休暇明けで山行後の筋肉痛と、仕事疲れの精神を慰めるため、自分で自分を接待し、行きつけの居酒屋で一人寂しくカウンターに坐り、ぼんやりテレビを見ながら、ビールジョッキを傾けていました。
6時半を過ぎ暫らくして、突然テレビ画面にテロップ、「JAL機消息絶つ〜!」
ほろ酔い気分も吹っ飛びました。
店内は騒然となり皆テレビを注視しました。
間もなく7時のニュースがそのまま引き継いでこの大ニュースを伝え、やがて山岳地帯に墜落と伝えられました。
多くの人命の失われる悲惨な大事故でした。
8月12日は慰霊の日として、特別な日とされています。
そのほんの数日前、私は3泊4日の山旅から帰ったばかりです。
コースや山での出来事を克明に記憶しているのに、日時については記録がないので克明ではありません。
あの頂上に立ったのは、山行2日目の11時頃ではなかったかという程度の記憶です。
それでも天候や眺望、頂上に居合わせた人達の様子などは、克明に覚えているのです。
山登りに入門したとき記録を取ることの重要性を厳しく教えられました。
筆記具の防水方法と携帯方法、文具の選択、記録すべき事項などに関する事でした。
そして山行には必ず記録担当者が決められていました。
いつも几帳面な人が選ばれて任にあたり、ズボラな私が選ばれることも無く、いつも同じ数名が順番で担当していました。
退会後は単独行になり、始めは教えれたように記録していましたがすぐ面倒になり、沢登りの泳ぐような渡渉で防水も効果無く濡れて台無しになって以来、やめてしまいました。
大事件の日時は世間が共有して日付が解らないなどということは有り得ませんが、自分の山行日や知人の命日などは覚えていないし調べようもありません。
山ではそのときの自分自身の感じ取った印象が大切で、その記憶が懐かしい人生の宝になります。
最近は小型のデジカメを持って山に登りますが、撮るのはスナップ写真ばかりで、昔のように風景写真や花の写真を撮らなくなりました。
大自然の中にある山も、ひっそりと咲く花も、そして自分自身も又、自然の一部として、ひっそりと肉眼で観る、そして心の印画紙にしっかりと焼き付ける、今では齢のせいかそんな山の味わい方を好むようになって居ります。
今、御巣鷹の尾根の周辺には、どのような花が咲いているのでしょうか。
慰霊と山の印象を心に焼き付けに、何時の日か登ってみたいのです。ainakaren
ainakarenさんへ
また、あの8月がやってくるんですね。
私の去年の日記です。
「あの日の御巣鷹の尾根で」
http://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-3964
あのような山は、最初で最後になります。事故も最後にしたい。
tanigawaさん・コメント深謝です。
1年前の記事、初めて拝見しました。
壮絶なご体験をなさいましたね。
当時の報道関係者の御苦労は後にテレビ映画化の劇でよく存じ上げております。
日記を読んでいるとそのシーンを彷彿とさすところがあり、本当にあの状況だったのだなと感じ入っております。
凄惨な墜落事故現場をご体験になられて、その後、精神の安定はすぐに得られましたか?。
25年の年月が次第に少しづつ和らげる事ではありますが・・・
私も50年も昔の事、連続した3件の山岳事故が転機となり、生き方が少しばかり変わりました。
今では、総てが想いでの中だけにあるのです。相中
(追記)8月12日で、あれから25年、四半世紀の節目の日です。
当日の夕刻の墜落時刻には謹んで黙祷を奉げたいと思います。(7月26日追記)
ainakarenさんはじめまして
あの日のこと、よく覚えてます。
あの日は父のお正月以外の
唯一のお休みでした。
家族4人でで江ノ島に遊びに行き、
思い切り楽しんだあと知り合いのお店で、
夕ごはんを食べている時ニュースを見ました。
自分がとても楽しい日をすごした日に
同じ歳くらいの女の子が
こんな悲惨な事故に巻き込まれたことが
切なくて悲しかったこと、、よく覚えています。
二度とこんな悲惨な事故が起きないように。。
そう願っているのに、なかなか無くなりませんね。
yuki G Kさん・コメント深謝です。
520名の尊い命が御巣鷹の尾根で失はれた、あの魔の時刻に、私も江ノ島に近い鎌倉の大船駅近くの居酒屋に居りました。
あの時刻に何故酒などと、訳の解らない罪悪感が暫らくありました。
そして今日、皆様のコメントを読むうち山びととして、25年もの今まで何故1度もあの尾根に登らなかったのか、との後悔の思いが沸き上がってきました。
間もなく登ることが出来なくなる程に老いて、初めて思う事でありましょう。
犠牲者の中に縁のある方がいらっしたのでは無いのですが、山びととして、一度に山で犠牲になられた520名もの魂に祈りを奉げたいとの思いがあるのです。
そして登れなくなっても、登らなくとも命ある限り、山びとで在りたいと思うのです。相仲 廉
ainakarenさん、はじめまして。
私もあの日はよく覚えております。大学最終学年の夏のあの日、甲斐駒ヶ岳赤石沢奥壁Aフランケを登攀し、黒戸尾根のテントに戻ってラジオで事故を知りました。登攀後、天気がよく、富士山をバックに撮ったスナップが手元にあります。
そのときはまだ墜落地点が判明していないようでしたので考えませんでしたが、甲斐駒ヶ岳黒戸尾根からは御巣鷹山が見えるのでしょうか。
翌日下山しましたが、大惨事の詳細が報告され始め、相棒と驚いていました。
8月12日という日は、ペルテウス座流星群が最も華やかに見える日だと記憶しております。
ただただ、犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈りするばかりです。
pamir88さん・コメント深謝です。
あの日あの時刻、黒戸尾根であれば迷走周回中の機体が見えたかも知れませんね。
墜落地点は御巣鷹山に続く尾根の中腹です。
登攀日と事故日が同日では忘れることが出来ませんね。
あれから25年です。
御巣鷹の尾根で亡くなられた520名のご冥福をお祈りします。相仲
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