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行きたいと思っている山は沢山あるし、行き慣れて飽きたような山でも行けばそれなりに楽しい。しかし前日に準備して朝早く起きるのが面倒、電車や車で時間をかけて行くのも面倒。だから曇っていたりして少しでも天気が良くなければ、準備しても即中止という体たらくです。
そうは言っても歩かない日が続けば体はどんどん劣化し、近所の散歩やウオーキング程度では効果の程は知れています。そこで、週に1、2回は自宅から30分もかからずに行ける多摩丘陵に行っています。
最近よく行くのが桜ヶ丘公園。
ここには3本の尾根とそれに挟まれた谷戸があり、散策路が縦横に張り巡らされています。周囲は住宅街ながら、そこだけ見れば完全に山道という趣の所も多く、何となく山歩きをしているような気分になれて、雲取山や奥多摩三山が見える見晴台もあるのが気に入っています。最大でも50m程の標高差でも、5回も登り降りすれば、かなりのトレーニングになる(ような気がする)もの良いです。
その次によく行くのが「よこやまの道」。
東京都と神奈川県の県境を通る尾根道で10Kmほどの距離があり、累積標高差は500mを越えます。鎌倉街道や奥州古道、幕末の新選組の土方歳三や沖田総司らが日野宿から小野路へ行き来していたという歴史の道が交錯しています。
この道でお気に入りの場所は「防人見返りの峠」という標柱のある展望広場。奥多摩から丹沢の山々が望め、条件が良ければ南アルプスの農鳥岳や塩見岳も見えるようです。
残念ながら、そこまで見えた事はありませんが、大菩薩嶺付近は割と見えます。近くには川崎市の最高点である諏訪ヶ岳(144.4m)の三角点もあります。
私の所から少し遠くなるから頻繁には行かないけど、多摩丘陵の西端には、戦中に戦車の走行試験や訓練のための道だった町田市の尾根緑道や鶴見川の源流、小山田緑地もあり、そちらの方も楽しめます。
ネットで検索すれば、この辺りの情報は沢山出てきますし、「よこやまの道」は多摩市のサイトでパンフレットもダウンロードできます。もし近くに住んでいて興味があれば、それらを参考に歩かれて見ては如何でしょうか。
写真1(左):桜ヶ丘公園の夕陽の丘
写真2(中):桜ヶ丘公園内の遊歩道
写真3(右):「よこやまの道」の防人見返りの峠からの丹沢、
大山から丹沢山、蛭ヶ岳、大室山まで主要な山が全て見えます
guchiさん、こんにちは!
この日記の出だしの4行、よーく分かります。
私も行きたい山は沢山あります・・けど、そこまで行くのが億劫なのです。誰か一緒とならば勢いで行っちゃうんですが、でも、山は一人の方が深く楽しめるし・・・、でも、億劫で・・・と、愚にも付かない繰り返しです。(これが老化なんだって最近痛感します)
よこやまの道ですか。歴史の浸み込んだ道は、歩いていて感慨深いものがありますよね。(大峰山奥駈道ではそれを深く感じました)
よこやまの道、調べてみます。
イーグルさん、こんにちは
遠くまで行くのは本当に面倒ですよね。
長野とは言わないけど、せめて山梨に住んでいたら、もっと楽だろうなんで思ってしまいます。
でも、そこに住んでいたら手ごろな山は登り尽くして、また同じような事を言い出すのかも知れませんが。
奥駈道とか熊野古道とかと違って、旧鎌倉往還とか大山街道の周辺は開発が進み、歴史の風情を感じる所は少ないですね。
それでも、鎌倉時代や江戸時代に、この辺はどんなだったか考えるのも楽しいものですが、よこやまの道、あまり期待しないでください。
guchi さん、こんばんは。
小学校の頃(50 年も前になりますが)、多摩丘陵って散策にとてもよいところでした。当時、家はほとんど立ってなくて雑木林の丘陵地帯の中にハイキングコースがありました。親に連れられて、ハイキングに行った記憶があります。
今となっては、その面影すらなく、林はなくなり山は削られ住宅だらけとなり、あげくの果てがゴーストタウン化。当時を知っているだけに悲しくなります
マグロのように動いていないと確実に劣化し、劣化するとそう簡単には戻せません。すでに、あちこち行きたいとは思わなくなってきているので、動くの止めたとき、山は終わりでしょう。
misuzuさん、おはようございます。
私らが子供の頃は多摩丘陵も自然豊でしたね。大藪春彦の小説では主人公が銃撃戦の後で山林に潜む、なんてのがあったけど今じゃ隠れ住めるような場所なんてありません。
人が意図的に計画して作った街は、すぐに時代に合わなくなるような気がしています。宿場町や駅があって自然発生的にできた街の息が長いのは、ある程度の猥雑さがあるからで、それが無い所は端麗であっても、どこかよそよそしい感じがするからでしょうかね。
>あちこち行きたいとは思わなくなってきている
良く分ります。行けばそれなりに楽しくても、何となくマンネリ感みたいなのがあって、行く前から判ってしまうからでしょうかね。
若い時のように先に大きな山があって、それに向かう為に頑張る。そういうのが無くなり、別に行かなくても良いか・・・なんてのもありますね。
また、体の劣化を防ぐために山に行っているという感じもあって、それ苦痛である面も増えて来ています。苦痛が許容量を超えたら山を終えるときですかね。
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