私はカトリックですが、カトリック教会では11月を”死者の月”としています。
死者に思いをいたし、自分の生き方をあらためる月。
そのため、11月には毎年合同追悼ミサが行われます。今日11/1(日)がその日で、
私も参加してきました。
私の身内の死者は親・祖父母ぐらいで、しかも皆クリスチャンではありません。バリバリの仏教徒でした。
供養のためには法事を開催するのが普通ですが、様々な事情からそれは難しく、
たまたま11月は命日のある月に当たることから、カトリックの追悼ミサに参加し冥福を願うことで、供養の代わりとしました。
追悼ミサでは、何曲か歌を歌います。
毎年、ミサの最後に歌う曲には、こんな歌詞が含まれています。
また会う日まで〜
また会う日まで〜
まるで、死者とまた会える様な歌詞。
天国で会えるその日まで・・・
この考え方が、好きでした。
キリスト教では、命は永遠で、この世だけでなくあの世でも
続いていくと考えているから、なんだと思います。
私は実際、死者の中でもう一度会いたいとまで思える人はいませんが、
今日のミサの説教を聴いて、会えるのは死者だけではないのだと分かりました。
今日のミサで、心の重荷がすっと遠のいたような感覚がありました。
11月、近々に登山を計画していますが、重荷をひきずりながら歩かず、希望の光を見ながら歩けるような気がしました。
今日はミサに出てよかった。実は、登山を計画していた日が雨予報で、一方、今日は天気が良かったので、思わず山に出かけてしまおうという考えが頭をよぎっていたのですが、やはり今日は追悼ミサに出てよかった。
francesca様、初めまして。
十年程前、下北半島の恐山の宇曾利湖の湖畔で今は無き肉親のいるであろう世界の間際まで接近した確信を得ました。
晴天の夏の日でした。
湖面は虹色のオーロラが現れ、他の人々も感嘆の声をあげておりました。
死者と逢える場所との先入観を排除しても、やはり間近に肉親のいるであろう世界に接近したとの確信を得ました。
おもわず、不覚の涙が流れてしまいました。
恐山は、お化け屋敷ではありません。
そのような報道しかしないマスコミを嫌っているようです。当然です。
私は仏様の温かさも感じました。
思い込み?自己暗示?
そう言われても良いのですが、違うと思います。
是非、多くの方が訪れて欲しいと思われてなりません。
あのような衝撃的な場所を他に知りません。
ちなみに…たぶん仏教徒です。
hirogod 様、コメントありがとうございます。
とても尊いご経験をされたんですね。素晴らしいご経験です。
温もりを感じたということは、愛する方々が仏様になって、その守りが、hirogodさんについておられるということではないでしょうか。
私も、恐山はあの世との接点ではないかと思います。
以前テレビで、観光地として紹介されていた時、とても美しいところで驚きました。しかも、霊感のない私ですら、ここには、景色が綺麗な場所以上の何かが、エネルギーがあると思いました。
湖の美しさは、幽玄の世界との接点ゆえ、かもしれないですね。
心霊スポット、という言い方がありますが、そういう場所をテレビ番組でお化け屋敷のように、エンターテイメントのように扱うのは、私もいかがなものかと思います。
多分仏教徒、、、私も前はそんな感じでした。今でもはっきり切り分けているわけではありません。
あ、それでハロウィンでは死んだ人メイクが多いんですね。欧米人には、この季節がお盆なわけですね。
教会の歌には、名曲が多いですね。
Yoneyama さん、コメント有難うございます。
実はハロウィンはキリスト教のお祭りではないんですよ〜。
もっと起源の古い、ケルト民族のお祭りらしいです。
今調べました(・・;)
どうもそのお祭りの伝統では、10月31日を、霊界の扉が開いて死者がこっちの世界に
やってくる日と考えているので、それで死んだ人メイクなんですね。
教会の歌・・・歌詞は一般受けしないでしょうけど、メロディが好きです。
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