目的のゲレンデに応じて涸沢、横尾、徳沢の何れかにベーステントを設営しました。
8月の滝谷と奥又白での登攀訓練では涸沢キャンプでした。
アプローチを考えると、奥又白の場合は徳沢が良いように思えますが、取り付き点に前穂北尾根から下降すると涸沢からが楽でした。
屏風岩と明神岳はそれぞれ横尾と徳沢をベースにしましたが、下山のことを考えると微妙でしたね。
特に屏風からの疲れきっての下山では、涸沢がベースならなぁー、と何時も思いました。
滝谷での訓練には涸沢から北穂東稜を登り、滝谷を取り付き点まで下降します。
滝谷は登り易い岩場ですが、下降の時は高度感で眩暈がしそうです。
1本のルートの登りは5ピッチ程でした。
北穂東稜の痩せた岩尾根は、大キレットの通過に毛の生えた程度の難度のルートですから、皆フリーで登りました。
奥又白に行く時の前穂北尾根も同様でした。
下っては登り、登っては下って、日に2,3本のトレーニングでしたが、当時はそれがとても楽しかったですね。
1960年頃までの話です。
当時は新ルートの開発が盛んでしたから、岩場のゲレンデ化が我々のような登り方で促進されてしまったようです。
今にして思えば、山登りの本道から外れた邪道でしたね。
今では、麓から延々と歩いて取り付き点に立ち、登ったらピークを踏んでその達成感を味わう、それこそが山登りの本道と思うようになりました。
鹿島槍の北側に、カクネ里という奥まった谷があります。
私の憧れの秘境ですが、入ったことはありません。
春の終わりの極めて安定した残雪期の、短い間にのみ入渓が可能な秘境中の秘境と言われています。
その源頭部から取り付くことの出来る鹿島槍北壁は魅力的な素晴らしい岩場に見えますが、その登攀の喜びも苦難のアプローチあっての事と思えるのです。
もう老齢で体力もありませんから鹿島槍に登ることもありません。
もしもヘリコプターで稜線に連れて行かれ、懸垂下降で取り付き点に立てるとしても、今では魅力を感じません。
山の味わい方も年齢により変わるのです。
横浜の街を歩いていると、超高層ビルの窓拭き作業を見かけることがあります。
その作業工程を見ていると、何故か若いときの、下っては登り、登っては下る岩場のゲレンデが楽しくも懐かしく思い出され、少しばかり残念な思いもするのです。ainakaren
*(写真は1959年夏の滝谷と大キレットの岩場)
*夜行列車でゲレンデへ https://www.yamareco.com/modules/diary/8042-detail-16431
tattunさん・お手数をお掛けしてすみません。
「回想の山々」をご愛読頂いているそうで有難う御座います。
丁度コメント欄が空いておりましたので、こちらでレスポンスさせて頂きました。
このカテゴリーの話には笑い話の軽いものから、シリアスな重いものまであります。
何れも私自身の、割り切れぬ思いのガス抜きになっているのです。
遥か昔に、このような山の仲間達が存在していたことを知って頂く方が、一人でもいらっしゃれば私も仲間達も幸せです。
カテゴリー「今、何処に」は私の5年余の山岳会の仲間達と一本のピッケルの因縁を書いた連続した話です。
併せてお読み頂ければ幸いです。相仲 廉太郎
ainakarenさん、こちらこそ御丁寧なお返事に恐縮です。
私の周りには山歩きする人がほとんどおらず、山の話をすることができません。その点、ヤマレコではainakaさんのような貴重な御経験を読むことができ重宝しています。
特にainakaさんのは、うまくいえませんが薄っぺらでなく重みがあるお話で興味深いのです。
これからも楽しみにしております。
それでは、寒い日が続いていますがお風邪などひかぬよう御自愛ください。
tattunさん・おはようございます。
大変お手数をお掛けしました。
私の山行記録は時代が古く、余り現代登山の参考にはなりません。
昔のドキュメンタリー読物として読んで頂ければありがたいです。
日記に関連した山行記録もあり、昔の山登りと仲間達の様子が少しでも皆様に伝わればと思っております。
隠れファンなどと御遠慮なさらずに、お気軽にコメントを頂戴出来れば嬉しいです。
今後とも宜しくお願い申しあげます。相仲 廉太郎
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する