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雪の山中で撮影された一人の登山者の立ち姿である。
雪景色を背景にした古い肖像写真のようにも見える。
人物が私の相棒であるから私が写した写真と思われるが明確な記憶が無く、時と場所も判らない。
彼が私の相棒だったのは1961年4月までのことだから、それ以前に撮影された写真であることだけは確かだが、それ以外は判然としない。
装備や身繕い、そして相棒の表情を見ていると我々二人が未だ新人の頃の1957年1月から1958年3月までの2シーズンの厳冬期の何れではないかと思われる。
その頃の新人雪山訓練中の一齣と推定できる。
だとすると今から53年以上もの遠い昔の写真である。
厳冬期の山行や合宿で行く山は南北アルプス、八ヶ岳、谷川、富士山と決っていたからその何れかの山であろうか。
相棒は私より一才若いのだけれど、それにしても若々しい写真である。
ピッケルやテルモスなど昔の装備も懐かしいが、オーバーシューズやウインドヤッケなど古風な着衣も懐かしい。
体型も痩せ型ですらりとスマート、表情も凛として健康そうである。
今では猫背の太った体型に持病と心臓ペースメーカを埋め込んだ義弟が写真の同一人物にはとても見えない。
若くして亡くなった相棒や仲間達は何時までも若い姿のままである。
この義弟の写真のように凛として健康そうな姿で私の瞼に焼きついている。
義弟と自分のその後の人生を思うと、生きている彼らならどんな人生が有っただろうかと時々思うのである。ainakaren
*義弟(当時の相棒)と二人で谷川岳へ
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-89330.html
あいなかさん
読んでいたら、原真さんの「頂上の旗」の「山で死んだ友」という文章を思い出し、久しぶりに読み返しました。少し長いですが引用します。
〜〜〜
山で死んだ友を思い出す時、私は必ず、もし彼らが死なずに生きていたら、今頃どんな人間になっているだろうと考える。(中略)しかしそうした思いは、若くして死んだ人間の未来を美化しすぎた幻想なのかもしれない。彼らも、生きていれば案外つまらない人間になり下がっている事もありうる。それは、いまだに生きている昔の山仲間たちの多くが、年を取るにしたがって、だんだんと凡庸な人間になってゆくのを見れば、想像のつくことである。
若さはたいていの人間に魅力を与える。年を取ってなお若い頃の魅力を残している人間は少ないが、だれでもが若い時代には、人をひきつける何かを持っている。それは未熟な時代の、一時的な、はかない泡沫のようなものかもしれないが、それは青春という名で呼ばれる純粋な生命の発光のようなものであろう。
登山家の友情は、多く、こうした青春の時期に命をかけて結ばれる。それは、若さによって支えられた、したがって若さが失われることによって消える可能性もある友情である。その友情が長く続くためには、若さ以外の何かがなければならない。あるいは、いつまでも、お互いの精神が若くなければならない。
二十代の頃の山仲間との友情を、そのままの状態で長く保たせることは、実際にはむずかしい。
しかし、死んでしまった仲間には、そのようなわびしい思いは起こらない。彼らは人生の白熱の時に死に、残された者の心に、決して老衰することのない青春の姿で生きている。彼らの思い出は、つねに未来を感じさせる。死んだ仲間への悲しみは、時経るにしたがって親しみに変わり、ときには羨望に変わることさえある。
〜〜〜
1971年の文章なので、まだ中高年になって山を始めたという人のほとんどいない時代です。原さんは数年前に73歳前でなくなりましたが1950年代に二十代ですから同世代に近いかと思います。
貴重な写真拝見しました。
私より古い写真です。
で、気になったのですが、後ろにも人がいますよね
一人?二人?三人
今回はどなたかの書き込みがあるまで少し様子を見ていました、写真には懐かしさが湧いて来ましたよ、
確かに今の冬の服装とは違い当時は下着は茶色のラクダ!でしたか後はセーターにジャンバーの上に全て足元まで黄色でしたよ、
yoneyamaさんの書き込みには私にも当てはまることがありますし、
山で死んだ人だけでなく若い時を一緒に過ごした友が若くして亡くなった人は今だに若い時のままに私の頭の中にいます、
写真で気になったことをkimidoriさんが書いてくれました、後ろに確かに他の人の足が見えましたから、
追:文字訂正しました、
昔の登山家もカッコイイですね!(b^ー°)写真からも雪山へ挑む情熱がヒシヒシと伝わってきます(*^o^*)
私が2歳の時です。
写真のかたの顔の左上ですが、なんか人の顔に見えませんか? 最初、もう一人とコメントがあった時、足には気づかず。
でも、かっこいい写真ですね、加藤文太郎もこんな感じだったのでしょうか?
よねやまさん、こんにちは。
適切な先人の思いを綴る文章の引用を頂き、有難う御座いました。
身につまされ涙ながらに拝読いたしました。
終始自分の心を写した様な文章、特に現在の自分の気持ちを代弁するような一節〜
「死んだ仲間への悲しみは、時経るにしたがって親しみに変わり〜」には、この不思議さは自分だけのものではないことを知りました。
死んだ仲間も、生き別れて音信不通生死不明の仲間たちも、皆当時のままの姿で私の心に生き続けていて、その彼らに何故か悲しみを越えた親しみを感じる不思議さがあるのです。
そしてその想い出の中の彼らを、今では家族同様に大切に思っています。ainakaren
kimidoriさん、こんにちは。
不思議なことに、この写真には沢山の人の気配を感じます。
雪山訓練は何時も7,8人の人数で入りましたから写真の周囲にはその仲間達も当然おりました。
義弟の足元に置かれた道具も、複数人数分ありますね。
貴兄は恐らく心霊現象に敏感な体質とお見受けいたします。
私は幽霊や亡霊を信じておりません。
しかし、貴兄と同じように心霊現象に敏感な体質なのです。
ですから人間の理解を超える不思議な現象が存在することを否定しません。
理解できないことは無限に存在していますが、理解できないことを理由にそれを否定しません。
写真の背景に写るものの形にとらわれることなく、人の気配を素直に感じ、その声に耳を傾けて頂ければと思っています。
私には、彼らの親しき声が聴こえるような気がします。ainakaren
naiden46さん、こんにちは。
私の現役時代は、ないでんさんより半世代ほど前かと思いますが、道具や着衣は殆んど同じだと思います。
写真が新人時代と判断する理由の第一は、ウインドヤッケの着付けとオーバーズボンの着用が無い点です。
2シーズン位冬山を経験すると、オーバーズボンの必要性を本当に理解し、オーバーシューズを履く前にそれを着用します。途中で履くことは大変な手間になります。
そして強風に吹かれると、次からヤッケの裾をオーバーズボンの下に入れるようになります。
格好の良さより実用の大切さを、身を持って理解するのです。
当時の冬山用のアウターには保温効果がありませんから、仰るように下着を厚着しました。
義弟の腹が膨れて見える理由です。
山で死んだ相棒も、生死不明の仲間達も私達の頭の中では若いまま〜、その通りだと思います。
その想い出を大切に、残る人生を静かに過ごしたいと思っています。ainakaren
teteteさん、こんにちは。
一枚の写真から伝わるもの、その無名の岳人たちの凜とした情熱の声を聴いていただければ、本当に嬉しいことです。
加藤文太郎氏より二世代も後の無名な岳人達の声なき声が、残る写真にも古い道具にも込められています。
それを素直に聴く感性が、私達に更に登山し思索することを促し、勇気を与えてくれます。ainakaren
Mikuniさん、こんにちは。
そういわれて先入観を持って見れば、確かにそのようにも見えますね。
確かに撮影時、数人の生身の山男が義弟の近くに休息していました。
彼らの気配が写真を通して伝わってくるのだと思います。
加藤文太郎氏は好日山荘が店開きの頃に入り浸って、西岡氏と山談義をしていたそうですから、この写真の二世代以上前の人ですね。
彼がもし生き残って私と同じ後期高齢者になっていたらと考えると、先人の文章にもあるように自分と同じ様な孫達にメロメロの普通の凡爺だったりするのかと苦笑してしまいますね。ainakaren
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