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日記

カテゴリー「回想の山々」の日記リスト 全体に公開

2024年 03月 08日 22:16回想の山々

闇鍋会の夜

 昔々、岳会の涸沢キャンプで闇鍋会に参加した事がありました。 闇鍋の基本は、安心・安全・美味・完食で煮汁は味噌味か醤油味、又は味噌醤油混合味です。 当時、出汁入り味噌も出汁入り醤油も市場に有りませんから、参加者の持ち寄る秘密の食材が出汁味の決め手になりました。 参加者達には、闇鍋を滅茶苦茶
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2021年 10月 29日 17:50回想の山々

草津白根弓池 余談

 前回の日記で、昔々の草津白根山と弓池ヒュッテの想い出話を書いた。 添付する画像用に、アルバムに貼ってある褪色したモノクロ紙焼き写真から使えそうな十数枚をコンデジでセピア複写撮影し、その中から三枚を使った。 今回の日記にも、別の三枚を添付した。 残った複写画像を加えて、試みに過去の山行記録
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2021年 10月 14日 15:14回想の山々

幻の弓池ヒュッテと三人の同宿者

 活火山の火口付近を歩いていて突然の爆発音を聴けば、誰でも仰天するだろう。 文字通り仰天して身構え、周囲を見回した事があった。 1962年の秋、単独行で渋峠付近の山道を歩いている時であった。 初めて手にした自分のカメラを、風景撮影で試しながらの山歩きである。 志賀高原・法坂の定宿から被写体を
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2020年 06月 25日 18:41回想の山々

長野電鉄 湯田中駅前広場にて

 写真は1960年頃の撮影だが、正確な日付は記憶に無い。 スキー仲間達の、集合スナップ写真である。 当時、都心から志賀高原丸池スキー場行きの夜行スキーバスが出ており、スキー初心者だった学生時代から屡々利用していた。 積雪の状況によっては湯田中が終点に変更され、早朝の寒気の中を板を担いでスキー場
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2019年 12月 13日 22:21回想の山々

髭氷目出帽と凍結ラグリーメン

 庭の枯草に霜が降りていると、冬山シーズンの到来である。 今では寒がり屋の軟弱人間に成り下がったが、厳寒の冬山の想い出は何故か温かく、そして懐かしい。 樹氷、霧氷の美しき壮観もさる事ながら、厳冬の山の凛として冷たい空気感が好きだった。 厳寒の行動では仲間達も私も睫毛を白く凍らせていたが、あれは
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2017年 10月 21日 18:04回想の山々

コンビーフ御飯の味

 ふと、山の晩飯用に炊いたコンビーフ御飯を思い出した。 40年程も昔に食して以来口にしていないから、その味も最早うろ覚えである。 登山用の食材が開発され、山メニューも山レシピも今や様変わりしている。 山の自然環境は少しも変わらないが、その社会環境は今では大きく変化した。 登山者が増加し、登山
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2016年 08月 19日 16:00回想の山々

ツェルトの出番

 練習以外には、ツェルトを真面に張った記憶が無い。 引っ被って時を過ごす浅い眠りと寒さの記憶だけが、身に染みて残っている。 予期せぬビバークが出番の道具と思えば辛さも当然で、それは何時も計画が杜撰な単独行での事であった。 要因の多くは、道迷いや前進困難なままの日没などであるから、ビバークは総て
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2016年 07月 30日 18:34回想の山々

幻の 幽霊茸 〜 [銀竜草の彩色]

 俗に幽霊茸[ユーレイタケ]と呼ばれる銀竜草[ギンリョウソウ]は、私が彼此10年も目にしていない今や幻の野草である。 昔、岩場の取付き点へ向かう藪漕ぎアプローチの途中に、時々見かける相当に目立つ植物であった(1957〜1961年)。 倒木と落ち葉が堆積する直射日光のない薄暗く湿った腐葉土に、青白
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2015年 12月 30日 17:31回想の山々レビュー(ストーブ&ランタン)

単独行の相棒〜SVEA 123

 SVEA 123 は、スウェーデン製の登山用小型燃焼器具である。 初めて目にしたのは、岳会の先輩が使いながら其の薀蓄を聴かせてくれた合宿の晩の事だった。 ガス燃料携帯コンロが市場に未出現であった当時、液体燃料の登山用燃焼器具類を総称し、仲間内でラジウスとかラジュースと呼んでいた。 会所有
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2015年 07月 27日 17:47回想の山々

南稜テラスのナポレオン

 「 行こか 戻ろか 南稜テラス〜」 昔、歌われた谷川小唄の一節であると記憶する。 丸腰同然で一ノ倉沢に入ったときには、これより先に進めば戻るのが難しく、国境稜線まで上がりきるしか生きて還る道がない〜、と思案の為所を唄ったものと思われる。 今に言うフリーソロのスタイルで、
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2015年 07月 16日 01:14回想の山々

谷川岳の女〜地下ホームも駅舎もロープウェイも無かった〜

  1955〜57年頃の谷川岳で撮影した女性のスナップ写真3枚を並べてみた。 撮影日時は3枚が夫々異なり、左側と中央が1955〜6年頃、右1枚は確実に1957年である。 季節は3枚とも秋、たぶん土曜日夜半発の夜行日帰り登山での撮影だった。 当時、上越線は蒸気機関車と電
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2015年 07月 01日 17:30回想の山々

下半身のプロフィール

 wakaさんの日記に、新聞の身の上相談欄 百年分から編纂された本が紹介されている。 この類いの話題本には、他に上野千鶴子氏の『身の下相談にお答えします』がある。 ここで『身の下』の文言を敢えて使う事が、如何にも意味深である。 いつの世にも、この種人生相談の多くを占めるのは、男女の色恋と性の悩
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2015年 04月 16日 16:05回想の山々

冬富士と 秋富士の魅力

 「富士は 登るより 眺める山〜」とは、一般によく言われます。 若かりし昔、冬富士に何度も登って、その言を実感した心算(つもり)で居りました。 独り歩きを始めてからも、好んで富士の見える山々を歩くにも拘らず、富士山に登る事はありませんでした。 永いこと、厳しい冬の富士山しか知らなかったのです。
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2015年 04月 04日 19:03回想の山々

瑞牆山 巨大落書き ”聖子命” と大ヤスリ岩

  昔々、小川山の岩場を訓練のゲレンデに使った事があった。 訓練用ゲレンデに使うには難度が容易であったので、新人訓練の2〜3回だけのザイルワーク目的だっただろうか。 キャンプ地は富士見平の林〜、いつも1〜2泊の幕営であった。 ハウスキーパー兼食事当番のある日、暇を持て余し
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2015年 02月 19日 18:33回想の山々

滑落停止の悪夢

 昔、高所から落下する夢を、幾度となく見た事があった。 その脈絡なき直前の状況を憶えていないのが夢の特徴だが、雪渓での転倒が夢の起点なのかも知れぬ。 落下の途中で目が覚めてしまうから、夢にはその後の結末も無い。 当時、「雪渓を滑落する恐い夢をよく見る」と語っていた岳友がいる。 必死に滑落
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2014年 12月 18日 18:10回想の山々

朱色の滑落痕から半世紀の後に〜

 ここ数ヶ月に亘り、帰らぬ旅立ちに備えた身辺整理を、少しずつ始めております。 身の回りの衣類、書籍、小道具、文房具類の整理が終わり、信書の類と名刺の整理を始めました。 信書と名刺は、その殆んどを焼却処分にする積りです。 今は亡き岳友からの手紙や葉書、岳部岳会関係者の名刺を久々に眺めていると、脳
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2014年 07月 19日 18:12回想の山々

ゴジラの背にトリコニーの時代錯誤

 今年は、ゴジラ生誕60周年との事で、ゴジラ映画のリバイバル放映が盛んです。 60年も前の頃と言えば、私は山登りに夢中でした。 毎年夏になると、トリコニー付きのナーゲル山靴を履いて涸沢に設営した岳会の合宿キャンプから、訓練のゲレンデにしていた奥又白と滝谷に連日通いました。 二つの岩場には先輩リ
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2014年 06月 17日 15:55回想の山々

栗駒山麓の故郷

 残念なことに月山以北、白山以西の山に登ったことがない。 遥かな昔に美しいと聞いていた栗駒山は、何時しか北の憧れの山になっていた。 宮城県栗原郡の寒村に生まれ育ち、年若くして独り上京した者の望郷の念とは如何なるものであったか。 当時の彼の心情を思うと、胸迫るものがある。 西の石鎚山と共に
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2014年 03月 14日 14:01回想の山々レビュー(クライミング装備)

短いピッケルと「沢バイル」

 高所作業用品の製造販売を専業とする会社がある。 主として業務用の製品を扱うが、登山用のピッケルとバイルも造っている。 確かに登攀も、遊びではあるが高所作業には違いない。 昨年、その会社の小型ハンマーバイルを手にする機会を得て、そのバランス好く体に馴染むこと、小さいのに気が利いて何かと便利なこ
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2014年 01月 30日 17:03回想の山々

キスリングの藪漕ぎ御免〜!

 先日、東京は銀座で開催の山仲間の新年会に、ザックを背負った登山装束の参加者が数名〜 その中のkさんもuさんも近頃の縦長有名ザック、唯一人aさんは大昔大流行した横長キスリング〜 訊けば明日はその姿で、それぞれ山の中とは羨ましい〜 ところで近頃キスリング背負っての山歩きなんて、aさん小粋だし珍し
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2014年 01月 15日 13:55回想の山々

ブナ平 清広食堂とトン汁の味

  雪山で冷えた身体に、温かいトン汁ほど有り難い食い物は他に類が無い。 トン汁のレシピには色々流儀があるようだが、昔よく喰ったブナ平 清広食堂のトン汁の味が懐かしい。 1961年に始る新婚時代は山の神に付き合い、グループでゲレンデスキーによく出掛けた。 志賀高原 法坂
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2013年 10月 18日 18:45回想の山々

六甲山 孫連れ初登山 珍道中顛末記

  山歩きの珍道中は毎度の事ですが、今回は10月の倅の連休に便乗して神戸・大阪に滞在し、日程の1日を六甲・有馬に周遊致しました顛末記です。 下の孫娘がまだ4才ですから山歩きには早いのですが、私の老化も進行し
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2013年 07月 10日 16:19回想の山々

仰天!の 山靴履き慣らし法

   新品で足慣れしてない山靴なのに、近々大縦走の計画〜 こんなとき靴擦れが心配ですよねぇ〜 短期間の慣らし履き歩行で、山靴を足に馴染ませる仰天の方法があるんです。 その驚愕すべき方法とは〜 大きなヤカンに湯を沸かし、沸騰した湯を左右の靴の中に一杯に注入し
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2013年 06月 21日 12:00回想の山々

履き慣れた靴で、突然の靴擦れ

  履き慣れた靴で、突然の靴擦れを生じたことがあった。 前夜、大菩薩峠の介山荘に泊まり、独り朝発ちで牛の寝通りを小菅に下る途中、間もなく集落の屋根も見え始める頃になって右足の甲の違和感に気付いた。 たいした痛みでもないので、そのままに歩き続けると痛みは次第に強さを増し、急速
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2013年 04月 16日 16:34回想の山々

浦島太郎の山

 浦島太郎が竜宮城から故郷に帰ったときの寂しさを想像すると、少し理解出来るのかも知れない。 奥多摩に奥多摩湖が存在しない頃、そこには深く美しい渓谷があったが、その風景を見た人は既に多くはないだろう。 喪失したその美しい風景を語り合う仲間も、既に身近に存在しない。 先日、変色した古い山写真の
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2013年 03月 20日 13:03回想の山々

合同登山記念碑の謎

 古い山の写真の中に、色褪せたセピアの一枚がある。 若き日の自分と思しき人物の傍らに木柱の記念碑が立っており、書かれた文字が克明に読み取れる。 撮影前1〜2年内に立てられた未だ新しい木柱に見える。 墨跡も鮮明に「第二回 東京都八市職員連合山岳会 合同登山記念」と筆書きされている。 撮影は19
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2013年 03月 07日 17:42回想の山々

セピア色の青春

 『悲しみよ、こんにちは〜』 フランソワーズ・サガンが1954年18歳で発表した処女作の小説である。 同名の映画が2008年にフランスで制作され、作品は日本で2009年に封切られた。 ここで物語のあらすじは語らないが、既に1957年に米英合作で初映画化され、その翌年には公開されており、お膝元の
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2012年 11月 02日 19:23回想の山々

梓川河原にテント泊して屏風岩を見上げる

  好天の続く夏休みに、 屏風岩がよく見える梓川河原で幕営したことがあった。 岳会入会前年の1956年8月のことであった。 学友達と涸沢に幕営の予定であったが上高地への到着が遅れ、途中薄闇の中での夜営となった。 朝、起きだして見上げると屏風岩の景観が素晴らしい迫
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2012年 09月 08日 09:32回想の山々

BLUES IN〜BLUES OUTの狭間 1

 音楽好きの自分だが、未だに山中で音楽を聴くことがない。 自然の中では自然音に耳を澄ますことが習慣になってしまっているのだ。 岳会メンバー時代の1950年代後半にはウォークマンやアイポッドのような音楽器機は兎も角、ラジカセさえ存在せず、携帯電話などの情報機器は夢のような話であったのだ。 それで
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2012年 08月 10日 22:08回想の山々

戦場ヶ原の秋

 戦場ヶ原が最も美しく装う季節は秋でしょうか。 春から夏にかけての花と新緑の季節、冬のモノトーンの雪と氷の季節も美しいのですが、全ての植生が錦織のように染め分けられる紅葉の季節の美しさは格別です。 草紅葉と樹木の紅葉が、日々移ろいながら染め分けられる秋の短い期間が最も美しいと思うのです。
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2012年 08月 07日 22:59回想の山々

朝風のハンモック

 顔の真上の枝越しに 雲ひとつ無い青い空  左を向けば富士があり 右振り向けば越前岳 どちらも綺麗に晴れている  これから歩く山道は どんなに素敵なコースかと 心踊らす老兵が 独り戸外にお待ちかね  さあ〜若者よ山荘を出で 待ち侘びる私を誘っておくれ      
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2012年 06月 28日 17:01回想の山々

花の山旅

 昔、学友達と鍾乳洞見学に訪れた奥多摩の山と渓谷の美しさに、魅入られた事が山登りを始めた切っ掛けでした。 当時、小河内ダムは未だ有りませんでした。 お馴染みの奥多摩湖は、影も形も無かったのです。 山岳会に入り、その現役時代は実によく登りました。 ゲレンデとして都合のよかった谷川岳だけでも
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2012年 05月 25日 01:46回想の山々

既に”オロク屋”は伝説か

 昔、山岳遭難遺体を担ぎ降ろすことを生業とする人々がオロク屋と呼ばれ、奥深い山郷に存在したと伝えられる。 その話を伝え聞いた一年半前に、私の知る限りの話と昔ザイルパートナーだった元相棒から聞いた話を纏めて日記に書いた。 だが、その話は林業や狩猟を生業とする人々が善意で行う捜索や遺体収容であった。
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2012年 05月 22日 14:49回想の山々

雨降って爺固まる

 近頃、温暖化の進行に伴い、突然の雷雨や突風が多くなっているようです。 先日、関東を駆け抜けた突然の雷雨も、雹混じりの烈しいものでした。 家の窓から外を眺めながら、丹沢や奥多摩で登山中の人達は大変だったろうなぁ〜と思いました。 前の日記に書きましたように、大抵3,40分間で移動してしまう雷
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2012年 05月 18日 16:49回想の山々

雷雨襲来

 お昼過ぎ頃に突然、猛烈な雷雨がありましたが、直ぐに晴れて今はもう強い陽射しです。 始りも急変でしたが、終りも又急変でした。 家の中でしたから何ともありませんでしたが、もし登山中に同じような雷雨に遭遇すると大変です。 山中での烈しい雷雨との遭遇は何度もありますが、印象深く憶えているのは何れも単
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2012年 02月 23日 17:32回想の山々

明神岳の姿

 山好きの人なら誰しも忘れられぬ山が幾つかあると思う。 明神岳、谷川岳、宝剣岳が我が忘れ得ぬ山ベスト3である。 明神岳と谷川岳は良くも悪くも忘れ得ぬ山と言うべきだろうか。 昭和の初期まで明神岳は穂高嶽と呼ばれていた。 穂高連峰が多くの登山者に登られるようになるまでは、小梨平付近から
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2012年 01月 24日 16:19回想の山々

セーラー服と機関銃の誤解

 アクション映画の話でも、コスプレ・キャバクラの話でもない。 その連想や妄想がそもそも誤解なのである。 確かにそんな題名の映画が有ったし、観た記憶もあるがストーリーは忘れてしまった。 唯一記憶しているのは、女子高の制服を着た少女が自動小銃を構えて直立している映画館の立て看板だけである。
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2012年 01月 19日 15:20回想の山々

梅と雪を待つ奥多摩散歩

 一月十八日、所用あって青梅市在住の義兄を訪ねる。 所用の後は彼が執筆を始めた著作の冒頭部に関し、その原稿に意見を求められ、感想を述べたり、あれこれと四方山話となる。 奥多摩に隣接するだけあって寒さは厳しかったが、晴天の陽射しが心地よく久しぶりに吉野梅郷周辺を歩いてみる。 梅は未だ花芽が燐
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2012年 01月 17日 14:42回想の山々

熱燗の清酒に”うるか”

 ”うるか”(潤香)は鮎の塩辛です。 主として鮎の内臓と卵子を塩漬けにして造りますが、身を刻んで加えた塩辛もあります。 珍味な上、塩辛く大変に美味しいので酒の肴として最適な食品です。 特に日本酒、それも辛口の清酒を熱燗にしてこの”うるか”を肴に吞むとその絶妙な苦味と香りが口中に広
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2012年 01月 13日 00:39回想の山々

山男の肖像

 ここに一枚の写真がある。 雪の山中で撮影された一人の登山者の立ち姿である。 雪景色を背景にした古い肖像写真のようにも見える。 人物が私の相棒であるから私が写した写真と思われるが明確な記憶が無く、時と場所も判らない。 彼が私の相棒だったのは1961年4月までのことだから、それ以前に撮影
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2011年 12月 29日 14:46回想の山々

朱色の滑落痕

 最近、富士山で撮影された滑落映像がネット上に公開されて話題になったが、その滑落の瞬間と云うには緊迫感のない映像を見て、半世紀以上も昔に同じ富士山で遭遇した滑落遭難事故を思い出してしまった。 若い後輩の相棒と二人で登頂の後、九合目付近を下山中に突然「滑落!」の叫び声を聴き、振り返ると我々のすぐ
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2011年 12月 09日 00:04回想の山々

アッと驚く為五郎〜

 「アッと驚く為五郎〜」 これは昔、高度成長期と云われた時代のテレビ人気番組「ゲバゲバ90分」のタイトルギャグでありました。 元気な行進曲のタイトルミュージックと共にハナ肇のこのギャグと「ゲバゲバ〜ピー」の擬音は、アポロ宇宙船の月面着陸と共に一世を風靡いたしました。 あの頃、私のテレビは未だ白
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2011年 11月 28日 00:14回想の山々

TOR会例会は横浜市最高峰へ

   TOR会は元々秘湯の探訪を目的とする会ですが、現存するメンバーも少なくなり皆高齢で健脚を要する山深い秘湯の探訪が年々難しくなってから、暫らく歩きを中止して呑み会だけに留めておりました。 そこで今回の例会では久
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2011年 11月 11日 13:17回想の山々

秘湯の日帰り温泉 ”しおじの湯”

  群馬の上野ダムのすぐ近くに秘湯と云われる浜平温泉があります。 そこにある”しおじの湯”は上野村の村営日帰り温泉施設です。 先日、初めてこの日帰り温泉を利用しました。 建物も設備も新しく綺麗で、ゆっくりと入浴することができました。 露天の岩風呂に浸かり紅葉の山肌を眺
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2011年 11月 09日 14:34回想の山々

鎮魂の旅へ

 長い間、気懸かりのまま諸事情で実現できなかった念願の「鎮魂の旅」をやっと終へることができました。 御巣鷹の尾根で520人もの多くの人が遭難し亡くなられたその瞬間、私は居酒屋で一人酒を吞み過ごし酔っ払っておりました。 店内のテレビのテロップ、それに続く臨時ニュースから7時の墜落
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2011年 11月 04日 15:00回想の山々

雪崩の季節

 ヤマレコ山行記録の紅葉の色が、日を追うごとに鮮やかな赤や黄からセピアや琥珀色に変わってゆく。 雪の季節到来が間もないのだ。 自分が厳冬期に雪山に登る事は無いのだが、冬山登山に付きものの雪崩遭難の多発が心配な季節がくる。 今年の冬は雪が多いのではないか、との予感がするのである。 昔、雪崩
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2011年 10月 15日 17:31回想の山々

後山林道 紅葉の山旅

 紅葉の最盛期に独り御祭でバスを降り、後山林道をゆっくりと歩き三条の湯に泊まったことがあった。 狙った訳ではなかったが偶々、紅葉の当たり年の最盛期に評判の後山林道の美しい紅葉に遭遇することになった。  飛竜山に登る途中だったが、この時の紅葉の美しさを忘れることが出来ない。 写真機を持参しな
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2011年 09月 06日 11:47回想の山々

奥多摩渓谷とエヴェレスト

 1953年は私にとっても世界にとっても、重要な年になりました。 私にとって何故重要なのかと云えば、1953年の秋、鍾乳洞見物にたまたま友人と訪れた奥多摩渓谷の美しさに魂を奪われ、それがきっかけで登山を始めたからです。 だからこそ私には記念すべき年なのです。 そしてその事が生涯の趣味として私の
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2011年 07月 26日 12:48回想の山々

山小屋の灯

 山小屋の灯 [[YT:yuvie5HzAYk]]  山荘の2階の寝室からは、ベッドに横たわったままで富士山が見える。 富士の裾野、十里木の標高1000メートル弱の高原からは、晴れていれば頂上から宝永火口までが一望に見上げることができる。 土曜日の夜半を過ぎた午前3時に、喉の渇きで目が
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2011年 07月 18日 20:20回想の山々

紅い鼻緒の女下駄

 谷川や丹沢など近郊の沢登りの常連達には、下駄や木のサンダルを履いて山に出かける姿がよく見られた。 勿論遡行を始める前に地下足袋と草鞋に履き替えるのだが、彼らには「俺は沢屋だぞ!」という自負と粋がりがあって、途中の駅や列車内ではカラコロと音を立てて、肩で風を切って歩いていた。 薄汚いハンチングに
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2011年 07月 16日 14:00回想の山々

足・腰・バランス感覚と脳の記憶

 近頃は平易な山道を歩いていて、何かの弾みで躓いたり滑ったり、バランスを崩してよろめいたりすることが多くなった。 加齢による衰えが最近になって急に進行したとは思わない。 40代に達した頃から徐々に進行していた身体能力の低下が、自分自身にもはっきり認識できるまでに進行したに過ぎない。 瞬発力
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2011年 07月 07日 16:31回想の山々

子連れ登山の終わるとき

 写真は1980年7月、私の9歳の子連れ登山のスナップです。 場所は日光戦場ヶ原付近です。 子供が大人と同じ目で山の大自然を見るようになるのが9歳頃でしょうか。 山の大自然を冒険すべき舞台として見て、その美しさと面白さに気付き、価値あるものと思い始めるようです。 そのとき子供は本物の登山者に
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2011年 06月 29日 23:36回想の山々

”夢で逢いましょう”

 夕餉のラジュースの轟音が止まると、周囲に闇と静寂が一気に押し寄せて、既に山々がとっぷりと暮れているのに気が付く。 片付けを終えれば成すことも無く、独りツェルトを被り夜明けを待つ浅い眠りに就くのだが、夢見ることもしばしばだ。 今夜は、お前の好きだったブランデーを俺が代わって飲むとしよう。 そし
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2011年 06月 08日 16:06回想の山々

キャンプの夜は怪談・猥談・珍談奇談で更ける

 キャンプでの食事は献立が味気ない。 故に食事中には余り酒は呑まないが、それぞれ自分の作業分担を済ますと、下半身を寝袋に入れて手持ちの、ウィスキーなど度数の強い酒を舐めるように呑む。 過度な飲酒はゲレンデやアプローチでの活動に支障があり会則で禁じられていたが、皆程ほどにしていたから会則を盾にとっ
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2011年 06月 02日 14:20回想の山々

山に祈る

 涸沢キャンプから滝谷ゲレンデへは、景色が良く歩いて楽しい北穂高東稜を相棒達各人が、それぞれフリーソロで攀じるのが常であった。 他愛の無い雑談をしながら歩くのだが、それでも気の抜けるようなルートではなかった。 晴れた日には毎度痩せたナイフエッジの岩尾根で訓練をしている長野県警の山岳救助隊の脇
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2011年 05月 27日 16:03回想の山々

注文の多い料理店

 ある日のこと、二人の若い女の人が、すっかり山ガールのかたちをして、ピカピカするステッキポールをさげて、トンボの目玉のような大きな色眼鏡をかけて、だいぶ山に登った木の葉のカサカサしたとこを、こんなことを云いながらあるいておりました。 「ぜんたい、ここらの山はさびしいわねぇ。林の中は薄暗いし、花もあ
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2011年 05月 22日 15:57回想の山々

子連れ登山と親連れ登山

 写真は1982年夏、私の最後の子連れ登山のスナップである。 小学4年の倅を連れて山小屋泊りで千畳敷から宝剣岳、木曽駒ケ岳に登った。 この頃、ひょろひょろと急に手足の長くなり始めた倅は、初めてのコースなのにもかかわらず、私の前を小走りに歩き、後から来る私を待つようになっていた。 山に対する興味
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2011年 05月 20日 14:30回想の山々

別の人生

 もしも山に登らぬ人生だったら、どんな一生だったのか、結婚50年の節目を過ごしながら、ふとそんなことを思った。 少年の日、学友と訪れた奥多摩の山と渓谷に魅入られたのが、山登りにのめり込むきっかけだった。 そして今まで長い山登り人生を過ごしてきた。 だが、山に登らなかった人生はいくら考えても
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2011年 05月 18日 12:00回想の山々

TOR会(秘湯探訪会)例会

 雨の降る5月11日の晩に、昨年10月以来のTOR会例会が開催された〜、といっても古いスキーの友人達5人が横浜の居酒屋に集まり、呑みながらの懐かしい昔話に花が咲いただけの事なのだが〜。 今回は珍しく本来の趣旨である秘湯探訪計画が話題になった。 今年の秋に近場の温泉に一泊旅行を実施することが決定し
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2011年 03月 17日 00:34回想の山々

在りし日の徳沢園

 この写真は1950年代末かなぁ〜。 正確な日時はわからない。 5月と8月に毎年行ったけど、写真はどう見ても8月だなぁ〜。 涸沢キャンプへの荷揚げの途中で休んでるのかなぁ〜。 それにしてもザックが古いなぁ〜。 横に幅広いキスリングだ。 あの頃はスキートレンカーとニッカーボッカーが混在
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2011年 03月 04日 01:00回想の山々

好日山荘縁起・抄

 「日々是好日の観念を有する主人には、その門戸を叩く悪日も、握手をすれば乍ち好日となり〜」徳富蘇峰の一文である。 蘇峰は明治時代、好んで山野を歩き回った。 「好日山荘」は登山家、西岡一雄が大正13年(1924)、大阪・堂島で創業した日本で最初の山とスキー専門の運動具店である。 当時、西岡は登山
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2011年 02月 21日 14:00回想の山々

ひょうたん池の畔・明神岳

 夏草は静まり返って一筋の戦ぎも見せない。 天幕の設営を終え、装備の点検が済めばすることもなく、夕食の支度にもまだ早い。 河童橋から遠くはないのに予想以上の時間が掛かり、これから偵察に出るには遅すぎる。 ひょうたん池付近には全く人の気配がなく、キャンプが可能な小さな平地に天幕は一つだけだ。
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2011年 02月 07日 11:28回想の山々

中央アルプスの冬

 中央アルプスの冬を知らない。 これから冬に行くことも、もう無い。 夏も秋も綺麗な千畳敷からの宝剣岳、冬もさぞ綺麗だろう。 心安らぐ、麗しの宝剣と中央アルプスの山々。 また何時か、春に行きたい。 ainakaren [[mounta
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2011年 02月 04日 16:38回想の山々

青春の山・1953−1961

 初めて山に魅入られたのは、1953年秋の少年の日、奥多摩渓谷を訪れたときでした。 秩父多摩が国立公園に指定されて間もなくの頃です。 日原と倉沢にある鍾乳洞の探検に、学友達と出かけました。 皆、通学用の短靴にボストンバッグの街歩きの身づくろいでした。 そのとき、奥多摩の山と渓谷の美しさに魂を
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2011年 02月 02日 16:13回想の山々レビュー(書籍)

山と高原の想い出

 山と高原、といえば昭文社の「山と高原地図」を思い浮かべるのだが、昔その名称の山岳雑誌が存在していた。 いつの間にか廃刊になり、無くなってしまったが、昭和の30年から36年までは確かに存在していて、我々の山岳会の本棚に「岳人」「岩と雪」「山と渓谷」などと一緒に「山と高原」も並んでいた。 記事の内
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2011年 01月 26日 16:45回想の山々

新・オロク屋異聞

 今日の日記はあまり楽しい話ではありません。 遭難死体に関する話ですから、苦手の方は先を読まずにパスして下さい。 昨年の夏、国立**大学山岳部OBのI氏より突然連絡がありました。 「昔、”オロク屋”又は”担ぎ屋”と呼ばれた山岳遭難者の遺体を担ぎ下ろす事を生業とした人達に関し、何か情報はない
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2011年 01月 24日 16:05回想の山々

「一番恐くない沢って何処?」〜

 「一番恐くない沢って何処〜?」 姪っ子を通じて、彼女の友人の易しい沢登りコースの問い合わせです。 訊かれても10年以上も沢らしい沢に入ってない私には最近の沢の状況は判りません。 最近の大雨による山崩れで荒れた沢が多いですから、昔、安全だった沢も今現在は油断できません。 姪は山登りをしま
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2011年 01月 13日 15:34回想の山々

夜行列車でゲレンデへ

 例年、梅雨明けから初雪がちらつくまでが、谷川岳のゲレンデとして好都合な季節です。 降雪期、残雪期の谷川岳の岩場は難度が高く、訓練のゲレンデ向きではありません。 アルプスでの訓練はキャンプを設営した数日間の合宿でしたが、谷川岳でキャンプを設営した記憶はありません。 前夜発の夜行日帰りが通例でし
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2011年 01月 07日 23:30回想の山々

涸沢キャンプからゲレンデへ

 例年、5月と8月の合宿は例外なく穂高周辺でのキャンプでした。 目的のゲレンデに応じて涸沢、横尾、徳沢の何れかにベーステントを設営しました。 8月の滝谷と奥又白での登攀訓練では涸沢キャンプでした。 アプローチを考えると、奥又白の場合は徳沢が良いように思えますが、取り付き点に前穂北尾根から下降す
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2010年 12月 20日 23:00回想の山々

「金子みすず」と真昼の星

 青いお空の 底ふかく、   海の小石の そのやうに、   夜が来るまで 沈んでる、   昼のお星は 目に見えぬ。  見えぬけれども あるんだよ、   見えぬものでも あるんだよ。  女流詩人、金子みすずの詩「星とタンポポ」の一節です。 1984年、この詩に初めて接したとき、大きな
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2010年 12月 07日 15:00回想の山々レビュー(書籍)

『鹿島槍研究』と『谷川岳研究』

 この二冊は、昭和32年から昭和35年にかけて刊行された特定の山の岩場のヴァリエーション・ルートを研究し解説した本です。 32年の『鹿島槍研究』は吉田二郎氏(登嶺会)、35年の『谷川岳研究』は安川茂雄氏(本名・長越茂雄・日本山嶺倶楽部)の手によるものです。 両氏とも第2次RCCに参画したクライマ
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2010年 12月 02日 12:40回想の山々

第2次RCCの時代

 昭和30年代の山岳界で先鋭的に活躍していた登攀集団が昭和33年(1958年)に設立された山岳同人、第2次RCCでした。 多くの社会人山岳会から先鋭的クライマーが参加して昭和30年代から40年代初頭にかけて、多くの先鋭的登攀により国内の殆んどの未登ルートを登り尽くします。 その過程で使用された当
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2010年 11月 24日 17:40回想の山々

日曜はダメよ、そして毎日が日曜日

 『日曜はダメよ』と言えばメルナ・メルクーリ主演の1960年・ギリシャ映画の題名でそのテーマ曲名。 我が青春の日の懐かしい映画、そして懐かしいテーマ曲でありました。 私の日記には音楽ジャンルのカテゴリーもありますが、今日の日記は音楽にも映画にも関係なく、山の温泉の話です。 前の日記「奥多摩
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2010年 11月 22日 16:21回想の山々

奥多摩で日曜トホホ!珍道中

 11月21日(日)、紅葉を見ようと奥多摩へ。 青梅線の左車窓も最近建った住宅で視界を遮られ、日向和田あたりを過ぎるまでは景観を楽しめなくなりました。 その日向和田で途中下車、おなじみの駅前の美味しいパン屋さんは開店前で、そのまま神代橋へ向かいます。 神代橋の上から多摩川の下流を眺めます。
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2010年 10月 28日 02:59回想の山々

WSNスキーの会とTOR会

 昔、ある日の雪上訓練で、ザイル・パートナーの相棒にスキーが自己流に過ぎると批判されてしまった。 その流儀では深い新雪の急斜面は滑れないとの事だ。 カチンと来たが図星だった。 スキー指導員の先生に基礎から教えて貰うよう勧められた。 スキースクールなどで習ったことの無い我流スキーだが、普通のゲ
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2010年 10月 25日 18:03回想の山々

奥多摩珍道中・1953年秋

 鍾乳洞を探検しようと、通学用の短靴にボストンバックで学友と3人で歩いた、未だ奥多摩湖の無い奥多摩渓谷沿いの林道が、私の最初の山歩きでした。 ダンプカーのヒッチハイクや道迷い、途中で日が暮れ腹が減って目が廻るなど、その珍道中ぶりを私の最初の山行記録としてアップしました。 宜しければ、お読みになり
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2010年 10月 04日 18:00回想の山々

真夜中のJAZZ から 真昼の星へ

 『真夏の夜のジャズ』と『アルピニスト岩壁に登る』は何れも1959年制作のドキュメンタリー映画。 アメリカとフランス、国もテーマも違うけれど、ある意味でいい時代の文化的産物だったと思う。 遅れて日本は安保闘争の渦中にあり騒然としていて、自分自身はそうした騒ぎから離れ、真摯に山に対峙していた。
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2010年 10月 02日 00:25回想の山々レビュー(書籍)

処女峰アンナプルナ

 アンナプルナは人類によって征服された最初の8000米峰である。 1950年6月、モーリス・エルゾーグら二人の登山家により成し遂げられた快挙であった。 本書はその登頂までの詳細な経過を、エルゾーグ自身が記録した著作である。 邦訳版は、近藤 等訳、1953年7月初版、白水社より刊行された。 因
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2010年 09月 26日 09:44回想の山々

至近落雷の音

 草津白根山でのこと、火口湖の湯釜を見ようと斜面を登り始めた頃から雲行きが怪しくなり、急に生暖かい強い風が吹き始めました。 頂上で湖面を見ていると、大粒の雨が降り始め、雷鳴が聴こえます。 すぐにレイン・ウエアーを着用して早々に斜面を下り、弓池の毛氈苔を見ようと歩き始めました。 雷雨は益々激しく
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2010年 09月 17日 10:41回想の山々

国鉄青梅線・氷川駅から〜

 街中育ちの子供には、省線電車の車窓から見る郊外の自然は目を見張るほど美しいものでした。 いつも座席に子供坐りに正座して食い入るように車窓の風景を楽しみました。 東京の空襲が激しさを増し、学童疎開で千葉県佐原に移りましたが、その間も湖沼の多い自然の中を走りまわって遊んでおりました。 父が復員し
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2010年 09月 13日 00:30回想の山々

空からの奥日光

 昔の写真をコピーしていたら、空中撮影した奥日光の写真が出てきました。 30年近くも昔の撮影です。 1、男体山と中禅寺湖   2、小田代ヶ原   3、戦場ヶ原、 季節は11月でした。 このような視点から山や原野を見ることは、あまりありません。 戦場ヶ原の木道がはっきり写っていま
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2010年 07月 31日 11:11回想の山々レビュー(クライミング装備)

緑色のへルメット

 昔の話です。 同期の相棒達と3人で奥又白谷を何ルートか稼いだときに、初めてヘルメットを被りました。 その頃はヘルメットは工事現場などで使われ、登山用ではありませんでした。 今にして思えば非常識ですが、当時のクライマーは帽子だけで登攀するのが普通でした。 緑色のそのヘルメットは、相棒のO君が
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2010年 07月 23日 12:37回想の山々

墜落の日・御巣鷹の尾根

 あの日のその時、何処で何をしていたでしょう。 休暇明けで山行後の筋肉痛と、仕事疲れの精神を慰めるため、自分で自分を接待し、行きつけの居酒屋で一人寂しくカウンターに坐り、ぼんやりテレビを見ながら、ビールジョッキを傾けていました。 6時半を過ぎ暫らくして、突然テレビ画面にテロップ、「JAL機消息絶
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2010年 07月 12日 18:03回想の山々

半世紀の山行が50座に満たない?

 日本100名山の制覇を数年で達成した人の日記を読んで、自分が頂上に立った山を思い出しながら書き出してみた。 これまでの60年の結果は、なんと!〜、五十座に満たないのだ。 忘れている山も有るかも知れないが、筑波山や高尾山まで含めてもそうなのだ。 何度も登っているのに頂上に行ったことの無い山も沢
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2010年 07月 10日 09:16回想の山々

グリセードで突然消えた相棒

 谷川岳、春のマチガ沢は出会いのすぐ上からすぐ雪渓が始まり、稜線まで切れ目なく続く。 静まり返った雪渓を、相棒と2人〜アイゼンを履きフリーでひたすら本谷を詰める。 要の滝下までは何と言う事もない。 見上げれば稜線の雪庇は既にすべて崩落して、60度の雪壁の遥か上部に2,3メートルの垂壁をつくる。
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