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古来人々に親しまれてきた大山は、関東では今も高尾山と並んで人気の山だ。その大山に初めて登ったのは、今から30年ほど前のゴールデンウィーク初日のみどりの日のことだった。長男は既に小学4年生、長女もいよいよ小学1年生になったので、一度ハイキングがてら登ってみようということになったのだろう。
当日は、天気も上々。妻は、早朝から運動会の時のようにおにぎりとおかず、果物のランチパックを作り、子どもたちもそれぞれ小さなリュックを背負って出発である。
小田急の秦野駅からバスを乗り継いで、大山ケーブルバス停に下り立つ。コマ参道は、観光客も繰り出してなかなかの人出だ。これでは、ケーブルに乗るにも少し時間がかかりそうだ。それでも小さい子どもも頂上まで歩かせたいとなると、安全を見込んでケーブルの利用が穏当だろうと、妻と二人の子どもをケーブルに乗る人々の列に並ばせる。私はというと、半袖シャツという軽装だが、足元だけは登山靴を履いてきたので、阿夫利神社の下社で落ち合うことにして一足早く歩いて登った。
私にとっても大山は初めてだったので、女坂のあちこちにある文物ももの珍しい。下社で無事登拝のお参りも済ませて、いよいよ登山開始である。子どもたちは登っていく人たちにも励まされ、意外にしっかりとした足取りで登っていく。こうなると、妻の足取りの方が心配になる。少し時間がかかったものの、皆無事山頂の上社に着いた。
頂上で、何とか場所を見つけてレジャーシートを広げ、楽しいお弁当の時間である。アルバムの写真を見ると、一年生の長女はいつの間にか杖を持っている。どこかで拾ったのだろうか、なかなか様になっている。山名標識での記念撮影は、他のハイカーが写りこんでしまい、家族だけの写真はついに撮れなかった。古い写真は、忘れてしまった記憶の断片をあれこれ思い起こさせてくれるから面白い。
さて、登ってきたら下らなければならない。今登ってきた富士見台経由の道は、下りとなると子どもたちにとってはいささか厳しかろうという判断で、下りはやや遠回りにはなるが見晴台経由で下社に戻ることにした。
見晴台は、ハイカー誰もがゆったりできるところ。そこから眺めた大山のどっしりとした山容が印象的だったことを今でも鮮明に記憶している。下社近くの二重滝のところで長男が遊んでいる写真があるところを見ると、子どもたちは最後まで元気だったようだ。
大山の思い出といえば、後年長男家族の大山登山の無鉄砲ぶりにあきれ果ててしまったことがある。初めての家族登山に大山に登るのはいい。しかし、未就学児を3人連れての登山は、いかにも無鉄砲で、決して褒められたものでない。
行きは何とか頂上にたどり着き、見晴台方面へと回ったのはいいが、予想以上に時間がかかったようだ。下社にたどり着いたときには、既にケーブルカーの最終便の出発時刻の午後5時を過ぎてしまっていた。そのため、下社からも歩いて下ることになり、麓のケーブルカー駅に着いた時には、夜のとばりもとっぷりと下りて、全員疲労困憊、お嫁さん曰く「遭難していた」といった状態だったらしい。
子どもの頃は臆病で、慎重派であったはずだがと首をひねりながら、我が子育てに反省しきりであった。
実は私、長男さん家族と同じような山歩きを、男体山でやってしまったことがあります。もう、95%は反省の山歩きだったのですが、心の片隅でガッツポーズしてる自分がいました。
息子たちがその事を今何と思ってあるのか分かりませんが、もしかしたら全く覚えていないかもしれませんが、彼らの心のちっちゃなパーツであったらいいなと思います。自己満足なのでしょうか。何事もなかったからこその想いなのでしょうが。
コメントありがとうございます。
私も、長男とは次の年に丹沢の塔ノ岳に登りましたし、その後大きくなった時に尾瀬や御嶽山に登りました。それが、彼に何か影響を与えたのかというと、私にはまったくわかりません。ただ、娘が言うには、御嶽山で買った金剛杖を非常に大事にしていたというから、少なくとも良い思い出であったのだろうかと思っています。
なお、長男の名誉のためにちょっと弁解しておきますと、ヘッドランプは持っていたようです。最低限の安全を確保しながら下りたことは、親として最低限の責任を果たしたと思っているのでないかと推察しています。その後も、毎年子どもたちをキャンプ場には連れて行っていますが、あまり無理せず、おいしいご飯を作り、川遊びや軽いハイキングをして楽しんでいるようなので、反省もあるのでしょう。
孫たちが、それで何かを得てるのか、その答えはかなり時間を要する問題でないかと思っています。
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