そのとき、晩年になって初めて書き始めていた日記帳をブログ上に移しました。
日記は極めてプライベートな文書です。
それをブログ上に公開するのは、その匿名性を信頼しての事です。
現在、このヤマレコの日記の他にも複数のブログ日記を持っています。
日記の内容が公開されても匿名性が護られる限り、プライバシー上の問題は無いと思っています。
その理由を訊かれたとき、私は一つの例え話をします。
友人のフランス人女性(アラ還)にも、訊いてみて確認したことです。
もしも銭湯の女湯に男性が乱入してきたとき、入浴中の女性達は局部や乳房を手で覆い隠そうとしますが、もし欧米で同様なことが起こったら女性達は皆、自分の顔を両手で覆い隠すのだそうです。
顔には個性があってプライバシーそのものだが、局部や乳房の形はみな似たりよったりで、誰のものか判る人など居ないというのがその理由だと言います。
たとえ自分の恥部が公開されても、その自分が何処の誰だか他人に判らない限り問題は無いという立場なのです。
言い得て妙と言うべきで、私の立場も同じです。
そこで改めて、今まで紙の日記帳に万年筆で書いてきた日記を読み返してみました。
日付が有ったり無かったり、晴雨などその日の記録が殆んど書かれていません。
大半は在りし遠い日を思い出しては、湧き上がる新たな思いを書き記していることに気付き、慄然としました。
いつしか老いが精神に忍び寄っているのです。
新たな日々に感動は多々あるのですが、老いが過去の遺恨を殊更重く背負っていたのでは瑞々しい日記は書けません。
心すべきことと自分自身に言い聞かせております。
いつしか私のブログ日記にも終わりの日が訪れます。
ブログ上の日記が更新されなくなって半年、一年後に、この日記はどうなるのでしょうか。
人様の日記をいろいろ拝読させて頂いていると、更新が途絶えて久しい日記の中には、文脈からみて今は亡くなられて主亡き日記となったものが、少なからず存在します。
その日記に心無い人達が禿鷹のように群がって、コメント欄を落書き帳にし、卑猥な書き込みしている現実を見ると、寂しさばかりが込み上げてくるのです。
ヤマレコ日記は安心できるのですが、他の日記には何かしら対処方法を考えなければなりません。
人の心から優しさが失はれてゆくのを見るのは、辛く切ないことです。ainakaren
こんにちは。
私は最近までブログをやっておりましたが、やめてしまいました。
理由はプライバシー保護の観点から なんてことではなく、ただ単に億劫になってしまったからです。
“日記帳に万年筆”
いいですねぇ〜!
こういうアナログチックなもののほうがデジタルなものより愛着が湧きます。
私もちょっといい手帳に万年筆で山行記を書いています。
これは人様にお見せできるような内容ではありませんが
nobouです。いつも足跡を有り難うございます。各駅停車で広島に向かう車中で、岡山を通過したところです。日記で述べておられることとは主旨が違うのですが、最近しきりに思うことはヤマレコにせっせと山行記録を書いて、もし自分が明日死んでしまったらこの記録はどうなるんだろうと言うことです。私の場合、人様に読んでもらうと言うより、自分の足跡を一定の形式に則った形で残しておきたいと言う動機が強いので、それなら自分流のフォーマットで残しておけばいいようなものですが、中には読んで下さる方がおられるやも知れず、それなら共有サイトにと投稿しています。けれど死亡が明らかになったような場合とか、半年、1年と投稿が途絶え、自然退会のような形になった場合、日記や山行記録は抹消されるのだろうな〜と思い、どなたの記事であってもそれはちょっと勿体ないと言うか残念な気がしています。それと言うのも、私の知人がやむを得ない事情で退会を余儀なくされた結果、彼のユニークな山行記録が抹消され、見ることが出来なくなって保存しておかなかったことを悔やんだことがあるからなのですが、その意味からも自分の記録も保存しておく必要を感じている昨今です。駄文を連ねまして申し訳りません。
tattunさん、こいんばんは。
紙の日記帳に万年筆の時代は良かったですね。
でも有名な小説家でもないと、日記が人に読まれる可能性は無かったのです。
折角日記を書くのですから誰かに読んでもらいたい、しかし書き手が誰か知られるのは恥ずかしい、そんな思いはありませんか。
若い女性にも顔が出ないなら自分のヌードを公開して、誰かにみてもらいたい人は沢山居るのだそうです。
私は山とその仲間の事を無名ながら誰かに知ってもらいたい思いがあるのです。
それを公開することが自分自身が遺恨の思いから少しでも楽になれるような気がするのです。
日記帳に万年筆でお書きになった山への思い、公開される日を楽しみにしています。相仲
nobouさん、こんばんは。
いつも日記を楽しく拝見しております。
私も貴兄と同じ懸念を持っています。
高齢なので何時何が有るかわかりません。
そうなると日記は、勿論記録も更新されないままになります。
死亡した場合や退会した場合の記録の取り扱いについては、その会員資格に応じた取り扱い規定があることと思いますが、まだ読んでいません。
死んでそのまま更新されなくなった記事はどのように取り扱われるのでしょうか。
私は先が余り長くないので貴兄以上に心配です。
詳しい人がいらっしたら教えて頂きたいとおもいます。相仲 廉
追伸・山で遭難して亡くなられたユーザーの方がいらっしゃいます。
その方の記事はどのように扱われているのでしょうか。
18歳から21年間毎日日記と言うには短いですが天気と気温とその日の世の中の出来事とちょっとだけ自分の事を書いた手帳があります!楽しい日もあればとても悲しい日もありました…ですが全てが今の自分です…この手帳はお金で買う事の出来ない大事な大事な宝物です!もちろん妻には内緒の過去も書いてあります(笑)僕が死んだ時には一緒に燃やして欲しいのですが…手帳の存在は妻には内緒なので叶わぬ願いですね(ToT)
teteteさん、こんばんは。
私の日記の中にも、たとえ匿名であっても公開できない内容もあります。
もっと云えば、紙の日記帳に万年筆で書くこともできない心の中だけの秘密だってあるのです。
勿論、お釈迦様、いや山ノ神でもご存知あるめぇ〜、というものです。
私が独りがそれを持ち、旅立とうと思っています。
紙の日記帳を残せば必ず遺族の目に留まると思って下さい。
お覚悟の程を〜。ainakaren
前のコメント内容は最近切実に思うことなので、前後をわきまえず書きましたが、本旨の『日記』一般についての私の場合をご紹介させて頂きます。
日記を書き始めたのはここ10数年で、始めは手当たり次第にその日の自分の行動と周辺の出来事を小さな豆ノートに殴り書きで書きとめていたので今はどこに行ったのか分かりません。それではつまらないからと5年日誌に変えてから2冊書き終わり、今は10年日誌の2年目です。
内容はその日,何時に起きて何を料理して(食べて)、何をしたかをこと細かく思い出せる限り書き連ねます。何を考えたか,とか、ある事象なり事物に対する思いやその時々の雑感などは書かず、ひたすら事実のみを書きます。特に朝昼晩,何を調理して食べたかを克明に書いています。1日経って前の日の朝食を思い出そうとすると思い出せないことが多く、その日の朝の食事内容を思い出すのさえ容易でないことが多くなって来ました。
目的は2つです。1つはいつ自分が何をしたかを記録に留めて、少なくとも自分がそれを知りたいと思った時に調べると分かるようにしておきたいと言うこと。なので並行して出納簿も何を買ったか,中身まで書いています。5年日記,10年日記は、特に農作業の段取りをする上で大変役に立っています。
一方,ヤマレコやmixi,sns等の日記は主に、行動したことや強い印象を伴う事象について、それをメインテーマとし、ブログ記事(テーマ)と同じものとして書いています。
でもそれがヤマレコやmixi,SNSが求めているものかどうかはわかりません。多分違っているのだろうなと思いながら書いています。
こんな感じです。
nobouさん、ご丁寧なコメント有難う御座います。
貴兄の日記の概念がよく理解できました。
日常の行動記録、備忘録の性格がメインのようですね。
私の場合、学生時代から初老に至るまで日記を書く習慣が全くありませんでした。
子供のときから詩や歌が好きで見よう見まねで書いてみたりしていましたが、日記だけは書く習慣が身につきませんでした。
昔の山行の日付が不明確なのも、それが理由です。
晩年になって日記を書くようになり数冊の日記帳がありますが、先に書きましたように肝心な日付や天候なども殆んど書いてなく、昔の事を思い出しては湧き上がる新しい思いばかりが書いてあります。
私の日記は情感や思いを書いたものが多く、日常の行動が書かれません。
どちらかと言うと備忘録よりもエッセイに近いものかと思います。
それが私の日記のスタイルだと、割り切っているのです。
それにしても、私が旅立った後、これらの皆さんのコメントを含めた日記は、どうなるのか気になるところですね。
皆さんのお考えも広く伺ってみたい気持ちです。ainakaren
おはようございます。平郡島と言う島に行くフェリーに乗るため、柳井港駅に向かう電車からです。
退会した場合、記事が削除されることは覚悟していますが、コメントのことまでは考えていませんでした。コメントがなくなるとそれに絡んでいた相方のコメントが意味不明のものになっておかしなことになってしまいますから、それはないんじゃないかと言う気がしますが・・。
昔お書きになったものの日時等がわからないと言うことですが、思いがしっかりと書き込まれているのであれば、ヤマレコの山行記録のフォーマットには合っていなくても、それはそれで貴重な記録だと思います。某年、某月、某日でアップ出来るといいのですがさすがにそれはないでしょうネェ・・。若い頃の記録がないと言う点は私も同じで、今にして見れば惜しいことをしたものだと思います。書いていてもどこに埋もれているのか分からなかったり、ワープロのフロッピーが壊れたとか、ワーブロ自体が壊れてフロッピーはあっても情報が取り出せなくなったもの等、失われたに近いものが沢山あります。平生往生というやつですがある程度年をとらないと本気にならないと言う面もあるようです。
後刻また。
nobouさん、お早う御座います。
廣島は私の両親の出身地です。
尾道や鷺浦には私も子供時代によく遊びに行きました。
尾道には尾道学研究会なる郷土史研究会があって、私が管理している古文書の件で研究会の皆さんには、いろいろお世話になっています。
私のヤマレコ山行記録には古い1953年秋から1961年正月までの記事がありますが、日付入力は勝手に決めて登録しました。
半月以内の精度だと思っています。
80年代以後はカメラに日付が有りますので正確な日付になっています。
日記の習慣が無かったと言うより、記録を残す習慣が無かったと言うのが正確かも知れません。
ヤマレコの記録は更新されなくなっても、そのまま残るのではないかと思っています。
その場合にどのような管理になるのか、それが知っておきたいと思っています。
遭難して亡くなったユーザーの方が複数いらっしゃるそうです。
その方々の記録がどのように管理されているのか知りたいです。
ご存知の方がいらっしゃれば教えて頂きたいと思っています。
やがて私にも訪れる事態ですから〜。ainakaren
私の山行記録にお立ち寄り下さいましてありがとうございます。
年齢により感性も変化していると私は感じています。その意味で書き続けるは自分の歴史を残すことで意義あると思います。
後々の心の糧にしたくて新聞記事等の好きな文章を記録しています。
ivyさん、こんにちは。
山行記録、興味深く拝見しております。
歳をとると幼児退行するのか、感情の起伏が大きくなり、涙もろくなって来ました。
最近の記憶が薄れ、昔の記憶がより鮮明になりました。
精神の老化というのは、このような事かと感じています。
ヤマレコ記事が更新されなくなった場合について、QandAを見ますと、ヤマレコ退会の場合が説明してあります。
死亡の場合も規定はありませんが、退会に準じて運用されるのではないかと推察されます。
退会の場合、自分の消しておきたい記録を自ら消して退会する事とされ、残りの記録は全て保存されます。
従って退会前に死亡した場合は、全記録が保存され続けることになります。
遺族からの申し出については、どう扱われるのか判りません。
ヤマレコのコメントには誹謗中傷や卑猥な書き込みが全くありませんから、死んだ後も安心です。
全記録を残して欲しいです。相仲 廉
旅の途中で携帯からヤマレコへのアクセスが拒否される事態となり、今日まで書き込みが出来ませんでした。
その間にQ&Aで1つ答えが出たようですネ。退会、あるいは事故等による自然退会によっても、山行記録は本人が消去しない限り保存されると言うことが分かり、一安心です。有難うございました。
ただ、私の知人の場合はこの答えと違う対応で、本人の意思に反して消去されたとのことでした。彼は「退会しても記録が残されてこそ『山行記録』としての意義がある筈だ」と言っておりましたので、この点は直接確かめてみようと思います。
私もこれからainakarenさんに見ならって、若い頃の記録を探しだし、アップしたいと思います。今後ともよろしくお願い致します。
nobouさん、こんにちは。
旅行からお帰りですか。
瀬戸内海界隈は子供の頃祖父母に連れられて、あちこち見て歩いたことが懐かしいです。
ヤマレコユーザーには無料の普通会員と有料のプレミアム会員があるようです。
使用できる記録容量とシステムの機能に差があるようです。
プレミアム会員が死亡したり退会するとプレミアム料金の支払いが無くなりますので、プレミアムで追加された記録容量の記録は消去される場合があるかも知れませんね。
管理人さんに今度質問させていただき、教えて頂きたいと思っています。
私は今のところ記録容量もシステム機能も充分に満足しているので普通会員です。
日付こそ不正確ですが、若い頃の山と仲間達の思い出は情景として鮮明に記憶しており、それが私の一生の宝なのです。
こちらこそ今後宜しくお願い致します。
相仲 廉太郎
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