笹谷峠を越え、さらに地吹雪の月山道を越えて日本海へ。酒田で高速を降りて、市内の鮨屋さんで遅い昼食をとり、目的地に向かう。なんだか土門拳の写真を見たくなった。土門は東北出身の写真家である。
山形県酒田市、最上川の河口付近に土門拳記念館がある。広大な敷地の奥に大きな池があり、池に浮かぶように立つ現代的な美術館だ。
土門拳の写真に初めて触れたのは20歳くらいだったと思う。「ヒロシマ」「筑豊のこどもたち」など強いメッセージを込めた作品群に惹きつけられた。
「江東区のこども」。強烈なリアリズムの中にこどもの命がそのモノクロ写真から満ち溢れてくる連作である。作品が始まったのは私が生まれた昭和28年、母の遺品の中にあった私の幼児の頃のスナップ写真と重なってしまう。風景も衣装も、遊びも、すべて貧しかった。日本中が貧しかった。だがそれは,やがて豊かな未来へと解けていく貧困だったのだ、と今思う。
「古寺巡礼」。土門拳の仏像写真は強烈なものだ。慈愛も、孤独も、哲学も、怒りもそれが本物の仏像の何倍も膨れ上がったような連作。土門はまさに仏像と正対し、真正面から撮る。
「・・・ところが或る日、宇治の平等院への撮影に行った帰り、鳳凰堂に別れを告げようとして振り返ってみたら、茜雲を背にたそがれている鳳凰堂は、静止しているどころか、目くるめく早さで走っているのに気がついた。・・・」
土門拳の対象へののめり込み方が伺える言葉だ。
昭和43年、この時すでに右半身付随となりながら、三池闘争とその後の筑豊のこどもたちを撮り続けた。49年、もう車椅子の高さでしか写真が撮れなくなった。それでも「古寺巡礼」は続く。50年、古寺巡礼第5集完。54年、脳血栓で意識不明。平成2年81才で逝去。
土門の仏像写真のポストカード3枚と、記念館発行の写真集「土門拳のすべて」を購入。帰りは47号を最上川沿いに戻る。途中、中山平で吹雪の露天を少し楽しむ。
kiyoshiさんへ
こんばんは。
土門拳記念館、一度だけですが私も行きました。
とても力のある写真が多く、一枚一枚対峙するように見てきました。
また行きたいと思う場所です。
土門拳記念館、建物も素敵ですよね。
中山平の露天 ですか〜
トロトロのお湯ですね。
実は私も鳴子にいました〜
風が凄かったですね
画像の仏像は、室生寺の釈迦如来坐像左半面相です。これと三十三間道の雷神像の前ではしばらく立ち止まりました。一日仏と向かい、一度しかシャッターを押さないこともあったとか。美術館の暗がりに、そのシャッター音が聞こえるほど…気魄を感じました。
土門さんの作品群はジャーナリズムのあり方に大きな影響を与えました。日本このような方がおられたことを誇りたいと思います。凄い方です。
こういう美術館は所蔵作品をローテーションさせているので何度も行く価値がありますね
実はこの日、隣の美術館も行ってみたら、昨日は休館で残念。また今度ですね。おいしい日本海の魚ももう一度
私は中山平に向かった時、一番最初の温泉ですよ。右手のね waqueさんは、鳴子周辺を歩いておられた?私が通ったときは吹雪いていましたが
kiyoshiさんこんちわ
山レコに土門拳ですかぁ
ライカM3 目測シャッター・ニコンSpスナップ
見る以上の写真をめざす、なんて聞きました。
露出・ピント・現像液・画紙・・
切り取られた空間の芸術ですね。
一流って、徹底的に手を抜かない事ですかね
でわでわ
コメントありがとうございます。
一本の原木の中に、仏が掘り出されるのを待っている。本物の仏像彫りは、そのように切り出すのだと。ああ、これは名人伝の逸話の一つ。でも、私はそういう話が好きなんです。
美術館と土門拳について書きました。写真技術については全く門外漢です。土門が道具にこだわったかどうかわかりませんが、被写体に対して強いフェティシュを抱いていたことは一見して伺えます。弘法は筆を選びませんが、その時代に彼が必要とした道具を、真面目に選んでいたでしょうね
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