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撮影日時は3枚が夫々異なり、左側と中央が1955〜6年頃、右1枚は確実に1957年である。
季節は3枚とも秋、たぶん土曜日夜半発の夜行日帰り登山での撮影だった。
当時、上越線は蒸気機関車と電気機関車が途中交代しながら走り、夜行列車は夜中の11時半過ぎに上野駅を発車していた。
客車は固定の堅い対面ボックスシート、上下開閉式の窓には煤除けの網戸が付いていた。
ザックを網棚に載せると、座席シートの下に新聞紙を敷いて横になって一眠りし、機関車を交代する熊谷か高崎のホームに降りて夜中の駅蕎麦を朝飯代わりに掻き込むのが常道だった。
土合駅には夜明けに到着する。
古枕木を積み重ねただけの短いプラットホームへ下車するからその車両まで車内を歩き、下車後も車両沿いの線路際をゾロゾロ歩いたものだ。
当時、上越線もあの付近は単線運行であり、トンネル内の地下ホームも長い地下階段も未だ無かったのである。
枕木積みの短いプラットホームの周囲は山間の原野で、駅舎らしきは影も形も無かった。
ロープウェイも未だ無いから、長い天神尾根を登る人は無く、直ぐに西黒尾根に取り付くか、マチガ沢右岸から西黒尾根に登るハイカーが多かった。
沢登りと岩登りをする人達は、マチガ沢や一ノ倉沢を詰めたり、岩壁に取り付いたりしていた。
当時、山登りをする女性は10代後半から20代前半までの若い未婚者ばかりであった。
山中に年配女性の姿はなく、男性も20代から30代の若い人達が占めていた。
それ故、女性登山者は彼らのスナップ撮影の標的にされる事が多かった。
谷川岳山頂の2人連れの女性ハイカーは帆布のザックを背負い、ブラウスシャツを着て、スラックスにハイカットの布靴を履いている。
当時は登山専用の衣類など、殆ど市販されてはいなかったのだ。
西黒尾根上部で休息する男性と女性も、若い人達である。
女性の装束は、チョッキを着ていても山頂の女性達と同じような普段着である。
チロリアン帽子の男性の装束は、年期が入っている感じだ。
山シャツの左袖には、岳会のワッペンらしきも見える。
一ノ倉沢テールリッジ基部近くのスナップは、当時は珍しい独りで沢歩きする女性登山者である。
滝沢上部から国境稜線に抜けるとの話で、登攀具、足回りなど準備中に追い越しながら一声掛け、上から盗撮したが望遠レンズではないので点のように小さくしか写せなかった。
部分伸ばしをして、やっと女性の人影と確認できる。
山シャツにスキーパンツ、運動靴を履き、足袋と草鞋を所持していた。
サブザイルにナップザック一つの軽装であった。
写真機のシャッターが押された時、私も未婚の若者であった。
時は流れ、山から若い女性が姿を消してしまったのは、何時の頃からだろうか。
近頃、若い女性が大挙して山に戻って来て喜ばしいのだが、私には今更もう遅いよ! ainakaren
ainakarenさん、こんばんは。
貴重な写真と当時のお話をありがとうございました。
私は1956年生まれなので余計に興味がもてました。
”夜の上野のプラットホーム♪”という谷川小唄はいつごろ生まれたのでしょうかね?
考えてみると、大挙して戻ってきたという”山ガール”という言葉の響きはとても昭和チックな感じがありますね。
それにしても、当時の谷川の沢を単独登攀とは驚くべき前衛的な女性ですね。有名な人だったんでしょうか?
コメント深謝です。
そうですね〜
大挙して戻ってきた若い山ガール現象は、この7〜8年前からですから平成の現象ですね。
山ガ ファッションの流行が先行し、引き続いて急速に山ガ 登山ブームになりました。
その以前は、山に行くのは熟年老年の女性ばかりでした。
まあ、男性も同じ傾向でしたけれどね。
有名な女性大御所と言えば今井通子さんと田部井淳子さんですかね。
お二人は1960年(ザイル銃撃事件の年)の岳部岳会入りで山を始めておられますから、谷川の人はそれより5〜6年早くスタートした女性ですね。
我々グループが会名を告げると、彼女はTK会とだけ返事されました。
お名前はお訊きしませんでした。ren
ainakaさんこんにちは。
私の初谷川岳は、1968.4月に芝倉沢での雪上訓練合宿でしたが、その当時は土合駅はもう地下駅だったので、電気機関車の牽引する夜行列車で早朝の階段を寝ぼけ眼で喘ぎ喘ぎ登り、
谷川岳の山頂が80M高くなってしまったと仲間と話していました。
非常に懐かしい日記と写真を拝見し昔を思い出させて頂きありがとうございました。
コメント深謝です。
もう少し早くに初谷川岳だと、地上枕木ホームに列車到着でしたね。
1968年だと、ロープウェイが出来ていたと思いますが〜
ゴンドラが、落下事故起こして死者が出ましたね。
スキーの友人が遭遇し目撃した話を聞いていたので、よく覚えています。
もう古い昭和の昔のことですね。ren
ainakarenさん、こんにちは。
私が初めて一ノ倉に入れたのは1968年でした。それより更に10年以上も前なんですね。
とても貴重な写真を拝見させて頂きました。
コメント深謝です。
そうですね。
衝立やコップ状など数箇所が未踏でした。
滝沢上部は現在は荒れていて危険で登り難いと聞いていますが、70年代の初頭にBルンゼを登ったときは単独行フリーでなんとか通れました。
だが、その下りの西黒尾根で転倒しマチガ沢側にスリップし両手に大怪我しました。
技量と体力の衰えを自覚し、それ以来一ノ倉には近づいていません。
手前の二ルンゼの状況も、より悪いと聞きました。
南稜テラス、本谷バンド、二ルンゼ取り付き迄でさえ転倒すれば即死間違いありませんから、いくら難度が低くても中年になったら単独行フリーはヤバイですね。
一ノ倉の女性、ご健在ならば、80歳くらいになられるのでしょうか。
当時の女性は、嫁に行くと山には行けなかったのですね。
今井さんや田部井さんのように、ご主人も登山家でなければ、山女を続けられない時代だったのでしょうね。ren
はじめまして。貴重なお写真ありがとうございました。当時の女性の方々は本当にたいへんだったと思います。
今は女性に人気の○○なんていう見出しで始まる道具や山荘、女性専門の山雑誌私達にはありがたい限りです。
これも写真に登場されている先駆者の女性の方々おかげですね。
おっしゃってますいつ頃から…の件ですが私達の若い頃は猫も杓子も冬はスキー、間はテニスにサーフィン、スポーツ系はそっちだったんですよね。
山登りなんて微塵も話題に上りませんでした。バブルもありましたし。街で消費の時代だったんたんですよね。
今は一時のバブリーな山ガールってのも少なくなっている気がします。本当にはまったお嬢さん方、真性山ガールが多くなっているんじゃないかと思います。
休憩の時ツケマツゲをなおしたりふてくされて座り込んだりしてる女の子を見ませんもん。
私ぐらいのおばちゃんは興味がなければ体力のいることはとりあえず流行に乗っとこうかってのもあんまりありませんから(^_^;)
あとご夫婦はもちろん結婚前だろうと思われるカップルも多いですね。
ゴールインすれば良いけどそうでなければ一通り揃えた高価な山道具の行方は…なんて余計なお世話を考えちゃうおせっかいおばちゃんなんですけどね(^_^;)
ainakarenさんのオチは笑えました。私の回りにもそうおっしゃるかたいらっしゃいますよ("⌒∇⌒")
ohana36さん、こんにちは。
コメント深謝です。
そうですね。
大昔は本当に山には未婚の若い女性しか登らなかったんですね。
それが何時から熟年老年女性ばかりになっちゃったのか〜
まぁ〜、男子も似たりよったりですけどね。
確かに若い人たちが山に登らない時代が暫らく続きましたね。
昔の女性は普段着で山に行きました。
そりゃ〜現代山ガールに比較するとファッションでは見劣りしますね。
でも当時は、それなりに格好いいと思って見てましたよ。ren
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