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身の回りの衣類、書籍、小道具、文房具類の整理が終わり、信書の類と名刺の整理を始めました。
信書と名刺は、その殆んどを焼却処分にする積りです。
今は亡き岳友からの手紙や葉書、岳部岳会関係者の名刺を久々に眺めていると、脳裏には次々と山の想い出が駆け巡ります。
信書の中に、1960年 富士山滑落事故の遭難者捜索に対する礼状が残っていました。
差出人は、遭難者の勤務先であった富士吉田市です。
市役所の制式封筒の中には、手書きの便箋一枚の礼状が入っています。
ワープロもパソコンも無い時代でした。
役所の制式文書も、手書きが普通の事だったのです。
少しでも滑落遭難防止の啓蒙になればと思い、焼却前に公開することを決心致しました。
プライバシー保護を尊重し、個人名は全て◯伏字とさせて頂きます。
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謹啓 厳寒の折、貴台には ますます御健勝の御ことと推察し心からお喜び申し上げます。
先般、当課員 ◯◯ ◯◯、遭難の折は格別の御努力と親身も及ばぬ御心配を賜り、深く感謝致しております。
取乱した折故 後労苦に報いることも碌々出来得ませんでしたが、ここに心からの御礼を申し上げます。
山、特に冬山に危険はつきものと思いますが今後再び此の様な失敗を繰返さないよう、また、生前彼の成し得なかった仕事の百分の一、千分の一でも成し遂げてゆくよう努力を重ねる所存でございます。
これが死者の冥福を祈り、彼が死をもって私共に教えてくれた貴重な教訓に答える最上の道だと心得ておりますので、今後共更にご指導と御助力を下さるようお願い致します。
右御礼傍々お願い申し上げます。
昭和三十五年一月五日
富士吉田市 水道課
課長 ◯◯ ◯◯
◯◯ ◯◯◯ (ainakaren) 殿
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*手書きによる縦書き文面を、原文のまま横書きに改め転載致しました。
冬富士に関連した信書と名刺は、他にも各々数点ありました。
岳会が毎年正月の冬山訓練宿舎にしていた井上小屋の井上嘉政氏の名刺と、遺体を収容する時にスノーボートで手伝ってくれた佐藤小屋の名刺もありました。
本件遭難事故翌年の正月、私の最後の冬富士合宿宿舎にもなった井上小屋主人 井上氏の名刺を、1961年の山行記録に追加掲載しておきました。
これから冬富士に登られる皆さんの安全を、心から願っております。
文書は焼却されても苦い想い出として、そして安全への警鐘としてヤマレコの記録に残れば幸いです。ainakaren
*日記「朱色の滑落痕」 http://www.yamareco.com/modules/diary/8042-detail-29199
*山行記録 1961年「富士山・吉田口合宿・元旦登頂」 http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-77394.html
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