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そう〜、世間で言う山道具の重要度番付の事です。
山靴とザックは確かにどちらも重要ですが、順番は付け難いですね。
3、4が無い理由がよく解りませんが、5の雨具もとても重要ですね。
重要度は登山の季節や形態にも関連しますが、重要な山道具は本当のところ3、4が有っても合計5点では足りず、少なくとも10点以上有りますね。
人によっては、5にGPSやストックポール、熊鈴を挙げるかも知れませんね。
勿論その場合、雨具を3か4に加えた上でのことでしょう。
深く考えたことも無いのですが、自分なりの番付は如何でしょうか。
山道具の番付は、必要度ではなく品質と機能(使い勝手)の重要度でしょうから、登攀現役時代は 1に山靴 2にザック 3、4が内緒で

登攀引退後の現在は、やはり世間での言われ方に近い、1に山靴 2にザック 3、4が内緒で

ところが重要度云々を言うには、何れも其れに値せぬ時代遅れの古い山道具をメインに使い続けています。
・1の山靴・・・・トップ靴店のTop山靴(牛革製注文靴)
・2のザック・・・シュイナード ドラゴン(#CH-118)
・3、4が内緒〜

・5の雨具・・・・デサント セパレート(ゴアテックス)
内緒の3、4は何だか解りますか?
さて、皆さんの山道具 重要度番付は〜?







やっぱりお酒かと思います。
お酒を入手できない所での幕営では、特に。
私の場合、アルコール純度が重要と(軽量化の意味において)思うのですが、そうとも割り切れない嗜好品。
悩みます。
冬場に向かって、タンカレー&レモン。お湯で割って温かい。
他になんか、お勧めは。
日記の趣旨とは、外れますけど。
山装備の番付なら飲食品も有りですね。
山酒の質ならば、ブランデーが度数が高く、いいかも〜。
カミユに無糖の料理用チョコレートパッドに塩かザラメ糖を少し付けて肴にしました。
ワインもいいですが、度数が低いのが欠点。
無糖チョコは菓子売り場には有りません。
ヤマレコに入会してからこの方
装備がなんか時代に逆行していくのですが
(例として靴 シリオ→やや重いゴローの靴→地下足袋)
ただいまザックは風呂敷はどうだろうかと思案中です
晴れの日の丹沢は大倉屋根往復程度でしたら
問題ない気がするのですが・・・
・・・あ〜でも風呂敷で電車は辛いな
風呂敷は便利でいいですが、唐草模様だけはヤバイかも〜。
風呂敷背負って地下足袋履いて、頬かむりしたら職務質問確実です。
ヤマレコTシャツというのは如何
東京ボン太みたいな唐草模様のヤマレコTシャツなら重要度高いけど、倶梨伽羅悶々(刺青模様)ならば番付格上げでしょうか。ren
個人の趣味、体力、経験、財力によっても違って来ると思います。
然し最低限、必要なもの。これらは、皆、夫々の経験により言われてるのですよね。初めて知りました。
山をスニーカーで登る。足が痛くなる。我慢できない。登山靴を買う。我慢できる(快適な)人はスニーカーで充分。実際に体験し必要な物を決めるべきだと思います。登山具、手に入れば便利、安全、快適に過ごせるものばかり!だが、手に入らない。では、考え、工夫しながら生活用品の中で、定める。
経済的に雨具を買えない。では、高気圧の張り出した安定した日を狙っていこう。てな具合に。何を隠そう私の雨具は、雨漏り中。
私もricalojpさんと同様テント泊の日は、ビールを欠かしません。此れが、楽しみに重いザックを背負っているのですから。
山道具番付は基礎的にないと登山が成立せず、しかも健康、保安上重要な道具を挙げているように思います。
履物と荷物の運搬具は登山に欠かせない重要な道具であるし、3、4がないのは天候次第では重要でない雨具との差が大きいことを比喩しているのだと思います。
大政、小政と森の石松みたいなものでしょうか。
私の1、2、5は30年物で重い旧式なのですが、愛着があって現用を続けています。
先ほど書き忘れましたが、無糖チョコは本来ワインの肴に合うのです。
でも夏山ではビールがうまいですねぇ〜。
ainakaren さま
今宵もほろ酔いの芋ですが、、、
なんといっても山のお供は「芋酎」
えっ
とーぜん転んで怪我した時の消毒用ですよ
肝臓の怪我
転んで怪我は履物が悪いか、ザックのバランスが悪いかでしょう。
やっぱり1に山靴 2にザックですよ。
肝臓の怪我ですって〜。
それは焼酎の質の問題かな。
酒の重要度、高いですからね。
メチール混ざってませんでしたか。
燃料用が混ざったりして〜。
それはもう遭難です。
そうなんですよ。ren
ainakarennさんメチールとはやはり古いですね、
戦後の酒代わり飲んでいたとは読んだり聞いたりしましたが、
おそらく今の人には意味が解らないと思いますよ、
77ms1ksbさんでもギリギリですかね、
山で酒は安ウイスキーですよ、それもストレートですか、
度数が高いですから早く酔えますし、降りてきてはビールです、
3〜4は酒とainakarennさんの歩きながら食事代わりになる、
食べ物ではないでしょうか、
そうでした道具でしたね、ライトも欠かせませんね、谷川が多いようですから、もしかして地下足袋なんて事はないですよね、
メチールは飲むと目が散るんですよ。
目が見えなくなって、命にも関わる危険な酒でしたね。
昔、カストリ焼酎に安い燃料用メチルアルコール混ぜた安酒を密売してましたね。
その安酒を大量に飲んだ犠牲者が大勢出ました。
安い酒を買った貧しい人たちが犠牲になりました。
3と4は内緒ですが地下足袋は最重要の1の範疇ですよ。
3,4は皆さんのご想像にお任せしますが、各人の登山形態により其々違いのあるところでしょう。
5はセパレートと云っても雨具であり、女性用水着の事ではありませんよ。
ainakaren さま
しつこくてすみません。
この場をお借りして、、、
はい、今宵もほろ酔いです
naiden46 さま・・・ごぶさたでございます。
ぎりぎりり少し外れていますが、戦前戦中戦後の話は爺婆、ととさまかかさまから沢山聞きました。
ととさまかかさまとも江戸っ子なので銀座(新橋)、赤坂(浅草)、六本木(神楽坂)は庭ジャマイカ
小さいころ連れられて浅草六区や地下道(今も健在)、また、上野駅のホームから見える線路には「ぼっとん」がそのままに
ええ、とーぜんカストリにメチール解ります。
そして、そうなんですよ
・・・やっぱ3・4に水筒入りません?
ウイスキーの瓶そのままキスリングはありでしたが、割れたらもったいないし
77ms1ksbさん。
水筒は無いと困りますが、有ればペットボトルでもポリタンでも、うん万円の高級水筒でも同じように用が足りますからね。
山道具重要度番付は必要度の番付ではなく、性能、機能の重要度番付ですから水筒は3,4には絶対入りませんね。
でも中がウイスキーで満たされている水筒なら話は別で番付は格段に上がりますね。
何の番付ですかねぇ〜。
呑ん兵衛番付でしょうか〜
naidenさんも77msさんもご存知のように、私が谷川岳に通っていた頃、メチールもカストリもありですし、上野を出る夜行列車は蒸気機関車でしたからトイレは垂れ流しで、揺れない停車中に好んでキジ打ちをする人が多くて、駅ホーム下にポットンが多かったんですよ。
踏切りの列車通過待ちで、飛沫を掛けられた人も沢山居ましたよ。
当時は街中でさえそんな状況でした。
現在の山の中での野外大小キジ打ちの問題視など、当時想像も出来ませんでしたね。
ainakaren さま
またまた本日も「芋」でほろ酔いです
ではほんとの3&4.芋的には(あっ!77ms1ksb→芋77で構いません)
・・・地図&コンパスですかね。
まだ地形図1/25,000が全部揃っていなかったような記憶で、もっぱら1/50,000で徘徊していたような記憶です。
それも白黒印刷のみ(飲み
蒸気機関車、、、懐かしい風景が浮かびます。
始めてスキーしたのが昭和32年頃、上野駅から蒸気機関車で飛沫を浴びながら駅弁と瀬戸物の容器のお茶をいただきましたね(小さい頃なのによく覚えています)。
車内は煙草の煙と蒸気機関車の煙が、、、
土樽駅前のスキー場でした。
ヒッコリー一枚板の金属エッジのない滑走面は蝋をたっぷり塗ってから、それでもたっぷり雪がついて
ストックも竹竿
リングも籐か何かで皮で止めてあったですね。
乾燥室の重油ボイラーの匂いがまだ鼻の奥でよみがえります。
戦後10年以上経っている頃ですが、まだまだ物がないころに、よくぞ父は経験させたくれたものです。
おかげで学生の頃はスキーではちょっといい思い
金田スキー、スワロースキー、小賀坂スキーと国産があ気に入っておりました。
地図もコンパスも、どれも似たりよったりで差はあまり有りませんね。
昔は地理院の白黒5万分の1しかありませんでしたからね。
オイルなしのコンパスで壊れやすかったし〜。
夏の夜行列車は地獄でしたね。
暑いし、煙いし、網戸閉めても煤で顔が黒く煤けて美男美女も台無し〜。
熊谷と高崎で機関車メンテで停車時間が少し長く、ホームの駅そば喰いに走ったもんです。
乗り遅れて一人だけ後から西黒尾根走って登った奴がいましたねぇ〜。
計らずもの空身のトレイルラン〜当時トレランなんて無かったけれどね〜。
オキの耳近くのBルンゼの頭に先に到着してましたが、往路をそのまま引き返す破目になって、ぼやいてましたっけ。
冬はスキー客で混みましたね。
湯沢、岩原、石打などへのスキー客が多かった。
板はヒッコリーなら上等で、水なら、イタヤが多かったです。
皆、銀パラのコテ塗りで滑ってましたね。
ストックはトンキン竹なら最上級、六角貼りの合竹か並竹で、金持ちのどら息子達だけがメタルのストックとヘッドやフィッシャーのメタルスキーを使ってましたよ。
板は風間、西沢や札幌の芳賀、アジア、ニュージャパンなど使ってました。
岡本太郎氏がデザインした風間の「太郎モデル」の板が格好良く、憧れましたが買えませんでした。
http://www.jhk.or.jp/newspage/201005/news%204.html
山スキーの締め具はカンダハーでしたが、ゲレンデスキーはラグリーメンを使いました。
色々、思い出すなぁ〜。ainakaren
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