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降雪期、残雪期の谷川岳の岩場は難度が高く、訓練のゲレンデ向きではありません。
アルプスでの訓練はキャンプを設営した数日間の合宿でしたが、谷川岳でキャンプを設営した記憶はありません。
前夜発の夜行日帰りが通例でした。
国鉄上越線の23時半頃(23時33分発と記憶していますが定かでありません)の列車に乗るため夜9時前から上野駅の改札口前の広場に並びました。
コンクリートの床に新聞紙を敷いて坐り、ウィスキーをチビチビ飲みながら、他愛の無い話をして乗車時間を待ちました。
5,6人から10人位迄で出かけることが多かったです。
装備はアルプスでの合宿に比べ、極めて軽装備です。
ザイルのメイン、サブと三つ道具、アブミ、飲料水と行動食のみでした。
アルプスではナーゲル靴で登りましたが、谷川のゲレンデは沢登りですから濡れた岩や草付きが多く、地下足袋と草鞋で登りました。
ですから途中での履物は運動靴が普通です。
中には粋がって下駄やサンダルで上野駅に現れる仲間もいました。
当時、上越線は電化されていましたが、未だ主力は蒸気機関車です。
改札口が開いて3等車に乗車すると、仲間の人数の約半分がボックスシートに坐り、残りがシート下に新聞紙を敷いて潜り込みます。
列車が走り出すと皆、少しでも眠っておこうとしますが、騒音と蒸し暑さで殆んど眠れません。
途中駅で長時間の停車を繰り返しながら列車は走ります。
冷房など無い時代です。
風を入れるため窓を開けるのですが石炭の油煙が入り、煙臭いし煤で顔が黒くなります。
網戸が付いていますが蚊などの防虫用ではありません。
油煙が社内に入らないように付いているのですが効果は殆んどありません。
夜明け前の薄明の頃、列車は土合駅に到着します。
現在土合駅の下りホームは地下深いトンネルの中ですが、当時は地上の線路脇に古枕木を積み上げただけの簡単で小さなホームです。
一ノ倉沢出会いまで来ると明るくなります。
ヒョングリの滝の上辺りのスラブで足ごしらえですが、粋がって下駄で来た人は、もっと下で履き替えざるを得ませんね。
色々と個性のある面白い仲間がいました。
土曜の夜汽車で出発、日曜の都内の終電車で家に帰れるようにしていました。
そうしたハードなスケジュールでの山行でしたが、入山回数ではアルプスより遥かに多かったように思います。
アルプスでの訓練と同じように、計2,3本のルートを稼ぎ、閉めに国境稜線に上り、オキ、トマを通って西黒尾根を駆け下り、終電車までに帰宅できるように行動しました。
当時、谷川岳ロープウエイは未だありませんから、下山は西黒尾根しかありませんでした。
谷川とアルプスでは岩場の形態が著しく異なります。
谷川は逆層で細かく、雪崩に磨かれ滑らかです。
濡れた岩も多く、下に向けて抜け落ちる浮石があるので油断が出来ません。
腕力で登るようなアルプスに比べ、ホールドが細かく指の力で登る様な場所が多いのです。
指とそれを動かす下腕部の筋肉が疲れるような感じがします。
場所にもよりますが、難度は平均して南北アルプスより高いと思います。
落下による遭難者の多いことも肯けることだと思います。
話は変わりますが、高層ビルの窓拭き作業の話です。
傾斜した窓では垂下式ゴンドラが使えないらしく、命綱を着けたクライマーのような人が、懸垂下降しながら作業しています。
その振り子トラバースなど技の見事さと身のこなしを見ていると、彼らは山男に違いないと思えてきました。
アルバイトで稼いだお金で山に登っているのでしょうか。
見ているうちに何か熱いものがこみ上げてきました。ainakaren
*(写真は1958年秋の谷川岳一ノ倉沢)
*涸沢キャンプからゲレンデへ
http://www.yamareco.com/modules/diary/8042-detail-16264
ainakarenさんこんにちは。
懐かしく日記拝見させてもらいました。
私も夜行で谷川岳は随分通いました。
10年の差で蒸気機関車は電気機関車に代わりすぐに電車に代わりました。夜行列車の中でのお酒の飲み過ぎ・寝不足・稜線直下の濡れた草付きなど谷川はあまり良い印象がありませんでした。
ロープウエーはあったと記憶していますが、もったいなくて西黒尾根か天神尾根より二俣に下りていたと思います。昔の事を思い出させてもらいありがとうございました。
ainakaさん、こんばんは。
ワタシの時代の土合はすでに地下駅でした。
朝一の階段登りともろい逆層がとっても辛かったです。
学生時代は窓拭きバイトをしてましたよ。
経営者も山屋さんでした。
3〜4日働けば一週間山に入れるくらい割りの良い
仕事でした。
こんばんは。
昔と今は土合駅が違うというのは読んだことあります。あの陰湿な感じの洞窟はよくこんなとこにつくったもんだと思います。
階段がちょっと辛かった…。
いま、夜行列車はどんどんなくなってますし、 いまの時代だと体験できないですね�
ainakaさん。。
こんばんは!
谷川の思い出、楽しく読ませていただきました。
時代は多少違いますが、懐かしいです!
一の倉の『逆層』に関しては、一生涯忘れることのできない思い出がありましたので、
久しぶりに、日記に書いて見たいと思います。
いつも登山の歴史を読ませていただいてありがたいです。枕木製のプラットフォームなんて素朴な匂いがしますね。下駄のアプローチもほほえましいです。
kazuhi49さん・こんばんは。
あの頃は夜行日帰りという登山スタイルが谷川岳に定着していましたね。
ロープウエイは私が天神平にスキーに行った1963年に乗りましたので、kazuhi49さんの時代にはありましたね。
ゴンドラが落下する死亡事故がありましたので記憶しています。
トンネルが完成し地下ホームが出来たのはロープウエイより7,8年後のように記憶しています。
あのホームにただ一人だけ降り立ち、不気味さに逃げるように息を切らして階段を駆け上ったことがありました。
肩の小屋に宿泊予定で遅い時刻でしたが、まさか私一人だけ下車とは〜。ainakaren
zeroponさん・こんばんは。
窓拭きのバイトしていたそうで、やはり山男のアルバイトが居るのですね。
あの身のこなしは山屋、しかも若いときから訓練されたクライマーに違いないと思って見ていました。
不思議と、今でもそうした事が解るのです。
体力も技量も既に有りませんが、山男に染付いた記憶だけは多少残っているようです。ainakaren
K_guminさん・こんばんは。
下り線の新トンネルが土合駅付近では、地下深くを通っているので、苦肉の策の地下ホームなのでしょうね。
幽霊が出そうな廃墟のようなホームですが、そうした噂は無いのでしょうか。
心霊スポットとして宣伝すれば観光客が激増するなんて事、ありませんかねぇ。
あの階段を登ると登山の一割くらい登った気がします。ainakaren
keisukeさん・こんばんは。
貴、日記〜
http://www.yamareco.com/modules/diary/3033-detail-16436
拝読しました。
逆層の下に抜け落ちる浮石で怖い経験をなさったそうですね。
無事で何よりでした。
これから一ノ倉に入る人には充分に気をつけて頂きたいですね。
安全第一です。ainakaren
jinzaemonさん・こんばんは。
古枕木を積み上げたホームは、長さが車両一両分くらいしかなく、殆んどの旅客が直接地面に降りるようで、形ばかりの物でしたね。
下駄を履いて来るのは「俺は沢屋だぞ!」のハッタリの意味があり、ナーゲル靴と同じように音を立てて歩いていましたね。
当時は個性的な人が居ましたねぇ。
それもまた懐かしいです。ainakaren
ainakarenさん、こんにちは。
一ノ倉沢には3月に2回行っただけですが、あの陰鬱な駅ホームが印象的でした。懐かしいです。
初めてのときは、夜行で行き、朝に土合駅に降りた記憶があります。85年のことです。このときは先輩に誘われて滝沢リッジを狙いましたが、敗退しました。2回目は後輩に誘われて行った一ノ倉尾根登攀でした。このときも夜行だったかな。あの階段もまだあるのですか?
登攀に熱中していた頃も、今も、不思議と谷川に行きたいと思うことはありません。どうしてかなあ。
pamir88さん・こんばんは。
3月の一ノ倉沢は厚い雪渓で沢の核心部が覆われて滝沢のルートの取り付きに有利なのですが、気象条件や雪崩の危険は最悪です。
3月中旬のリッジ上部で遭難、凍死した熟練クライマーもいます。
無事撤退で幸いでした。
土合の地下ホームには最近下車したことはありません。
改善の話も聞きませんので、あのままなのではないでしょうか。
一ノ倉は何処にいても空が狭く、暗い陰湿な感じがします。
それを凄みとして魅力に感じることもあり、愛好する人もいるようです。
明るく開放的なアルプスと対比すると興味深いですね。
今、私が何回でも行きたいのは、中年過ぎに初めて行った中央アルプス、千畳敷カールです。
既に10回くらい行きました。
景観の美しさも然る事ですが、過去にしがらみが何も無いことも理由の一つかも知れません。ainakaren
あの滝沢リッジは雪が少なく、オムスビ岩の下あたりまで、ブッシュ混じりの汚い壁を登って嫌になり、先輩と二人で、どちらからともなく、面白くなさそうだから降りようということになりました。
降りるときに不思議と未練は無かったですね。
谷川の岩場は、高度が低いためか、あまり山にいるとうい感覚無く、私たちには魅力が無かった。
おそらく、同じような逆層の草付き壁なら、地元の白神山地の沢が、アプローチも遠く、困難度もありましたから、わざわざ谷川にという気持ちになれなかったのでしょうね。
そういえば、私の先輩は、一ノ倉沢の岩場は、白神の沢とおんなじ とか言って、わらじと地下足袋で衝立正面を登ってきたような記憶があります。笑い話で当時、うけていましたよ。確かに、登攀中にとなりでそのようなクライマーがいれば、大うけでしょうね
pamir88さん・こんにちは。
滝沢リッジは、ニノ沢右俣からの岩稜の合わさる上まで登ると、天候が良く視界のあるときには滝沢の岩壁と本谷方面が良く見えて高度感も出てきます。
その景観は,かなり凄みがあります。
3月ですとドームから滝沢の氷壁が見下ろせます。
但し視界が無いと楽しみは半減です。
一ノ倉の岩場は、どこを登っても沢登りの景観で、見えるのは同じ沢内の山肌です。
周囲を囲まれ背後の山肌も直ぐ近くです。
アルプスにあるような、正面の他は三方が遠方まで開けて高度感のある景観はありませんね。
白神山地の沢には行ったことがありませんが、感覚としては理解できます。
推察ですが白神の沢を深く削り、傾斜を急峻にしたような地形が一ノ倉なのでしょうか。
私が登っていた頃は、沢登り、岩登り用の専用靴はありません。
ナーゲル靴は逆層と相性が悪く、アイゼンを使う降雪期以外は、地下足袋に草鞋の併用以外に適当な足ごしらえはありませんでした。
ですから当時、地下足袋と草鞋で衝立岩正面壁を登っても当たり前で、笑い話にも冗談にもなりませんでしたでしょうね。
時代の流れを感じざるを得ぬエピソードです。
70年代の半ばに、同じ足ごしらえで独り一ノ倉に入りましたが、もし人と行き会っていたら大うけだったのでしょうね。ainakaren
ainakarenさん、こんにちは♪
登攀訓練のため、夜汽車で谷川岳へ何度も通われていらしたのですね。
折しも、つい先日、私も夜行日帰りでトマノ耳に登ったばかりだったので、とても興味深く拝読させていただきました。
とは言っても私は単なる雪山ハイキング。
ainakarenさんとはレベルが余りにも違いすぎて、お話になりませんが。
今回、とても素晴らしい景色を堪能でき、ぜひまた無雪期にも歩いてみたいなと思っています。
snow_dropさん・こんにちは。
厳冬期の谷川岳登頂おめでとうございます。
懐かしく拝見しました。
新人のとき白毛門からの急な登りで輪カンジキを履いてのボッカでラッセルの訓練登山をさせられたのを思い出しました。
谷川には5年ほどの間に100回位入りました。
引退後暫らく、一ノ倉に入ることはありませんでしたが、10年後迄に懐かしさの余り、独りで2回ほど無雪期の一ノ倉に入りましたが、下山時に疲れから西黒尾根で転倒し、もう無理は出来ないと思い知りキッパリと止めました。
谷川岳は稜線からの景観と、沢筋からの景観が著しく違います。
沢筋からの陰惨な凄みのある景観は、あの美しく明るい稜線からは想像できません。
谷川岳を愛好して頂くのは嬉しいですが、気象条件も地形地質的条件も厳しい山です。
充分に用心をして登って下さい。ainakaren
うわ〜すごい!!
ainakarenさんは、100回以上も谷川に入られたのですね。
谷川岳は氷河によって深く抉られて出来た、とても険しい山域とのこと。
そうですね。これから山のことを勉強し、技術も身につけ、そして常に緊張感を持って慎重に臨んでゆきたいと思います。
どうも、ありがとうございます。
snow_dropさん、御返信深謝です。
昔の私、ちょっと谷川岳に入り過ぎですよね。
他のゲレンデ、例えば南北アルプス全部合わせても谷川より少ないと思います。
そして、現役時無縁だった中央アルプスの木曽駒や宝剣岳などに登ると何故かホッとして気持ちが楽になるのです。相中 廉
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