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最近では、NHKのラジオ第2放送の気象通報を聞いて、天気図をとる登山者はあまりいなくなったのでないでしょうか。かくいう私も日帰り登山者となった昨今では、天気図を書くなどということは、すっかり頭をよぎらなくなりました。
しかし、私の若いころは、山行にはトランジスタラジオは必需品で、とりわけ日本アルプスの縦走やテント泊の登山の時などは、毎日天気図を書いて次の日の行動計画を検討したものでした。悪天候が予想される場合などは、行動中に天気図をとったこともしばしばですし、眠い目をこすりながら夜に起きてとったこともあります。
当時、気象通報のラジオ放送は、気象庁予報部から午前8時30分と午後2時30分、午後8時30分に発表された午前6時と正午、午後6時の観測データが、各々午前9時10分、午後4時、午後10時に放送されました。もっとも、2014年度以降は、正午の観測データが午後4時から流されるだけになったそうです。時代の移り変わりを感じます。
気象通報は、初めに全国の天気概況があり、次に各地の天気が石垣島から決まった順に、風向、風力、天気、気圧、気温と読み上げられます。次に船舶の報告に移り、およその場所、緯度・経度に続いて各地の天気と同様の情報が読み上げられます。最後に、漁業気象として、高気圧や低気圧の位置、進行方向・速度、前線の種類と位置・前線の伸びている方向、ポイントとなる幾つかの等圧線の位置が放送されます。20分の放送ですが、天気概況でおおよその天気図を頭に浮かべておけば、漁業気象の情報も即座に天気図に書き入れ、完成させることができます。クラブの先輩がやっているのを真似るうちに、できるようになりました。
もっとも、2006年以降は、天気概況はなくなり、直接各地の天気データが読み上げられるようになりました。また、観測点も観測の自動化が進み、そういうところは、「天気」の情報はないそうです。
天気図と観天望気で、天気がどのような速度で悪くなるか、どのような速度で回復していきそうなのかを判断することがかなり正確にできます。そうすると行動を開始する時間や行動を終了する時間を適格に判断できますし、場合によって引き返す決断を後押ししてくれることにもなります。
観天望気といえば、朝焼けは天気が悪くなり、夕焼けは天気が良いというものや、富士山の頂上に笠雲がかかると天候が悪化していく兆しであるなど、様々なものがあります。しかし、一概にそれだけで判断すればよいというものでもなく、利用できる科学的な知識・データを活用し、総合的に判断するといいと思います。
50年近くも昔の話になりますが、11月の中旬に友人(ヤマレコのkichichanも一緒)と3人で北アルプスの縦走めざし、信濃大町から葛温泉までタクシーで入り、濁小屋(注:高瀬ダムの底に沈んで、今はない。)まで歩きテントを張り、そこからブナ立て尾根を登り、野口五郎岳を経て双六岳方面に抜けようとしたことがありました。ところが、どうやら入山前日にドカ雪に見舞われたらし。ガスで視界も良くない中、ブナ立て尾根を登っていくと、標高2,208mの三角点あたりからひざ上までの新雪ラッセルに苦しめられて、烏帽子岳小屋まで上がるのに一日がかりでした。
次の日は、快晴でした。烏帽子岳を往復し、三ツ岳頂上近くまで偵察しました。稜線に雪はさほどついていませんが、ところどころ凍結が見られます。今のところ天候の悪化の兆しは見えませんし、これならいけそうだということになりました。
翌朝、星空です。アイゼンをつけて早めに出立しました。野口五郎小屋でアイゼンは脱ぎました。このあたりから少し雲が多くなってきましたが、それでも雪を頂いた山々がずっと遠くまでくっきり見えるのです。これは低気圧の前面の異常視程ないかと妙に勘繰り、内心心配になったことを覚えています。その日は、水晶小屋の手前までいってテントを張りましたが、そのころにはもうすっかりガスに包まれてしまいました。ほかにパーティは見当たらず、アルプスのど真ん中で不安がよぎります。何と言ってもブナ立て尾根のドカ雪のイメージが頭から離れず、途中同行者のザックの肩掛けが切れて応急措置を施したり、私自身、真砂岳を過ぎて暫くしたところでスリップし、キスリングのサイドポケットに入れていたヤッケが無情にも東沢谷に吸い込まれるように滑り落ちていったりした(注:ダウンの上着を持っていたので実際は困らなかった。)ので、このまま行ってよいのか、大いに迷いました。戻るのも丸2日かかります、行くのもうまくいっても2日は必要です。今回も天気図をとり続けていたので、これを基に行動計画の検討開始です。
結論は、午前3時に起きて撤収開始となりました。翌朝外が明るくなると同時に、3人とも心に一抹の無念さを抱きながら、来た道を2日かけて引き返しました。
結果論ですが、天気はそれほど悪くなりませんでした。晩秋に登った初めての北アルプスは、忘れ得ぬ思い出を残してくれたのでした。
【参考文献】
ラジオ漁業気象通報の利用実態調査H19.3 (財) 地域開発研究所
https://www.jma-sangaku.or.jp/tozan/document/87420070814weather.pdf#search
天気図の活用ですが、好天が続く(例えば大きな高気圧帯で日本列島が覆われる)・逆に悪天が予想される(例えば強い前線が発達する・二つ目低気圧が現れた)などの概要を確認しての行動判断でしょう。当時北アルプス核心部、水晶から三俣蓮華・双六などの若干尾根の広い部分の通過に不安を感じた気がします。このような不安は天候に一抹の不安もない、または若干の天候悪化には耐えられるグループとしての自信が、不可欠な気がします。後者について検討が足りなかった気がしています。
コメントありがとうございます。
過去の同様の登山記録がなかなか手に入らない時代、同じような質の経験しか有しない者で構成されたパーティの難しさですね。
今のように携帯GPSがあれば、どんな天候下でも自分の位置を把握できるので、もう少ししっかりとした判断が下せたのでないでしょうか。
記憶だけですが、食糧・予備日などには余裕があったのでGPSがあれば行動の制約はさらに少なくなった気がします。最初妙高の付近にいたのかと思いますが、初冬のあの時期なら縦走形態にこだわらない計画立案も合理的だったかと思います。縦走をしたかったのでしょうが、いずれにしろ今でも思い出すということを含めいい体験でした。現在のGPSやSNSの活用など色々示唆されることが多い状況です。
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