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奥多摩に奥多摩湖が存在しない頃、そこには深く美しい渓谷があったが、その風景を見た人は既に多くはないだろう。
喪失したその美しい風景を語り合う仲間も、既に身近に存在しない。
先日、変色した古い山写真の中に若き日の自分の傍らに木柱の登山記念碑を見付け、それをテーマに日記を書いた。
川苔山の木柱から克明に読み取れる山岳会名から、合同登山と記念碑建立について事情を知る人の日記へのコメント投稿を期待し、質問箱にも掲載して回答を待ったが残念な結果のままである。
冒頭に浦島太郎の心境を引合に出した所以である。
彼の故郷には慣れ親しんだ風景も見知った顔も無く、自分を知る人も一人として無かった。
http://www.yamareco.com/modules/diary/8042-detail-48867
一方、上高地の河童橋は何度か架け替えられているが、今も1950年代の風情をそのまま残している。
写真は梓川左岸の河童橋の袂、五千尺ホテル前だが、写った人物の風体と山道具の荷姿は著しく現在と異なるものの、風景は殆んど変わらない。
だが、写真に写る人物を知る人は既に誰一人いないだろう。
たとえ彼らの顔を覆い隠さなくとも同じであろう。
生身の私だけではなく若き日の自分を含む3枚の写真の中の彼らも、共に半世紀以上もの後の世では浦島太郎なのである。ainakaren
http://www.yamareco.com/modules/diary/8042-detail-48215
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