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この正月に母に言われた言葉です。
母は今度80歳になります。
「もう10年になるし。」
10年前、東北震災の直後に脳内出血をやって、右に痺れが残り、山に登れなくなりました。
もう十分生きた、と言いたげな雰囲気。
「あんまり食べられなくなってきた。」
これが一番心配です。
食べることこそは、人間の生きる糧であり、生きる意志の表れだと思います。
でも、父がいるから何か作るし、私もいれば一緒に食べます。
ずっといると嫌がられるけど(^^; ←たぶん父が認知症でアレなので、あまり見せたくないのだと思います。
1年前までは、1ヵ月か2ヵ月に1度は帰省していました。
昨年4月の緊急事態宣言からは、3回、
GW(電車に乗らないよう往復とも45kmの道のりを歩いた)、
10月(少し落ち着いたのでGoTo土産を渡しに行った)、
正月(お土産を渡すだけと思ってたけどお許しが出て2泊した)
今後もこんな調子なのかしら・・。
この調子だと親の死に目にも会えないかも。
そうなる前に会っておくことは、必要だし、今でなければならないような気がします。
会いたいのに会えない、と悲しんで死んでいくより、楽しかった記憶と共に逝くほうが幸せな気がする・・。
なので、私はこちらから「行くのやめる」とは言いません。
ウチはまだそこまで切迫していない(と思いたい)けど、いつそうなるかわからないから。
・・自分自身だって、いつ死ぬか、一寸先はわからないけどね(;´▽`A``
写真1. 正月2日の実家のお雑煮。餅1つで「大きい💦」って言ってるし。
写真2. 正月2日の実家の夕飯。父に合わせて超やわらかご飯です。
写真3. 実家の畑から見える富士山。近くの「入間川からの富士」は「関東の富士見百景」に選ばれているらしいです。知らなかった(;^_^A
https://www.ktr.mlit.go.jp/chiiki/chiiki00000108.html
mikiさん、こんばんは。
重い話だから あまり下手なことは
言えませんが既に両親を亡くした
私は後悔していることがあります。
母との最後は 少しだけ口けんかの
ような形になり。三日後に母は突然
亡くなりました。亡くなる前も自宅で
療養してたとはいえ まさかでした。
年老いた親を見るのが嫌で私は逃げて
いた。
残りの人生を なるべく親との
時間に注ぐことも大切。でも親から
すれば顔を見せなくてもmikiさんが
健康で幸せにしてくれていることを
一番願ってるのでは?
形も大切だけど相手を思う気持ちが
一番 大切なような気がします。
すいません、知ったようなこと言って。
こんばんは。こんな重い話にコメントいただいて、ありがとうございます。
>でも親からすれば顔を見せなくてもmikiさんが健康で幸せにしてくれていることを一番願ってるのでは?
正に仰る通りだと思います・・。
実は29日の夕方、仕事納め後に電話したら、「今頃どこかの山に登っていると思ってた」と言われました。
お盆にも、「来なくていいから今行ける山に行ってきなさい」と言われたし(^^; ←今年に限らず山を始めてからよく言われるようになりました。
母にとっては、私が山に行っている、イコール、健康で楽しくやっている、なのでしょう(;´▽`A``
山に行った話をしつつ、母の好きな蕎麦や味噌のお土産をあげるととても喜んでくれるので、私としても嬉しいです。
なんだか、bassoさんのコメントを見て、救われたような気持になりました。
本当にありがとうございます<(_ _)>
ミキさん、こんばんはー! 親孝行したくても出来ない、会いたくても会えない人もいるから、出来ることは何でもやった方がいい! それが、私の持論です。 早く収まって、やりたいことを、やりたい時に出来るようになるといいですね。
そうですね!
思い出したんですが、実は私、「やらないで後悔するより、やって失敗する方がいい」派です(^^)/
「何を今更?」・・あっ、ご存じでしたよね(;´▽`A``
東上線沿線ですが家の雑煮は、醤油味で鳥肉、里芋、大根、ほうれん草、ネギに蒲鉾、ナルトですがちと違う感じですね。
雑煮って地域、家によって違いがあるのが面白い。
赤飯なんて北海道では、甘納豆に食紅だし。
こんばんは(^^)/
ウチの雑煮は味噌汁の延長みたいな感じです(;´▽`A``
三つ葉がある時だけ、すましにしてるかな?
具はいろいろですが、卵(生か半熟)は必ず入ります。
daikentaさんのコメントを見て、今度行ったら里芋と大根買って剥いてやろう、と思いました。(たぶんもう剥くのに一苦労なので。)
ありがとうございました<(_ _)>
ミキさん、こんばんは(^^)
出来るだけ会いに行くに賛成です。
私の母は数年の闘病ののち、17年前に亡くなりました。
最後の1ヶ月は上司に事情を話して早めに退社させてもらい、毎日病院に通いました。亡くなったときはとても悲しかったですが、自分にできることは全てやったと思えたので、後悔は残りませんでした。
ミキさんのお母様はまだそこまでの状況ではありませんが、いつ何が起こるかわからないという気持ちで行動するのは大事だと思います。
私の父もお母様と同世代です。こんなご時世ですが、感染予防はしっかりしつつ出来るだけ会いに行こうと思っています☆
ありがとうございます。
どうやら今回は来月7日までとなるようなので、その頃また打診してみます(^^)/
こっちは良くても、あっちは隣近所を気にするので(;´▽`A``
miki-taniさん、こんにちは!
うちも関西に80近い母が居るのですが、今年は帰省をしないことにしました。とはいえ、何かあればすぐ駆けつけるつもりですし、感染状況が小康状態になったところで一度帰省しなきゃ〜と思っています。
死に目に…は遠距離だけに場合によっては(>_<) 要介護の状況や、状況によっては引越してもらった方がいいのか、施設がいいのか?と悩んでいます。
そのさまたらに数十年先には…自身がお一人様になったらどうするのか?等々、悩みは尽きないです(~_~)
こんばんは(^^)/
実は10年前に「何かあれば」を経験済でして・・
午後2時頃に会社の代表電話(渡してあった名刺の番号)に父から電話が来たのでした。
10年前は助かりましたが、今はかなり体力が落ちているので、次にそのタイミングだと、駆け付けた時には既に・・だろうと思ってます(-_-;
別居している以上、そこは仕方ないと割り切るしかないんですが、その前にできることをしておきたいです(;´▽`A``
はじめまして miki-tani さん
新コロナ禍で できることもできない 老親への切ない思い
思う気持ちは ご両親に充分伝わり 心が温まっていますよ
私の両親は老人介護施設に10年以上お世話になりました
車で片道1時間の場所でしたので毎週土曜か日曜に会いに行っていました
積み上げた日数と時間を計算すると膨大で『よく通った』と言われますが、かといって充分であったかどうか 当事者にとっては充分だったとは思うことができないものだと思います
45kmを歩いて会いに行くなんてできることではありません
それ以上のことなんてできないのではないでしょうか
私の場合、お医者さんや施設の方から『延命措置』について問われた時が一番きつかったです 幸い、少し遠方にいる姉がほんの少し引いたところで客観的な意見を言ってくれたのが救いでした miki-taniさんも一人ではなく周りの方とともに在ってください
こんばんは、はじめまして。コメントありがとうございます。
片道1時間でも、結局最低半日は使うでしょう、10年以上も続けられたyasuji-さんは素晴らしいです。
だいぶ前に母から聞いた話ですが、施設では、家族がよく面会に来てくれるほど、職員もよく面倒を見てくれるんだそうです。
ご家族がしょっちゅう様子を見に来るんじゃ職員もその人を無下にはできないよな、と納得したものですが、yasuji-さんが毎週会いに来てくれたことで、ご両親も、面会そのものに加え、それ以外の日にもきっと幸せに暮らせたことと思います。最高の親孝行ですね(^^)
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