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40年程も昔に食して以来口にしていないから、その味も最早うろ覚えである。
登山用の食材が開発され、山メニューも山レシピも今や様変わりしている。
山の自然環境は少しも変わらないが、その社会環境は今では大きく変化した。
登山者が増加し、登山道、登山施設などが次第に公衆の観光施設として認識されるようになると、そこには街中と同じルールとマナーが要求されるようになる。
それが余りに四角四面で融通がないと、少々煩わしく また寂しくもある。
さて、コンビーフ御飯は飯盒炊爨したのだが、飯盒の形状はラジウスに乗せるにはいささか不向きであるから、もっぱら水場に近い青天井下の石積みの焚き火で炊き上げたものである。
精米した生米を携行して、普通に研いで炊いたのである。
晩に炊いたら、忙しい翌朝は大抵その残りを温めて食べる。
行動中の山では昼飯の習慣がなかったので、歩きながらや小休止で行動食を少しづつ摂る。
行動食には美味い物も無かったから、晩飯のコンビーフ御飯が殊更美味く感じたのかも知れない。
人の気配のない山中では、まるで熊や猪のような”喰う寝る出す”行動であったが、それでも自然環境が許容する範囲内にあった。
登山道や宿泊などの施設が拡充して人が集まるようになると、その行動と”喰う寝る出す”が自然環境の許容限度を超えるようになる。
焚き火や野宿など”喰う寝る”は兎も角”出す”のは、人が熊や猪の分布密度と同程度迄の原野でなければ自然環境が浄化、回復し切れないと言うことだろう。
今では石鹸、歯磨粉、洗剤などの使用を禁じる施設や場所が多くなった。
元々、山中に在る間は熊同様に歯磨きも入浴もしないから、歯磨粉も石鹸も洗剤も使わないし、荷物として携行することもなかった。
本来、登山とは文明社会から離れ、大自然の中で冒険と不便を満喫するのが目的であった。
今、そうした本当の山登りは登山道や施設から余程離れた原野に、人知れずバリルートで入らないと味わえない時代のようである。
コンビーフ御飯の炊き方は白米御飯と同じ要領で、ただ1缶のコンビーフを加えるだけである。
米と水の比率をそのまま、1缶を適当にほぐして米の上に乗せて炊き上げる。
炊き上がったら蒸らしてから、かき混ぜれば出来上がりだ。
コンビーフの味と適度な塩分で、結構な味だったように記憶している。
簡単だから家庭の電気釜でも炊ける筈である。
電気釜には、炊き込み御飯モードも付いている。
懐かしいので炊いて味わってみたい思いはあるのだが、躊躇もある。
もし、コンビーフ御飯が美味くなかったら、山の想い出の大切な部分に幻滅するのでは〜、と心配なのだ。ainakaren
*(写真)取付点 前穂高岳にて 1958年8月撮影
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