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遭難死体に関する話ですから、苦手の方は先を読まずにパスして下さい。
昨年の夏、国立**大学山岳部OBのI氏より突然連絡がありました。
「昔、”オロク屋”又は”担ぎ屋”と呼ばれた山岳遭難者の遺体を担ぎ下ろす事を生業とした人達に関し、何か情報はないか」〜、との問い合わせでした。
それには、I氏が山岳部現役時代に昭和12年生まれの先輩OBに聞いた、ある体験談が背景にありました。
そのOBが現役山岳部時代の昭和30年代に、参加したパーティーが遭難事故を起し仲間の一人が亡くなりました。
その時、北アルプス山中の嶮しい場所で発見された遺体を、下界まで手馴れた手順で担ぎ下ろしてくれた現地の人達が居たそうです。
OBは山里の人達の親切さに驚き、感謝の気持ちを持ったそうです。
ところが葬儀や事故の後処理が終わり一息ついた頃、突然遺体運搬費として数百万円の請求書が山岳部宛に送られてきたのだそうです。
支払いのために山岳部全員がアルバイトをして返済に2年掛かり、そのために留年する人も居たとの事です。
I氏は”オロク屋”の詳細や、それに纏わる話に関心があるとの事でした。
私が所属していたのは社会人山岳会ですが、そこでの活動時期が昭和30年代で、そのOBと一致しています。
その頃私が先輩から聞いた話は、似てはいますが少し違いました。
北アルプスで仲間が雪庇を踏み抜いて遭難したとき、捜索により発見された遺体は、両手を伸ばし、腰をくの字に曲げた形でカチカチに凍っていたそうです。
遺体を整えることは勿論のこと伸びたままの腕を曲げることすらできなかったそうです。
捜索に協力してくれた山里の人が、慣れているからと、その変形した硬い氷のような遺体を上手に背負子に縛りつけ、一人で担いで荼毘ができる平地まで下ろしてくれたそうです。
まるでロダンの彫刻を担ぎ下ろすような光景だったと話していました。
もう何人もの凍結遺体を担いだと云っていたそうです。
捜索に協力してくれた数人の里人にお礼のお金を包んだそうですが、その金額は当時の大工棟梁の日当を割り増しした程度で、遺体を終始一人で担ぎ下ろしてくれた人には、別に同額位のお金を包んだそうです。
彼らの生業は狩猟や林業などで、捜索への協力は彼等の善意であり、受け取るお金は休業補償的意味合いであったといいます。
私の知るところはここまでです。
山岳会の同期で、私より2年長く在籍した元相棒と最近逢ったので”オロク屋”の件を訊いて見ました。
オロク屋なる言葉は知っていました。
オロクと云うのは死体の事で、語源は漢数字の六から来ているそうです。
南無阿弥陀仏の六文字からとの説と、三途の川の渡し賃の六文銭からとの説が有力ですが、異説として死んで楽になるの”楽”が”六”に訛ったとの説もあるそうです。
死んだ本人は楽でも仲間も家族も大変です。
大変が済んでも長い悲しみを背負うのです。
遺体を担いだ人は山里でオロク屋と呼ばれて人によく知られており、どんな形に変形したまま凍結した遺体でも器用に背負子一つに縛りつけ、風雪の嶮しい岩場の道でもバランスよく担ぎ下ろす名人との事でありました。
しかし、”オロク屋”と呼ばれても、それが彼の生業では無かったようです。
昔の相棒の知るところも、ここまででした。
今では遭難遺体を現地で荼毘にすることもなくなりましたが、昭和30年代はそれが普通でした。
上高地でも、土合でも荼毘が行はれていて、私も幾度か体験したことがあるのです。
道路事情ばかりでなく遺体運搬車とその冷蔵設備の発達、法整備などにより今では荼毘は見られなくなりました。
昭和30年代の山の話も今や消えてゆこうとしています。
寂しいことですが、それが世の常です。
このオロク屋の話は、I氏にも、私にも、元相棒にとっても既に伝聞に過ぎないのです。
まもなく忘れ去られてしまうのでありましょう。ainakaren
(追記)オロク屋、昔、山岳遭難遺体の担ぎ下ろしを生業としていた職業集団に関する資料・文献・伝聞などをご存知の方が居られましたら、コメント、又は内容によってはainakaren宛てメッセージを頂きたいと思います。
この話のご感想のみでも、コメントをお寄せ下さい。
ainakarenさん、こんにちは
オロク=遺体は知ってましたが、”オロク屋”は知りませんでした
daizさん・こんばんは。
私はそれを生業として専門に行う業者が居たことを不明にして知りませんでした。
どこかに文献が残っていれば解明が進みますが〜。ainakaren
こんにちは。先ごろ亡くなられた寺田甲子男氏関連の著書で、当時の話を読んだことがあります。「ロク」、、、出てきますね。即死のこと「即ロク」って書いてました。
自分は図書館で借りたのですが「谷川岳大バカ野郎の50年」は面白かったですよ。
昔は今と違い、遭難すると破産すると言われ全額自己負担で捜索隊員一人に3〜5万円10人で2〜3日、
ヘリなど使えば1時間で数十万円それだけで100万円以上の請求書が届きましたよ、
当時私達の山岳会では全員強制的に山岳保険に入れられましたよ、
今みたいに救助作業が進んでいなかったから、知り合いの山岳会から救援を頼み、無所属では地元の人達に頼むしかないから、専門にしている人がいたのでしょう、
荼毘も実際40年代はじめまで行っていましたよ、
今では何かと言えば簡単に、すぐに携帯で救助を求めますがその費用はその地元の県民の税金です、
bjj_saikoさん・こんばんは。
私もオロクが死体の事とは知っていましたが、何故そういうのかは考えたこともありません。
「お六」と書いている本もありますね。ainakaren
naiden46さん・こんばんは。
いずれにしても遭難すれば、お金も掛かるし、周囲の迷惑も大変です。
死ねば家族や友人を悲しみの底に突き落とします。
確かに、保険だけには入っておくべきですね。ainakaren
おはようございます。
最近、子母澤寛の「新選組遺聞」を読んでいます。司馬遼太郎の『小説』とはまた違った良さがあり。生証人の言葉の重みというものを感じました。不躾なリクエストでしたが、掲載頂きありがとうございました。
『オロク屋』について、僕が最初に知ったのは、山岳偉人列伝だとかいう漫画で、小西政継か長谷川恒夫の話の一コマに死神の様な雰囲気で描かれていました。その後、先輩から話を聞き、内地は怖ろしいところだなぁと思った次第です。
また、最近『芦くら寺物語』という本を読みました。剱・立山の麓に暮らす佐伯一族に関するお話です。彼らも立山詣でや狩猟、ガイド業の傍ら、要請があれば捜索・救助に赴き、遭難者を家族に対面させる為に、時に、自らの命を危険にさらしながら担ぎ下ろした模様です。
植村直巳のいた明治大学山岳部や信州大学山岳部では、1年生は50〜60kgのボッカトレーニング(しごき?)をさせたらしいですが、これも怪我をしたり、息を引き取った仲間を置き去りにする事なく、自分たちの力で担ぎ下ろす為の心構えのひとつと聞いたことがあります。
山中での荼毘、パーティの結束、厳しいトレーニング。レジャーとなった山登りにはいささか不似合いですね。平和な日々が続くことを祈っています。
ainakarenさん、こんにちは。
何だか映画になりそうな話ですね。
これを元に脚本を書いたらって思いながら読みました。
ihara1990さん・こんばんは。
文献によれば捜索に出動した地元民の中で、遺体を担ぎ下ろすスペシャリストが「オロク屋」と呼ばれたようですが、それを生業としていたという記述は見つかりません。
猟師、林業、案内人などが本業とされています。
遺体を一人で担ぎ下ろすには、特殊な技術と習熟が必要だし、それを皆が忌み嫌ったので特定の人が「オロク屋」と言われるようになったようです。
「オロク屋」の仕事が生業として成立するほどの件数であったか疑問な点でもあります。
もう少し調べて見たいと思います。ainakaren
daikokuさんこんばんは。
映画ならやはり「オロク屋」の半生を描いた話でしょうね。
人に忌み嫌われる仕事を善意で黙々と続ける山郷の男〜ですか。
最後は自分が殉職してオロクになり、彼の良き理解者である親友に担がれて山を下る〜泣かせますよねぇ〜。ainakaren
大学の時に聞かされた“剱の歌”の替え歌?の谷川岳篇?に、“オロク”という言葉が出てきた("湯桧曽の流れ オロクがとれる 一度おいでよ 我が一ノ倉へ")のを憶えている程度で、“オロク屋”については何も知らないので、本筋からははずれてしまいますが...、ihara1990さんの話で思い出したことがあります。
私も“中退”したM大山岳部では南アルプス縦走で北岳を越えるときに60kg背負わされたことがありますが、このクラブにも“オロク”を担ぎおろせる人はそんなにいなかったと思います。しかし、中には伝説的なOBもいて、詳細は忘れましたが、滝谷かどこかの岩場で遭難があったときに、誰もが手をこまねく中、その人が一人で担ぎ降ろしたそうです。このY氏のことは確か根深誠の「風雪の山ノート」にも出てきます。
kennさん・お久しぶりです。
最近では遭難遺体はヘリに吊るして下ろしますが、昔は人が担ぎ下ろすしかなかったのですね。
嶮しい山中では担架もスノウボートも使えず一人で担ぐしか無かったのでしょうね。
昔、エレベーターのない団地に引っ越したとき、ピアノ専門の引越し業者が3人で狭い階段を運び上げようとしましたが、足場が狭くて巧くいかず、中の屈強な一人が200キロを独力で背負い上げたことがありました。
団地の階段より遥かに嶮しい山では一人で背負うよりないのです。
その意味で60キロを背負うボッカ訓練は絶対に必要だったのです。
軽目の50キロでしたが私も体験させられました。
苦しかったですね。
今では懐かしい想い出ですが〜。ainakaren
はじめまして飯縄山の記録を読んで頂いたnekobaと申します。
オロク屋異聞の日記を興味深く拝見させて頂きました。
ちなみに、今、登山愛好家のバイブルとも呼ばれる「岳」という山岳レスキュー隊員が主人公の山岳漫画をご存じでしょうか?現在、小学館より13巻まで刊行されていますが、第7巻に、昔の救助活動では山中で荼毘に付していたエピソードが紹介されています。
もし、未読でしたら、非常に良質な山岳漫画ですので
ご一読をお勧めさせて頂きます。
nekobaさん・おはようございます。
ご教授の山岳漫画「岳」を読んだことはありませんが、ihara1990さんのコメント中にたぶん「岳」のエピソードに似た山岳漫画のご紹介がありました。
荼毘は現役時代に土合と上高地で経験しています。
遺体が焼かれたときどうなるか、などは機会を見て日記に書いて見たいと思います。
山岳漫画「岳」を機会があったら読んでみたいと思います。
昔の山の話が正しく後世に伝えられることを願っています。ainakaren
最近は漫画喫茶というとても便利、出版社にははなはだ迷惑なものがありますので、そこで一度試し読みしてみらては如何でしょうか。ainaka renさんならきっと気に入れらると思います。
また、5月7日には映画化されますので、漫画を読んで気に入られたら、こちらも是非お勧め致します。
nekobaさん・漫画喫茶で読めるのですか。
それは便利ですね。
まだ漫画喫茶もメイド喫茶も行ったことがありませんが、是非「岳」は読んでみたいですね。
ネットカフェでさえ未経験です。
この歳で社会勉強も手遅れですが、冥土の土産にメイド(冥土)喫茶と漫画喫茶もいいかも知れません。
映画は是非観たいので楽しみにしています。ainakaren
ainaka renさん
さすがにメイド喫茶は止めておかれたほうが...。
nekobaさん
メイド喫茶ならぬ冥土喫茶ですよ。
いづれ、近いうちに行くことに〜。
ainakaren
ainakarenさん
アワワワワ
まだまだお元気にお過ごし下さい。
明日から八ケ岳の天狗岳-硫黄岳-本沢温泉で雪見露天風呂に行って
まいります。
また記録を投稿しますのでご興味ありましたらご覧下さい。
こんにちは。小西政継氏の著書を
元にコミカライズした氷壁の達人一巻にそういう稼業のグループが出てました。元ネタの小西氏の著書には
出てなかったので、私も詳細を知りたいです
sikakaiさん、こんにちは。
コメント深謝です。
有り難う御座います。
コミックに、そうしたシーンがあるのは承知していますが、真偽の程は確認できませんでした。
この件につきましては、既に詳細不明として調べを終了しております。
こちらをご覧くだされば幸いです。ren
https://www.yamareco.com/modules/diary/8042-detail-35582
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