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訓練用ゲレンデに使うには難度が容易であったので、新人訓練の2〜3回だけのザイルワーク目的だっただろうか。
キャンプ地は富士見平の林〜、いつも1〜2泊の幕営であった。
ハウスキーパー兼食事当番のある日、暇を持て余した相棒の「瑞牆山頂から見える大ヤスリ岩を稼ごう〜」という提案に同意して急遽出かけた。
2人とも未経験の岩場であったが、ハーケンを数本動員し、遊び半分に鐙を使ったりしながらピークに立つたのが正午過ぎであった(注)。
訓練パーティが帰営する前に食事を用意すべく、小走りに走り戻った。
富士見平キャンプのハウスキーパーは、瑞牆山や金峰山の小走りピストンなどを暇つぶしにする例もあり大目に見られたが、大ヤスリ岩の登攀には安全を配慮した先輩の苦言があった。
2人とも初経験のルート故、本番として報告書を出すよう云われたが、それを提出した記憶はない。
所帯を持ち独り歩きを始めてからは、金峰山、小川山、瑞牆山を含めて幾度か奥秩父の山々を歩いた。
1982年秋の事だが、瑞牆山頂に到着し大ヤスリ岩を見た瞬間、ビックリ仰天してしまった。
塔の様なその岩壁一杯に、巨大文字の落書きが書かれていたのである。
壁幅一杯に縦書き巨大漢字で ”聖子命” とあった。
勿論、昔登った時には、そんな落書きは無かったし小さな落書きにも気が付かなかった。
衝撃の光景を見ているうちに複雑な気分に襲われ、足腰の力が抜けてしまった。
その後、現在に至るまで瑞牆山には一度も登っていない。
ヤマレコにユーザー登録してから、何時も瑞牆山行記録の大ヤスリ岩の写真を入念に見入ってしまう。
あの巨大落書きが、未だに記憶の片隅で気になっているのである。
ヤマレコ写真にその痕跡は見られないが、登って至近距離で見たらどんな様子なのだろうか。
既に、自らそれを確認する力量も無い事が、残念に思えてならない。
大ヤスリ岩の登攀と巨大落書き〜、どちらも既に昔話になってしまっている。
それを今更語って如何なると言うのか〜?
「老兵は死なず ただ消え行くのみ」と言うではないか〜!

*(注)

当時(1960年頃)、大ヤスリ岩の実状は最上部40メートル程の支点の得られぬ一枚岩の壁に阻まれ、ピークには立てぬままの退却でした。
ザイルと三つ道具だけで我々の力量では手も足も出ません。
回り込んでも花崗岩の塔ですから、迂回ルートが全くありません。
先輩からは苦言どころか大目玉を頂戴した事を、今も憶えています。
1970年代になってから連続した埋め込みボルトが打ち込まれ、鐙リレーで登れるようになったようです。
前半にて筆者の夢の展開を書きましたが、後半(1982年)の巨大落書きの記述は、実態のままで創作ではありません。
その無惨な光景を目にしたときの衝撃、そして脱力感と悲しみを忘れる事はないでしょう。
相仲 廉
アイナカさん、こんにちは。
大ヤスリ岩は私も70年代に2度登った覚えがあります。最後は40メートル目一杯のボルトラダーでした。懸垂下降で降りる時も気持ち良かったです。その後先輩が車のCM撮影で、ここを懸垂下降していました。あの当時はボルトを打つことに、躊躇いはありませんでした。
大ヤスリ岩の落書きは雑誌にも載ったような記憶があります。私もその後は瑞牆山には行った覚えがないので、実際に落書きは見ていません。
レンさんが昔話をして頂けるので、自分も忘れかけていた大ヤスリ岩を、思い出すことが出来たので感謝です。
ankotaさん、こんにちは。
お久しぶりです。
コメント深謝します。
大ヤスリ岩〜気持ちの良い岩場ですね。
私にも懐かしい思い出の岩場です。
後年の落書きは随分手間ひま掛けたもので、クライマーが数人掛かりで長時間作業しなければ書ける代物ではない立派?な出来上がりでしたよ。
大ヤスリを登る人は現在は沢山居るのでしょうけれど、あの無惨な巨大落書きを見覚えている人はもう少ないのでは〜と思います。
それ故、ヤマレコ日記に書き残しておきたいと思いました。ren
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