この観点で、十文字峠を見ると、信州側からの道は比較的「水の音の近い山道」であり、秩父からの道は「水の音の遠い道」である。柳田の理論によれば、信州側が表で秩父側は裏ということになる。標高も梓山は1320mほど、一方秩父の栃本の関所跡付近は750mである。
そういえば、中仙道の碓氷峠越えも、軽井沢宿からは沢筋を通って最後に峠に突きあげているが、峠から上州の坂本宿までは最初こそ笹沢を渡るが、尾根筋の長い道である。峠路としては、十文字峠の構造によく似ている。一般的に尾根伝いの道は水の確保が課題となるが、尾根のたるみで水場を確保できることも多いので、街道とか往還と呼ばれるような往来の多い道では、大雨などで道が荒れにくい尾根筋の道も好まれたのではと思われる。
峠のうんちく話はこれくらいにして、十文字峠越えの話に移ろう。
十文字峠を越える信州・秩父往還は、秩父と信濃を直接結ぶ主要往還として、様々な役割を担ってきた。それは、信濃善光寺や秩父三峰山への参詣の道であり、生活交易の道でもあった。近代においても、田部重治などの近代登山の先駆者や若山牧水などの文人や秩父困民党の敗残兵などが歩いた歴史の道でもあった。また、江戸末期より行路者の安全を願う里程観音の置かれた峠越えの道としても知られている。
この峠を越えたのは、昭和55年(1980年)6月のことである。新宿から夜行列車に乗り小淵沢に。小海線で信濃川上駅まで行き、早朝一番のバスで、7時20分には梓山に入ることができた。
戦場ヶ原の道は、どこまでも真っ直ぐのび、道の左右に高原野菜の圃場が大きく広がっている。この標高1,400mほどの高原状の大地は、昼夜の温度差が大きく、甘くておいしいレタスが採れる。今は、ちょうど苗床からレタスの苗を植えつけて間もない時期のようであった。見渡すと圃場の所々に作業用のトラックが止まっている。畑の一角にたてられていた長野県経済連のムシコン展示圃の看板に目が留まった。調べてみると、ムシコンとは、アブラムシの害を防ぐため銀色のストライプの入ったマルチフィルムの商品名で、それが畑の畝に沿って敷かれているらしい。どうやら銀色はアブラムシの嫌いな色彩のようで、土壌に対する保温性機能を保ちながら虫害に効果のある新しい製品のようだ。
戦場ヶ原を抜けると林間の道となり、白樺の木が目立ってくる。レンゲツツジの花が咲き、ベニバナイチャクソウの群落が愛らしい。さらに、カラマツが優勢となる林をしばらく進むと甲武信岳への道との分岐に着く。ここを左にとり、八丁坂と呼ばれる道をひたすら高度を稼ぐ。八丁ノ頭につくころには、コメツガの林となり、奥秩父らしい道となった。
十文字峠小屋は、コメツガの森の中にあった。実に静寂そのものだが、紫煙が煙突からほのかにたなびいていて、わずかに人の気配を感じさせる。
ここから、展望を求めて大山(2,225m)に登った。頂上では、信州側の見晴らしが素晴らしく、三宝山、小川山、男山、天狗山。御座山などの山々が見える。目を下の方に向けると、戦場ヶ原がぽっかりとクレーターのように広がり、一条の道が延びていた。秩父側は、残念ながらガスで視界が効かない。
再び峠まで戻り、11時50分に秩父・栃本方面に向かう。路傍にあった四里観音が実に優しげで、頬杖をついて微笑んでいる。梓山より2里6丁(従梓山二り六丁)の文字がくっきりと読み取れる。中島市太夫、川上百○といった人名らしきものも刻まれている。観音石仏は、これらの人が寄進したものなのだろうか。
この近くに股の沢林道から柳小屋、川又に下る分岐がある。記念に股の沢が深く切れ込んでいるあたりを写真に収めた。数年前、秩父の川又から入川真ノ沢を遡って甲武信岳に登る途中に一日股の沢に遊んだのが災いして、雨のビバークを強いられたことが忘れられないのだ。
13時25分、三里観音に到着。こちらは、上田平右エ門らしき文字が見える。南佐久郡川上郷居倉村の川上喜兵衛の次男の国学者と関連があるかもしれないと想像をたくましくする。大村兵衛らしき名も見えた。
白泰山避難小屋には、14時45分に着いた。こちらの二里観音は、丸襟の白い服を着て静かに微笑んでいた。この地に縁のある人が着せたのか、「施安穏」と墨書されている。ここから白泰山を巻くように通過すると、後は標高差1,000mほどの下りとなる。一里観音から両面神社を経て、栃本のバス停に着いたのは、16時55分だった。
【山行記録】 昭和55年6月
梓山(7:20)→甲武信ヶ岳への道との分岐点(8:45)→八丁ノ頭(9:45)→十文字峠小屋(10:10)→大山(10:45)→十文字峠(11:50)→四里観音(12:10)→三里観音(13:25)→鍾乳洞(13:45)→白泰山避難小屋・二里観音(14:45)→一里観音(15:45)→十二天尾根(16:30)→栃本バス停(16:55)
(参考)
1.柳田國男「峠に関する二、三の考察」
2.股の沢の思い出については、回想の山旅「奥秩父の沢 入川股ノ沢・真ノ沢 夜明けの来ない明日はないの巻」参照
https://www.yamareco.com/modules/diary/356744-detail-172761
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