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大学3年(1971.年)の正月に、その御嶽山に登る機会がやってきた。ヤマレコkichichanと2人で正月を雪山で迎えようと、御嶽山に登ることにしたのだった。しかし、何と言っても冬の3,000mの山である。緊張感を感じながらの入山である。
入山の日は、名古屋発の夜行列車を木曽福島で降り、駅からバスで王滝口の八海山に向かった。10時には、おんたけスキー場のリフト乗場に到着。リフトの終点からは、いよいよ新雪地帯に入る。ここからスキーをつけて登り、午後1時前には田の原に着く。風の影響を少しでも受けないようにコメツガやシラビソなどの樹林帯にテントを設営した。
この日は、湿雪に悩まされた。初日で山の寒さに慣れていないということもあるが、上着などがすぐ湿ってきて、夕方になると実に寒い。持参したテントも、高山用のアタックテントとして作られたものとのことであったが、一昔も二昔も前のものである。テントの底もミイラ型の変形型で、背丈も低い。そのせいか、背中がテント地に着くとじとっと濡れてしまう。この問題は、ツエルトをフライ替りにして緩和することができた。
こんなことでちょっとばかりボルテージが下がっていたのか、次の日はなかなか起きる気が起こらなかった。ようやく午前9時30分頃になって、テントから顔を出してみると、御嶽が美しい姿を現しているではないか。急遽、頂上アタック決行と決定。それからは猛然と、朝飯抜きで出立の準備に取り掛かる。10時30分には、テントサイトを出発。登るにつれて天気はますます良くなり、結局一日中晴天となった。
登りに2時間30分ほどかけて剣ヶ峰に着いた。危険なところは一か所もなく、まるで春山気分である。しかし、山頂の風は頬に冷たい。鳥居やお社を始め、あらゆる人工物には、ぎっしりと霧氷(エビのしっぽ)がくっつき、王滝山頂や剣ヶ峰はまるで青空に浮かぶガラスの城のようである。
風雪に耐える石造のみ仏の姿には、威厳があり、その素朴な表情は心打つものがあった。頂上からは、中央アルプスも、南アルプスも、乗鞍も、遠く北アルプスや白山、富士山の姿も見ることができた。のんびりと写真を撮った後、名残を惜しみつつゆっくり下っていった。
夜、満月に近い月が空にかかり、寒さもそれほどでもないので、テントから外に出てあれこれ話した。今日は大晦日である。夜の10時30分まで紅白歌合戦を聞いて、眠りについた。
明けて元旦の朝、初日の出を拝もうと6時過ぎにカメラを抱え勇んで出発した。7時10分頃中央アルプスの稜線から太陽が上ろうとする時、ガスがかかってきて、初日の出は、残念ながらガス越しに拝むだけとなってしまった。写真の方もガスにかすんだ太陽を写しただけで終わってしまった。再びテントサイトに戻り、一日中シュラフに潜り込んで、のんびりした。山で日長1日をゆったりと過ごすことは、初めての経験だった。たまには、こういうこともあっていい。
2日は下山日。午前4時過ぎに起きて、すごい勢いで朝食と撤収作業を行い、6時半には撤収作業を完了する。スキーで八海山まで滑り降り、スキー場で3時間ほど思い思いに滑走を楽しむ。天気に恵まれ、山行は順調でいつになく楽しかったが、一面ちょっぴり物足りなさも感じながらの下山となった。
御嶽山には、息子が大学1年生の夏にも一緒に登った。王滝山頂、剣ヶ峰、二の池とほぼ同じコースをたどったが、息子もいつの間にか体力をつけものだと登りながら心の中で思った。二の池の澄みきったコバルトブルーが忘れられない。王滝口九合目の御嶽神社王滝頂上社務所で焼き印を押してもらった金剛杖が、今も親元を巣立った息子の部屋に残されている。
大噴火から早4年。犠牲者の御霊の安らかならんことを心から祈りつつ、御嶽山の思い出を綴ってみた。
(参考)2018年10月2日に黒沢口から御嶽山に登ってきました。
その時の山行記録「御嶽山 紅葉と霧氷」も御覧ください。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1601594.html
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