昭和の初めから昭和20年8月15日の終戦まで、あの時代の狂気とは一体何だったのか、終戦後13年経ち、「もはや戦後ではない」といわれた時代に生まれた身としては自分なりに納得したくて数年をかけて読んできました。この辺りのことは自分で学ばないと学校でもさらっと流れて終わってしまうのでよく分からない。よく知らずに世間の風潮として事象に対して善悪の二元化で語られてしまって、そこで何が起こっていたのか、そこに生きた人々の思いをくみ取ることをしてきませんでした。
手に取った書物の大まかは以下のものです。
蒼穹の昴・珍妃の井戸・中原の虹・マンチュリアン・リポート・天子蒙塵 浅田次郎 作(講談社)
終わらざる夏 浅田次郎 作(集英社文庫)
二・二六事件と青年将校 (敗者の日本史) 敗者の日本史 筒井 清忠 著 (吉川弘文館)
妻たちの二・二六事件 澤地久枝 著 (中公文庫)
反日種族主義 日韓危機の根源 李 栄薫 著(文藝春秋)
沖縄問題―リアリズムの視点から 高良 倉吉 著(中公新書)
オキナワ論 在沖縄海兵隊元幹部の告白 ロバート・D・エルドリッヂ 著(新潮新書)
日本共産党政権奪取の条件 適菜 収 , 清水 忠史 著(ベストセラーズ)
日本のいちばん長い日 決定版 半藤一利 著(文春文庫)
日本の一番長い夏 半藤一利 編(文春新書)
浅田氏の作品は小説なので事実とことなる部分もあるし、創作であることは承知の上で、あの時代の空気や大陸と日本の関わりなどは感じることができます。現在 半藤氏が編んだ「日本の一番長い夏」を読み進めていますが、戦犯として連合国側に裁かれた人たちも、決して私利私欲ではなく、国を思い、国のためにと狂気の渦に巻き込まれ(或いは渦を巻き起こし)ていったということが哀しいほどによく分かります。あの時代、誰それが戦争を引き起こした悪人というような断定はできず、一般の国民(臣民)を含め、皆が狂気の渦の中にいた。あるいは狂気だと思っていても全体が陥っている狂気故にそれを口に出したり態度で示したりはできなかった。(中には少数のそういう人たちもいて、投獄されたり処罰されたりしていましたが)
やり方はどうあれ、皆、国を愛し、国のためにと生きていたことがよく分かります。
なぜ、こんなことを今、考えるのか・・・
このコロナ禍の中、○○警察などという動きが見られるようになって、全体の考えに沿わない人はバッシングされ、罰せられ(?)るという風潮が見え隠れしてはいないか、ということがとても気になり始めているのです。あの時代、全体の考えに沿わないことを言ったり、行動したりすると「非国民」というレッテルを貼られ、おかしいと思っていても、考えていても全体の流れに巻かれるしかなかった時のように。
一つの考えが正義だとばかり、それに猛進し、同じ考えでない人たちを排除していくというのは恐いことなのではないか。そう思えてきてならないのです。狂気の渦を巻き起こさないようにしなければと思うこの頃です。
これに関しても色々な考えの人がいらっしゃるでしょうけれど、それでよいと思っています。
始めまして
私、本は読んでいませんが NHKの『映像の世紀プレミアム「昭和 激動の宰相たち」』とNHKスペシャル『渡辺恒雄 戦争と政治〜戦後日本の自画像〜』を見た感想では、軍部が独走し、それを誰もが止められなかったようです。
私の父親(大正生まれ)世代は戦死した男性がとても多いそうです。
今、80歳以上の生存者には悲惨極まる戦争体験があるはずですが、戦後生まれの我々はいい時代に生きていることをつくづくと感じます。
戦後日本の礎は吉田茂に負うところが大きいと思います。
takayama2さんコメントありがとうございます。
軍部の暴走と私も思っていました。もちろんそうなのですが、そうなる要因や原因もあったわけで、善悪だけでは語れないところもありそうだと思っています。
「日本のいちばん長い日」などは昭和20年8月14日から15日の正午の玉音放送までを時間単位で史実を確認しながら、色々な説がある所は併記して描き出していますが、あの1日でも私が知らないことだらけでした。どれだけの人が、どれだけの思いであそこまでこぎつけたのか、初めて知った次第です。
1931年(昭和6年)生まれの私はこの時代の後半の特に激しい時代を体験したことになります。
コメントするには大変に重い日記ですね。今の北朝鮮の平壌から西方へ約66kmの順川邑(平元線と満浦線の分岐駅がある要衝)の国民学校(今の小学校)4年生の時に、12月8日の朝のラジオで開戦の放送をナマで聞き、学友と驚きを持って話し合った。
旧制中学校に入学した1年生にとって5年生は既に学徒動員中、2年生になるや否やすぐに学業を放棄させられて、工場へ学徒動員。
終戦の詔勅を雑音の多いラジオで聞いたのは中学2年生の夏・・・毎夜の空襲警報で防空壕へ逃げた寝不足の身で学徒動員先の工場へ出勤・・・当時の政府の方針に反するものは皆"非国民"とされ、民衆の中へも憲兵の目が光っていた時代。
何回かに分けてコメントしたいと思います。
tama-takeshi さんありがとうございます。
私の母も昭和6年3月生まれ。生存していれば90歳を迎えていました。同じ年代でいらっしゃるのですね。父はそれよりも3年早い生まれですが、55歳で他界してしまいました。心意気は任侠道をいく父で、どうやら軍(士官学校か?)に志願したらしいのですが胸囲が足りず体格検査で不合格だったと生前聞いたことがあります。
tama-takeshi さんはその時代を生きてこられ、色々なことが理解できる年齢でもあったでしょうから、複雑な思いがおありのことでしょう。
今回、色々な書物を紐解く中で私があらためて気付いたことがありました。もしこれから記すことで気を悪くなさるようでしたら申し訳ないのですが、自分が感じた率直な思いですのでお許しください。
どの時代でも、その時代を生きた方々一人一人の証言は尊いものだと思います。ただ、お一人の証言はその時代の断片であり、全体ではないということです。考えてみれば当たり前のことなのですが、そんなことにも気付いていませんでした。
一つの時代を語る時、(これは、時代に限らず、何でもそうなのでしょうが)できるだけ多くの証言を集め、それらをつなぎ合わせたり重ねたりすることで、はじめて俯瞰でき、全体像が見えてくるということです。
今回読んだ証言や、記録の中で、座談会に参加した人(その時代の中枢にいた人たちが多い)でも、自分の関わったり体験したりした事柄は詳細に分かるけれど(当然ながらその中でも知らないことがあるようでしたが)それは、その時代のほんの一部分に過ぎず、知らなかったということがかなり多いのです。それらの全部とは言わないまでも多くを集めて多方面から光を当てて見ることで、ようやくその像の全体像が見えてくると思いました。
「時代は後世が評価をする」といわれる所以なのだろうと感じます。その時代に生きていなかったけれど、その時代を俯瞰することが私達は可能です。そうやって全体像を見ながら、自分なりの評価をしていかなければならないと感じています。
コメント、楽しみにしています。
toroda5502さん、
上記の後半のご説、尤もだと思います。流行じゃありませんが、ビッグデータを蒐集して解析する必要がありそうですね。しかし、現実的には,どうやって証言者を集めるか?難しそうです。
もっと研究してからコメントしなければなりませんが、一つには1938年にかろうじて成立した国家総動員法と1940年に結成された大政翼賛会の二つは、国民を一つの方向にまとめるために大きな力を発揮したと考えます。後者によって政党政治自体が無くなってしまったこと・・・軍部主体の政治体制が出来ていったことなど、国民の自由な発言がなくなったことは、その後の日本の運命を決めるのに大きな力を発揮したはずです。
その後、北支事変→支那事変と陸軍が独走し,文民による制御が効かなくなったことも大きな要因でしょう。海軍は兵学校卒業時に世界の幾つかの国を軍艦で訪問して視野を広めることが出来たが、陸軍はその点では国際的な視野が狭いことにも、何かあるでしょう。大東亜戦争の開戦時に当時の山本五十六連合艦隊司令長官が、一年間は何とかすると公言した話は有名です(彼は、不戦派でそのために政治の世界から,命令で動かざるを得ない立場へ追いやられた)。
更に、古くは日露戦争に"勝利"したことで、世界の一流国に仲間入り出来たことも、遠因として作用しているかも知れません。
以上、深く研究していませんが、今回はその時代を生きたものとして,感覚的に感じたことを書いておきます。
また、コメントしたいと思います。
ありがとうございます。
>しかし、現実的には,どうやって証言者を集めるか?難しそうです。
今となっては・・・ですね。ただ、終戦直後だと話をしたくないという人も多くいて難しそうですし。だからこそ貴重なデータとなるのでしょうね。
私は1977年から数年間沖縄に在住していました。'72年復帰ですから5年後ぐらいでしょうか。自分の中ではそれまで太平洋戦争は”過去”でしかありませんでしたが、沖縄ではまだ"現在”でした。そのギャップに随分悩んだものです。色々なことがありました。
沖縄決戦時の証言も、なかなか語られませんでしたが、時代が過ぎて行くに従って少しずつ語っても良いという方が出てきています。ただ、語り部がどんどんいなくなってしまうという、相反するジレンマも出てくるわけですが。
前稿でたくさんの証言を集めて俯瞰する必要性を述べましたが、忘れてならないのは、恣意的に集められた証言を見て判断することだけは避けなければならないと思っています。ある思想誘導のために恣意的に証言をとるということもできてしまうわけで、そうなると恐ろしい事だと思いますので。
>一つには1938年にかろうじて成立した国家総動員法と1940年に結成された大政翼賛会の二つは・・・
この辺りは私もまだまだ勉強不足で知らないことがたくさんあります。これを、最初の契機としてもう少し昭和史、近代史に足を深く踏み入れてみたいと思っています。それによって、私の第二の故郷「おきなわ」についてももっと深く見えてくるものがありそうな気がします。今さらながら・・・ではありますが。
また、色々とご教授いただけるとありがたいです。ありがとうございました。
都合で時間のやりくりがつかず、コメントの続きが遅くなりました。
今回は教育の面からコメントを作ってみたい。
1872年に始まった義務教育の小学校、旧制の中学校、旧制の高等女学校の教科書は、当初は検定制であったが、1903年には国定制になり全国で文部省教科書のみが使用されることになった。教科書による国家統制が可能になったと言える(話がそれるが、戦前はカタカナを最初に学び、3年生から算数と理科の教科書のみがカタカナ記述となり、その他はひらがな・漢字を用いた。戦後は小学校入学後に初めて学ぶ文字はひらがなになったが、その理由は分からない)。
私が学んだ頃の、文部省の教科書の内容には
1年生の国語は、サイタ サイタ サクラガ サイタ から始まった。
今でも覚えているのは、結構軍国的な内容のものが多かった。例を挙げると、文部省唱歌の教科書では
ヘイタイサンヨ アリガトウ
ケフ(今日)モゲンキデニイサント イッショニガクカウ(学校)ヘイケルノハ ヘイタイサンノオカゲデス。オクニノタメニタタカッタ ヘイタイサンノオカゲデス。
題名不詳
ボクハグンジンダイスキヨ イマニオオキクナッタナラ クンショウサゲテ ケンツッテオウマニノッテ ハイ ドウドウ
などを覚えている(誰もが軍の中でこんなに出世できるわけはないのに)。
国史では、南北朝時代という時代区分はなく、"吉野朝時代"と習った。朝廷の皇統の分断を明確に記述することを避けるためだったろう。南朝の忠臣、楠木正成がクローズアップされ、息子・正行との桜井の駅での別れなどが強調された(何故か皇居外苑には楠木正成の銅像は今もそのままである)。
修身の教科書では、個人主義は排されて、"お国のために"という面が顕著に出てきます。
戦後GHQの命令で教科書の記述の多くの文言の墨塗りを教室で指示・実行させられたのは忘れることが出来ません。
少し話がそれたようです。
多くの書物を読まれたのには感服します。私がこれもお読みになればと思うのは、永井荷風の日記"断腸亭日乗"です。日記ですから主観的なところも当然ありますが、観察したところを生々しく記述しているので関心のある時期のところを読むだけで多くの事柄を知ることが出来るでしょう。因みに、この日記は官憲に見つかると身に危険が及ぶのを怖れて、近しい人にも目に触れないように管理されていたと聞きます。
tama-takeshi さん ありがとうございます。
戦前、戦中、戦後すぐのころの教育については伝え聞くところはありますが、自分が経験していないので当然ですが実感として捉えることはできません。特に、戦後すぐ、黒塗りの教科書で、これまで教えられていたことが間違いだと方向転換した時の生徒の思いはどれほどのものであったのか、想像だにできません。そのあたりの、教えていた側や教えられていた側の思いにいつか触れてみたいとも思います。
さて、暇に任せて、または若干仕事上(退職してからは夢追い人になっていますが)読みあさったものを、お褒め頂きなんだか少し照れくさい気がします。興味に任せて手に取っただけで、それほどのものではありませんので。
ご紹介頂いた著作、ぜひ、手に取ってみたいと思います。
現在、読みたい本が溜まっていて、どれだけ時間がかかるか分かりませんが。
今、読んでいるのは「古事記及び日本書紀の研究[完全版]」津田左右吉 著 毎日ワンズと「中世の村のかたちと暮らし」原田信男 著 角川選書、平凡社の「昭和史(1926〜1945)」同戦後編、「B面昭和史[1926〜1945]」など半藤一利 氏の一連の著作です。「古事記及び・・・」は戦前発禁になったという事でしたが、なるほど、これではそうだろうなと思わせる内容です。著者は決して天皇制批判をしている訳ではありませんが、真摯な研究で、記紀の中の虚構を浮き彫りにしていますので結果的にはそうなってしまったことがうかがえます。「中世・・・」は、江戸時代前の農村、庶民の暮らしについてあまり文献がない(そもそも資料が少ないようです)のでそのあたりが知りたくてページをめくっている所です。
半藤氏の著作については最初の一冊を少し読み始めたところですが、どのような昭和(自分が生まれ育った時代なのにあまりにも知らないことが多い)が俯瞰できるのか楽しみです。
tama-takeshi さんには、毎回丁寧なコメントを頂戴し、とても勉強になります。
ありがとうございます。
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