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新雪や少し締まった雪の原を歩き、林間の斜面を登り、稜線から爽快に下りるには、スキーという道具は、その重さからくる負担を差し引いても元が取れる山道具だったが、山好きな連中が実地の訓練だけで始めたスキー技術には限界がある。季節や天候、地形などで出現するアイスバーン化した斜面では、スキー道具は、一転お荷物になる。3月末の白馬岳は、そんな思い出が印象に残る山行だった。
早朝、国鉄大糸線の白馬大池駅に降り立って、バスで親ノ原に行く。そこからリフトに乗って栂の森ゲレンデに出る。11時にスキーを履いてゲレンデを出発、神の田小屋、成城大学ヒュッテを通過し、13時20分に宿営予定地に着く。同行者はヤマレコのkichichanと高校からの山仲間M君である。その時樹林帯に張ったテントは、ヒマラヤ登山のアタックテントの予備品だったといわれる年代物で、入り口から奥にしぼんだ格好をしており、3人ではかなりきつかった。もっとも、内貼りがあったので、それほど寒さは感じなかったのを記憶している。
次の日は、白馬岳頂上アッタックの日である。3時30分に起きて即席ラーメンを作り、日の出とともに6時に出発した。天狗原の祠を通り、7時10分に白馬乗鞍岳に至る。天気は、快晴である。夏なら白馬大池があるところをショートカット気味に歩き、8時5分舟越の頭に出る。小蓮華への稜線から白馬岳、杓子岳、白馬鑓ヶ岳が眼前に見える大パノラマに一息入れる。そこから小蓮華へ緩やかに登り9時30分に三国境に。稜線上は、東側に大きく雪庇が張り出しているところがあり、足を踏み抜かないように慎重に進む。10時40分に白馬岳山頂に達したが、晴天とはいえ、さすがに風は冷たい。それでもあまりの絶景に30分ほど山頂で粘って、下山を開始。
12時55分に白馬乗鞍岳の鞍部、13時45分には天狗原、そして14時15分にはテント宿営地に帰着した。この日は天気に恵まれ、あまりに順調だったので、なんだか拍子抜けした感じであった。それに、スキーをあまり活用した記憶がないのは、頂上を目指そうと緊張していたせいもあったのだろう。
次の日は、前日山頂を目指すあまりにスキーを十分活用できなかった欲求不満もあり、もう一度できるだけ高いところまでスキーを持ってあがって、滑ることにした。
7時35分に宿営地を出発、ほぼ前日と同じペースで9時35分には舟越の頭に到着した。ここからスキーを履いた。だが、いざ白馬大池に向けて滑ろうとすると、がりがりのアイスバーンで、ろくろくスキーのエッジをたてることができない。恐る恐る斜滑降で緩やかにすべり始める。ところが、キックターンがまた難物だった。山側に重心をかけすぎるとそのままずるずると滑りそうだ。慎重にバランスをとっていないと尻もちをついて、下手すると数十メートル、いや、ひょっとすると百メートルも滑り落ちてしまいそうだ。ようやく意を決してキックターンをする。そこで、また斜滑降だ。この繰り返しで、かなり下まで降りたところで、ちょっとまわって滑って意地を見せる。とても楽しめたものでない。それでも、乗鞍岳の鞍部から天狗原に下りる頃になってようやく調子を取り戻し、12時にテントサイトに戻る。
ここで昼食をとり、急いでテントを撤収して、14時に出発する。ここからはかなりの荷物を持って滑るが、やはりスキーで来たかいがあったというものだ。スキー場を下りに下って、16時30分に東急ロッジに着いた。
【山行記録】昭和46年(1971年)3月23日〜3月25日
23日(火)
白馬大池駅、8:30親ノ原、(リフトに乗る)、10:10栂ノ森ゲレンデ、11:00同発、11:35神の田小屋、12:15成城大ヒュッテ、13:20テント宿営地着
24日(水)
3:30起床、6:00出発、6:30天狗の祠、7:10乗鞍、8:05舟越の頭、9:00小蓮華、9:30三国境、10:40白馬岳山頂、11:10同発、12:55乗鞍の鞍部、13:45天狗原、14:15テント宿営地着
25日(木)
5:00起床、7:35出発、9:35舟越の頭、スキーを履いて10:00出発、11:00天狗原、11:30成城大ヒュッテ、12:00テント宿営地着、撤収して14:00同発、スキーで降りる、16:30東急ロッジ、16:50バス停着
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