昔、歌われた谷川小唄の一節であると記憶する。
丸腰同然で一ノ倉沢に入ったときには、これより先に進めば戻るのが難しく、国境稜線まで上がりきるしか生きて還る道がない〜、と思案の為所を唄ったものと思われる。
今に言うフリーソロのスタイルで、単独や数人で登ったりすることの多かったクラシック ルートを念頭に歌われたと思うが、単独登攀技術の進歩した今では、テールリッジ近くから登り始める南稜テラスを経由する全てのルートを指しているようにも聴こえる。
当時、単独、地下足袋と草鞋、丸腰同然の拙い山道具で一ノ倉沢を詰め、抜けきれるルートは一つしか知られていなかった。
南稜テラスから本谷バンド 〜二ルンゼ経由ザッテル越え 〜滝沢上部広河原 〜Bルンゼ又はAルンゼ 〜オキの耳がその順路である(現在、クラシックルートと呼ばれ、通る人は少ない)。
当時、国境稜線直下で順路に隣接する三ルンゼやCルンゼでさえルートが判り難く、2〜3人のパーティでのザイル確保がなければ恐くて通れなかった。
行先の緊張と危険を思へば、南稜テラスは休息の場であると共に、体調や天候窺いなどを含めた進退の境界でもあったのである。
一ノ倉沢へ常に同行していた相棒は酒好きで、合宿キャンプの夜は酒なら何でも飲んだ。
だが味や香りに煩く、ブランデーを礼賛し自分専用のスキットルに入れて持ち歩き、気付け薬と云って時々一口ずつ飲んでいた。
高価でハイカラなブランデーを、山に持って来る粋な奴など他には誰も居なかった。
相棒と2人で悪場を抜け出した緊張後の小休止の場では、私にも一口飲ませてくれたりした。
相棒の薀蓄語りによると、〜スキットルには常にカミユ V・S・Oを入れている 〜もっと高級なのがV・S・O・Pでこれは何度か飲んだ事があるが格段に美味い 〜ブランデーにはナポレオンなる超高級品があり、一度でいいから飲んでみたい、〜との事であった。
だが、無念にも相棒はナポレオンを味わう事のないまま、亡くなってしまった。
相棒亡き後には、1970年代初頭の単独行を最後に一ノ倉沢に入っていない。
21世紀に入ったばかりの頃、昔の仲間と一緒に南稜テラスまで登る相棒の追悼供養を計画した。
その時、酒好きだった相棒のナポレオンの薀蓄語りを想い出し、献杯に持参するボトル一本を購入した。
だが仲間は突然の難病に臥し、それきり南稜テラス行きは計画倒れに終わってしまった。
それから15年もの年月が過ぎ去り、私もすっかり老いてしまった。
今や、南稜テラスのナポレオンは夢幻となって久しい。ainakaren
・・・南稜テラス〜
戻りゃ俺らの 心がすたる 行けばあの娘が 涙を流す
山の男は つらいもの トコズンドコ ズンドコ
と、私たちもテントの中で酒を飲みながら何度歌ったか分かりません「谷川小唄」。
私たちは東京圏ではありませんが「谷川」は特に一ノ倉沢は特別ですので土合に通う東京人の気分で歌ったものです。
覚悟を決めて入り込むとき、恋人に対する思いと男の意気込みが交錯する雰囲気が明るく上手に歌われていますね。
ご友人のための特別なナポレオンはainakarenさんがちびりちびりとやられたら供養になるのではないでしょうか。
m_asaiさん、こんばんは。
コメント深謝です。
懐かしい唄ですね。
歌詞をよく覚えておられますね。
もう記憶も遠くなりました。
当該ナポレオンは昨年7月の銀座山想会例会で封を切り、以後の例会の都度、ご参加の皆さんと御一緒に献杯をさせて頂きました。
お蔭様で、私も胸の閊えが取れて気が楽になりました。
ヤマレコメンバーの皆さんには、お心遣い何時も感謝しています。
有難う御座います。ren
* http://www.yamareco.com/modules/yamareco/photodetail.php?did=476558&pid=9ae8a671fbc173829e4acfef9526876e
ainakaさん、いつも回顧録楽しみに拝見させてもらっています。
「 行こか 戻ろか 南稜テラス〜」
懐かしいですね、私もこの歌はよく歌っていました。
1968年10月に初めて南稜テラスでビバークし
4ルンゼを登りましたが、そこで何を飲んだか
記憶にありませんが、翌々年南稜を登った時
順番待ちの混雑で、稜線まで抜けきれずに暗くなりビバークになってしまいましたが、
新入部員のザックからワンカップ○○が
何と6本出てきて呆れるやら有難いやらで、
快適なビバークになった事を思い出しました。
昔は豪快な山屋がたくさんいましたね。
kazuhi49さん、こんばんは。
コメント深謝です。
やはり歌っておられましたか。
懐かしいですね。
昔は、近頃より気軽にビバークしてましたね。
ビバークの夜は酒が有り難いです。
ウイスキーが多かったんです。
トリスとかサントリーのグレードの低い酒ばかりでした。
本谷四ルンゼと烏帽子岩南稜、私達も登りました。
1957年〜1960年頃のことです。
まだ南稜を登る人は少なく、順番待ちは全くありませんでした。
もう半世紀以上も昔になりますね。ren
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する