伐倒製材見学会」の開催を知りました。楡には馴染みがなかったもののいい機会なので、参加しました。前日24日に会津高原尾瀬口駅に自転車を持ち込み紅葉見物がてら散策、湯の花温泉に泊まりました。翌日近くの湯ノ倉山・大嵐山まで登って紅葉を楽しみ、午後からの見学会事前説明、湯の花温泉での懇親会、26日の伐倒・製材作業に立ち合いました。その後帰路の車内では、参加者の川口付近で木工業を営んでいるという元技術家庭科の教師、きこりの店周辺に作業場を作り栗原木の入札購入から最終的な木工作業の過程に親しんでいる方と話題交換し、楽しい時間を過ごすことができました。
https://kikorino.exblog.jp/23185756/
翌2015年9月には台風被害を受けたにもかかわらず開催できたようですが、個人的に慌ただしい状況に阻まれてしまいました。
改めて、水害に対するご支援に関しての御礼と現在の復旧状況
https://kikorino.exblog.jp/24625096/
第37回伐倒製材見学会 無事終了しました!
https://kikorino.exblog.jp/24520023/
この時の湯の花温泉での懇親会での美味かった蕎麦なども懐かしく機会があればまた訪れたいと思っています。このような機会もこの山行での波及効果かと感じています。
この700頁にもなる大部な書物が、戦時中の昭和18年2月8日に川崎隆章氏の編集で那珂書店から出版されているのだから驚きだ。
編集後記に、この本の企画が「我等限りある生のさなか、祖国日本の大東亜戦争の赫赫たる大戦果に継ぐ大戦果の、限りなき感激に全身全霊を火と燃やし、我また必死の布陣を以て、祖国が持つ代表的大自然美の真髄を高揚すべくおこなわれた」と記されているが、そうだからと言ってこの本の価値を何ら損なうことはないだろう。
改めて、パラパラと本をめくっていると、桧枝岐の釣と干し岩魚や裁ち蕎麦などの話などあって面白い。深田久弥の会津駒ケ岳登山記(注:日本百名山の本に収められている文章と同じ)も収められている。同じく編集後記によると、彼は翌日大津岐峠を越え、銀山平から大湯へ出たとある。
それにしても、50歳にして、どういう経緯で3人で桧枝岐に行くことになったか、記憶があいまいなのが残念だ。
当時のことを思い出しました。
前年Mさんと以下の行動を行いました。
1999年8月13日(土)に巻機山駐車場1710着ツエルト泊・翌14日(日)0630 発にて割引沢を経て巻機山山頂着1210・巻機山駐車場着1410(徒歩計7.7時間)
当時は時間が許す日曜日などは主に一人で奥多摩などを中心に簡単な沢を詰め尾根道に出てその後一般道を下る行動などを続けていました。気分転換・体力増強も兼ねての行動です。この一環としてたまたま慌ただしい早朝行動を計画したのでしょう。計画立案にあたって前日の民宿泊・夕食を楽しんでの翌日行動も考えたのですが気楽なツエルト泊を選択した記憶があります。結果的に巻機山ではいつものように慌ただしい計画になってしまいましたが、事前に麓の清水村落の民宿に宿泊し山菜料理などを楽しみたい気持ちも残りました。
翌年は温泉もある民宿からの気楽な山行ということで、興味が惹かれていた檜枝岐周辺での山行を計画した次第です。僕はその年の11月からの長期国外出張ということで準備に追われる側面もありましたがしばし職場環境から離れたい気持ちもあったので前日泊の日程はいい思い出です。
さかのぼるとM君とは、別途大菩薩から小金沢尾根を天目山温泉に降る道でたまたま出会い、驚いた記憶があります。彼は単独で大菩薩に宿泊した後の帰路、我々は職場の上司・非常勤の女性などを含め甲斐大和駅からタクシーで天目山温泉に行き尾根に登る途中で、その後滝子山から初狩駅への小径を辿る予定でした。我々と行動を共にしようと薦めたものの彼はしばらく考えてから計画通りの天目山温泉バス停への行動に決めたようです。ほとんど会うこともなかったのですが、その後久しぶりに一緒に行く計画を思いつきました。それが1997年10月18日〜10月19日に実施した紅葉時期の金峰山登山でした。檜枝岐・金峰山と今から考えると短い期間に同じメンバーで行ったので背景はあるものだと改めて実感しています。
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