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いつも座席に子供坐りに正座して食い入るように車窓の風景を楽しみました。
東京の空襲が激しさを増し、学童疎開で千葉県佐原に移りましたが、その間も湖沼の多い自然の中を走りまわって遊んでおりました。
父が復員して東京に戻りましたが、自然への憧憬は消えることがありませんでした。
中学の地理の校外授業に国鉄青梅線の日向和田の川原で岩石の採集をしました。
そのとき、車窓からの風景で奥多摩に魅入られてしまったのです。
初めてのハイキングは友人と3人で日原と倉沢の鍾乳洞を見物に行きました。
その時を1954年と記憶しておりましたが、先日その写真を複写するためにアルバムから剥がすと、裏側に1953年秋と書いてありました。
人の記憶は情景には正確でも日時など数字には弱いのでしょうか。
旅の楽しみは国鉄青梅線の左側車窓の風景から始まりました。
終点の氷川駅(現JR奥多摩駅)に到着するまで、3人とも子供坐り同然の姿勢で外を眺めておりました。
小河内ダムは未だ在りませんから奥多摩湖も影も形もありません。
そこには深く美しい渓谷と、眩暈のするほど高く細く長い、風に揺れる釣り橋が掛けられておりました。
あちこち林道を歩いてから日原渓谷の鍾乳洞を見物し、又、延々と歩いて倉沢鍾乳洞の見物を終えたのは夕刻近くでした。
あの頃、路線バスは在ったのでしょうか。
バスなどに乗らず、只、息を呑むほど美しい渓谷の崖沿いの林道を、ひたすらあちこちと歩いた記憶が残っています。
初めてのハイキング、この時の記録が私のヤマレコ山行記録第1号になる予定です。
既に登録した数件と後先になりますが、近々アップしようと思っています。ainakaren



*写真は、本日の「庭の珍客」です。
昔の登山に憧れる甚左衛門より
時が移れば山も変わる、登山も変わる。古き良き時代のお話と写真を楽しみにしています。敬白
ainakarenさん、こんばんは。
>息を呑むほど美しい渓谷
hirorineがいくら逞しく想像しても、想像以上に美しいのでしょうね
そういうものの代償として“利便さ”を手に入れ、その中で産まれ育ったhirorine世代には
惜しむ感情は許されないのかもしれませんが、やはり残してほしかったです。
せめてainakarenさんのお話、あれば画像などで思いを馳せたいものです。
jinzaemonさん・こんばんは。
コメント深謝です。
山は変わらなくても山登りは目まぐるしく変わりますね。
でも人の手で変わってしまった山郷もありますね。
満々と水を貯めた奥多摩湖、昔は本当に美しい渓谷でした。
でも現在の奥多摩はまだ充分に美しいと思います。
奥多摩は私の山登りの原点なのです。
懐古的感傷で書いてしまう老人の昔語りをお許しの程を〜。
写真は倉沢鍾乳洞前で撮影した1枚だけですが、文章で補ってアップしたいと思います。
顔面の修整が済んでからになりますが読んで頂ければ幸いです。ainakaren
hirorineさん・こんばんは。
コメント深謝です。
年寄は記憶の薄れた分だけ想像力で補い、その過程で全てを美化する傾向があるのかも知れません。
本当に美しい渓谷でした。
釣り橋も3分の1ほど渡りましたが、高度感と恐怖感で四つんばいで引き返しました。
懐かしい思い出です。
話は違いますが宝剣岳の千畳敷カール、美しいですよ。
是非一度ご覧下さい。ainakaren
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