![]() |
![]() |

岳会入会前年の1956年8月のことであった。
学友達と涸沢に幕営の予定であったが上高地への到着が遅れ、途中薄闇の中での夜営となった。
朝、起きだして見上げると屏風岩の景観が素晴らしい迫力で目に入り、皆、歓声を上げた。
当時の屏風岩はルートの確定も少なく、登る人も稀だったので深閑と静まり返っていた。
その岩壁を見上げ迫力に圧倒されながら、後年自分が登ることなど想像すらしなかった。
遅い朝飯の後、涸沢に移動し十数張りのテント集団の末席に自分達のテント3張りを張った事を記憶している。
当時、夏休中でも涸沢のテントの数はそんなものだったし、テン場は自然発生的に生じ場所の指定もなかったように記憶している。
涸沢に泊まって、確か北穂高南稜を登りザイテンを下ったように記憶しているが、あの頃の北アルプスは若者ばかりの山で、子連れも中高年も殆んど見かけることがなかった。
あの深閑と静まり返っていた屏風岩も、現在ではクライミングルートが数多く存在する岩壁登攀の殿堂となって、小学六年生が東壁の登攀実績を残すほど親しまれている。
http://www.yamareco.com/modules/diary/8042-detail-42308
夏の涸沢は数百張りのテントと子連れ、中高年を混じえた大勢の登山者で賑わいを見せている。
現代の登山は環境、装備、技術のみならず経済や精神など多くの人々への貢献度でも進化してきていると思えるのである。ainakaren
ainakaren さま
帆布のずっしり重い頑丈な家型テントですね。
フライがなくとも防水完全。
1956年では私はまだ2歳。
1960年代後半で幕営経験スタートしましたが、その頃もテントは帆布主流。
入口が紐でした。
この写真も紐ですね。
支柱に巻いて、、、トイレに出るとき時間かけずに暗闇で素早く。
今はファスナーで「じーーーっ」。
起こしてしまうような後ろめたさが
77ms1ksbさん、こんばんは。
昔のテントは重かったですね。
当時のことは懐かしいですが、はっきり記憶していることと忘れて思い出せないことが混在しているのです。
写っている人物は、下着の下に網シャツ着てるように見えますね。
この頃、流行が始ったと記憶してます。ren
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する