![]() |
![]() |
写真は1981年の冬に八ヶ岳の広河原ルンゼと奥壁を登ったときのもので、写真1/2が2ルンゼの氷瀑で、写真2/2が奥壁下部でのビバークの朝です。
氷瀑は10m程度ですが、垂直にツララが垂れ下がった状態で結構難しかったように記憶しています。
ビバークはオーバーハングの下で快適なポイントだと思っていたら、夜中に吹き積もった雪がツェルトを埋め、その重さと冷たさで目が覚めたのを覚えています。
普通に考えれば辛い状況だったはずだけど、何故か楽しかったという思い出しか残っていません。苦しい事は忘れても、楽しい事はいつまでも忘れないのものなのでしょうね。
今はもう、こういう所へ行ける体力も気力もないけど、あのような状況に身を置いてみたいという気持ちもあります。ただし、荷物は10Kg程度、1、2時間で帰ってこられるならば、という前提がありますけど。
この前提を無視すると、救助隊のお世話になりそうです。何とも軟弱になったことか。
昔、何かで読んだ話に、こういうのがありました。
ある青年が岩壁のテラスでビバークしていると、夢うつつに何者かの声が聞を聞きます。
「我は、この山の生と死を司るものである。お前は、山での激しく短い生涯を望むか、それとも、街での安息な長い生涯を望むか」
それに対して青年は答えます。「私は山での生涯を望みます。たとえ、それが短いものでも。」
また、別の青年も同じようにビバークしている時に同じ声を聞き、それに答えます。
「私は町での生涯を望みます。もう二度と山へは来ません。」
どちらの青年も希望通りに、前者は短く、後者は長く、両者とも満足のうちに生涯を閉じます。
この話は、どちらも「満足のうちに」という所が肝心なのですが、翻って自分の選択はどうだったか考えてみると、若い頃の一時期は前者に近い考え方だったのが、仕事や生活に追われているうちに山へ行く回数も減って、結果的に後者の選択をしたようです。
数年前に山歩きを復活して、生死に直面するような山へ行っている訳ではないけど、今、どちらかの選択を迫られたら、やっぱり後者の選択しかない訳で、こんな選択を考える事自体ナンセンスでしかないけど、少しロマンのない話であるような気もします。
もっとも、冒険とかロマンとか言うのは、もう時代錯誤なのかも知れません。何処へ行って何をしても、既に多くの人がやっているし、色々な制約も多くなったような気がします。また、便利な道具は増え、移動の時間も減って気軽に行けるようになった今では、時代遅れの言葉なのでしょう。
わあ〜!!
またまた写真、凄いですね〜!!
ビバーク風景なんて、もう見てるだけでブルブル
辛かったはずなのに楽しい思い出しかないってこと、よくわかりますよ〜。ワタシも去年の夏の南南アルプスで連日の暴風に泣いてたはずなのに、今じゃもう楽しい思い出になってますもん
ロマンも冒険も、尖がったところではもう立ち入る余地もほとんどなく、そこに立ち入る資質や技量にも制限があるんでしょうね〜。
個人レベルの冒険ってことでいえば、ワタシは毎回何かひとつは、ワタシなりの小さな「冒険」を入れるようにしています。初めての破線を歩いてみたり、うどん屋で初めてのデザートに挑戦したり、コンパスワークの練習をしてみたり。
どんな小さなことでも、わくわくする出来事ならなんでも「ワタシ的冒険」てことにしちゃってます
ちょっとずうずうしい感じですが、楽しいですよ〜
街での長い生涯を選択した若者も、たぶんそんな無数の小さな日々の冒険を楽しむ方を選んだのだと解釈したいな〜。
今のワタシ的ロマンは、いつかテン泊でジャンダルム!かな
尖がった所へ行くには、資質や技量もそうだけど、先ずはそこへ行きたいという情熱というか願望が、どれだけ有るかだと思います。それが有れば、あとは目標に向けてトレーニングや準備をするだけでしょうね。
「ワタシ的冒険」
確かにそうですね。可能な範囲で出きるだけの事をやるのも小さな冒険かも知れません。それで得られる楽しみがあれば充分かも知れませんね。
"テン泊でジャンダルム"は、kunikonさんなら無雪期であれば今でもできるのででは?
kunikonさんの山行記録を見ていると、そう思います。
ただ、ジャンダルムへの直登ルートは、飛騨側に切れ落ちた岩場を登るから、少し岩場のトレーニングをした方が良いかも知れません。
むかし晩秋の頃1人でジャンダルムを登っていたら、飛騨側から湧いて来た雲に自分が登る姿が反映したブロッケンが出て、我ながら何か神々しいような気がしたのを覚えています。
今年の夏あたりに計画されても良いのでは。
とは言っても一般ルートではあるものの、それなりの難易度がある所だから岩場での自信が必要です。私は最近、岩場でビビリが出る事があるので、行ったとしたら巻き道で登る事になるかも・・・
今年は少し岩場でのトレーニングを、また一から始めようかな。
ええーホント?
ぐちさんにそう言われると、ちょっとその気になっちゃいます。
ワタシ基本ビビリのヘタレなんで、ナイフリッジとか切れ落ちとかが怖くて怖くて〜。。。。岩場は好きなんですけどね〜。
がんばって克服トレーニングしてみようかな〜
ぐちさんがイチからトレーニングに行かれる時は見学させてくださいね〜。
おっ、けしかけたようで、まずかったかな?
え〜と、なぜ大丈夫だと思うかというと、
・雪のある時に1人でテント担いで奥多摩や秩父の山へ行く。
・一般的でないルートを地図見ながら歩いている。
・一日の行動距離が長い。
こうした事から体力や気持ちの強さは充分かな、と思う訳です。
ナイフリッジとか切れ落ちている所が怖いのは皆同じで、これは慣れるしかありません。
ただ、怖くて身がすくんで動けなくなると言うのは拙いですが、岩場が好きというのであれば、そこまでじゃ無いですよね。
もっとも多少慣れていても、ふと恐怖心が現れて動けなくなる事があります。そういう時にも落ち着いて対応できるようなトレーニングは必要ですね。(今の私が、まさにこの状態です。)
このトレーニングとは、難しい岩を登れるようなトレーニングより(もちろん、それも必要だけど)自分がどの程度の岩なら登れるか、また降りてこられるか、それを見極められるのが第一ではないでしょうか。
要は危ないと思ったら、登らないという事ですね。
まあ、"テン泊でジャンダルム"と言っても壁を登るのではなく、涸沢あたりに一泊して奥穂ー西穂の縦走でしょうから、それほど岩登りに拘らなくてもよいかも。
guchi999 さん、こんにちは。
上の2つの例、確かにそんな感じでした。でも、まだ、行ってみたいところはあって、行きたいとは思いながらも、状況はそれなりにわかっているだけあって、ソロで無理する気にもなれず、ロングだけ無理してやっていましたが、mmg さんが、同行したいとのことで、去年から残したところを行くようになりました。これも mmg さんの御陰です。
でも、一昨年の 30 年ぶりに三つ峠に行ったときのショックたらありません。簡単だったはずの一般ルートなのに、指力に自信がなく、こんなはずではなかった状態でした。
2つの例の真ん中取ってやっている感じですが、毎回戻ってくると、ロングより好印象です。
gucchi さんも、復活、よろしいかと思います。
山登り始めた頃のワクワク感、藪岩やクライミング系の方が、やはりありますね。
misuzuさん、こんにちは。
ここ数日間、出かけていたのでコメントの返答が遅れてすみません。
私も同じような感覚ですね。
山歩きを復活して始めのうちは、ハイキングコースや普通の山道を、そこそこ歩ければ良いと思っていたのが、むかし登り残した山が気にかかったりしてしています。
体力や技術、それにメンタルの劣化は自覚しており、行ったら危険というのも判っているので諦めているけど、岩場なんか見るとルートを追いかけたり、どう登るかをイメージするようになったりと良くない兆候が出ています。
体力や技術の低下は、まじめにトレーニングをしてないからかも知れませんが、若い頃のようにトレーニングしても向上しないのが困ったものです。
実は一昨年、クライミングジムでのトレーニングを試みたのですが全然登れず、ほんの1、2時間登っただけで指や腕がパンプして数日間は使い物にならない状態になるし、ボルダリングで落ちた時に頚椎炎が悪化したので最近はご無沙汰です。
それでも完全復活とは行かないまでも、やり残した岩場のルートがある山を少しは登れるようにしたいと思っているのです。
しかし、クライミング系の山へ行くには3つほど問題が・・・
一つは指力や腕力の問題で、懸垂もまともに出来ないという情けなさです。
2つ目はメンタルとバランス感覚の問題。切れ落ちた岩場で眩暈のような感じがあり、恐怖感もあります。
眩暈がするから恐怖感があるのか、恐怖感があるから眩暈がするのか判りませんが非常に拙い状態です。これらはトレーニングするしかありませんが、2つめはトレーニングで何とかなるものか微妙な所もあります。
3つ目が一番の問題で、家人がクライミング系の山や冬山へ行くのを非常に嫌がるのです。
それなりに自信がある所しか行かないと説明しても、納得させるのは至難の業で、これが困った問題なのです。
こんな状態ではありますが、ゲレンデでのトレーニングくらいはやって見ようと思っている次第です。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する