私は中学校三年生の夏、受験勉強と称して区立図書館に通い、図書館にある書架一杯分の山関係の本を読み漁りました。
多くが遭難記でした。
その前に中学校の図書館に何故か「単独行」があり、それを読んでいました。
自慢ではありませんが人生で初めて読んだ本でした。
嘘です2冊目です。
小学校の時、風邪かなにかで休んでいるとき、母が買い与えてくれた「暗黒星雲の謎」というのは初めての本です。
それまでは教科書も漫画も新聞も読んだことがありませんでした。
冷房の効いた図書館で読む遭難記は今も死なずに山行を重ねられる礎になっていると思います。
今では常識となっている山でやってはいけないことを先人がわが身を犠牲にして後進に教えてくれています。
そのころの書籍のタイトルは覚えていませんが、今思い返しても印象に残る書籍のタイトルを列記してみます。
単独行 山で一泊 死のクレバス 山を考える 白い蜘蛛 空へ いまだ下山せず!
著者としては本多勝一 梅棹忠夫 辻まこと でしょうか。
特に単独行は山をほとんど知らない状態で読んだので、バイブルになってしまいました。
山は単独行に限る。(高校生の時はほとんど単独)
使うのはコッヘル。(初めて買った山の道具)
食べるのは甘納豆。(正月の屏風岩で食べた。)
槍ヶ岳は厳冬期の北鎌尾根から。(3月になってしまったが実践した。)
ボラフさん、おはようございます。
わたしが中学生だった時、学校の図書室には、何故かデメゾンの新刊「グランドジョラスの342時間」がありました。まだ誰も借りていないまっさらな本を抱えて家に帰りました。誰が選書したのか分かりませんが、山好きの教師がいたのでしょう。とても中学生が読むような本ではないです。多分半分も理解出来なかったのではないかと思います。でもおかげで経帷子なんて言葉も覚えてしまいました。
父親が山好きだったため、自宅にも山の本がいくつかあり、その中でも春日俊吉さんの遭難の本は講談調で読み易かったのを覚えています。奥秩父の破風山の避難小屋が出来た理由も、東大の学生の遭難騒ぎがあったためというのもそれで知りました。
一時は仕事が忙しく、山から離れ、本さえも読む時間が取れなかったのですが、最近はまた山に登り、本も読めるようになりました。中学生の時に読んだ吉村昭の「高熱隧道」を再度読んだら、また黒部に行きたくなりました。
ankotaさん
コメントありがとうございます。
私の担任の先生は英語の教師でしたが、何度か授業中に山の話をしてくれました。
今思うと衝立岩をビバークしながら登った話のようですが、
途中のテラスで寝たが朝起きてみたら腰から下の部分の草は実は空中に飛び出している
這松だったと気が付き、ゾッとしたという話を覚えています。
(谷川岳に這松は生えていたかな?)
この先生が、朋文堂の単独行を選定したのではないかと今思います。
東大生の遭難記も読んだ覚えがあります。
ただ当時は今の整備されすぎた山とは違い、アプローチの長さと、道標など存在しない
踏み跡程度のルートだったのですが、その違いが理解できていなくて
なんであんなところで道に迷うのだろうと思いながら読んだものです。
と言いつつ、最近も整備された両神山で違うルートに降りかけましたが。(笑)
こんどデメゾンも読んでみます。
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