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いっぽう、緊急事態宣言に伴い多くの方が登山を自粛されている間、温故知新を兼ねた救済措置として過去レコ作成キャンペーンが展開されており、私も昔の泊まりがけ山行の記録をアップしたこともありましたが、これは正直なところ、些か食傷気味なキャンペーンでもありました。何故なら、過去レコには「今」の季節感がないことは否めず、単に「この日にこの山に登った」ことを記すための簡素なレコも少なくなかったからです。もっとも、昭和の登山文化を赤裸々に再現した過去レコは、歴史史料として大いに楽しませて頂きました


というわけで、ヤマレコ上で展開される登山及びレコアップの是非をめぐる論争に「何だかなぁ〜」と感じつつ、さりとて、感染蔓延期において山岳救助や医療に従事される皆様に多大な負担を及ぼすリスクがある登山やハイキングには賛成できず、過去レコキャンペーンに多少参加しつつもイマイチしっくり来ないものを感じていた中、私自身はといえば、ご近所散歩レコの作成と、同じようなお散歩活動をしていた方を拍手で応援することを、ヤマレコ活動の中心に据えておりました。今年の年始以来、武漢で何が起きていたのかを中国語でダイレクトに知るにつけ、「このウイルスは相当手強い

というわけで、神奈川県央の片田舎にある自宅から概ね半径5km前後の内側を歩いて(あまり遠くなってしまうと散歩のレベルをはるかに超えて「不要不急の外出」でしょうから)、地元の自然公園や緑地の面白みを発見し、季節の花を愛でて、暗い時代の憂さを晴らしておりました

散歩の際に選ぶのは、なるべく車が少なく、田舎風情がありそうな古道ですが、これはヤマレコ山行計画作成画面の2万5千分の1地図と昭文社の道路地図をじっと眺めていれば、結構面白いように見つかります。そして、何となく見つけて歩いてみたその古道が、実は歴史的にも重要な文化遺産的な道だったりすると超!ビンゴ気分です

そんな出会いが、横浜市瀬谷区南部のド田舎を歩いていたときにありました。細〜い田舎道が六方から集まる不思議な辻道に差しかかったところ、お地蔵さんが立っており、傍らには案内板が。
「どれどれふむふむ……なるほど『六道地蔵』か。そのまんまのネーミングだけど、ちょうど良いランドマークではあるな……」と思いつつ読み進めてみますと、何と!今自分が歩いて来た道は、かつて坂東三十三ヶ所観音霊場めぐりを徒歩で巡礼していた昔の人々が、横浜の弘明寺から座間の星谷寺まで短絡ルートとして利用していた「星の谷道(ほしのやみち)」であるとは!

そこで帰宅後速攻でググったところ、ほ〜!この道は弘明寺から谷間を西に進んで、戸塚区平戸から不動坂までは東海道に合流し、その後は横浜市西部から大和市・海老名市・座間市の台地を横切り、座間の谷戸山公園の南に出てゴールとな……。しかも、自宅のすぐ近所を通った後、米軍厚木基地で寸断されていることも分かりました。
そこで、米軍厚木基地でどう寸断されているのかも含めて、往時の古地図が分かれば、街道歩きハイクとして歩くと絶対に面白いな……と思いまして、さらにググってみたところ、をを、素晴らしい! 『歴史的農業環境閲覧システム』というサイトで、関東地方の三角測量が集中的に進められ地形図が整えられた明治前期の古地図を確認できるではありませんか!



この結果、「星の谷道」の正確なルートだけでなく、米軍厚木基地で寸断されたもう一本の道「厚木街道」(東海道の保土ヶ谷宿から海老名の相模国分寺まで)についても、正確なルート及び寸断点が分かってしまいました

この2本の古道を今歩く場合のルートをヤマレコ画面にしたのが、上の画像です(左・旧日本軍→米軍厚木基地で寸断される前の古道の様子、中・星の谷道、右・厚木街道)。
全国の有名な街道の正確な道筋については、「日本の旧街道」というサイトが次第に紹介量を増やしつつありますが、他にもまだまだ、都市の中に埋もれている古道は多々あるはずです。皆さんも (関東限定ですが ^^;) ご近所の明治時代の様子をサイト上で確認のうえ、散歩を楽しんでみると如何でしょうか? 舗装路ばかりですけど、こういう非常時を中心に、季節の移ろいを楽しみつつ往時に思いを馳せるのは、それなりに「いとをかし」だと思います

(長文失礼……^^;)
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