もう三十数年前に思い出です。
後輩二人との三人パーティーで屏風右岸壁から前穂正面滝谷北鎌尾根という連続登攀を計画しました。
今から思えば偏差値55の輩が東大を受験するのと同じです。
暇だった私が50キロ近い荷物を背負って一人北穂小屋にデポすることになりました。
11月後半の連休でした。
鎌トンを出たところでダンプのお兄さんが乗せてくれました。
力自慢のお兄さんはわたくしの背負子を助手席まで片手で引っ張り上げらると思ったらしく、びくともしない背負子の重さにあきれていました。
サルを蹴散らしながらその日は横尾の避難小屋泊まり。
当然誰もいませんでした。
翌日は夏道を涸沢まで。
涸沢ヒュッテが支柱を何本も立てて小屋仕舞いをしていました。
お湯がシュンシュンと沸いていて分けてもらいないなーと思ったことが記憶に残ります。
本来は今日中に北穂小屋までデポを終わらせ、あわよくば北鎌から降りようなどと企んでいました。
しかし、涸沢カールの横断がサハラ砂漠の横断に見える。
北穂沢を登り始めるが、スリットや雪がサラサラ落ちてくる。
諦めて涸沢小屋の冬季小屋に泊まる。
備え付けのスコップで少し雪を取り除いただけで、簡単に入れました。
記憶では土間があって二階建て。
窓の下にテーブルがあってそこで雑煮を作って食べました。
翌日は計画を変更してデポ品の詰めた一斗缶背負子括り付けて出発。
怖い夏道を登りました。
ここからは「冬の花火」に書きましたので省略。
早い話が松濤岩のてっぺんから北穂沢に落っこちたのです。
でいろいろあって涸沢小屋冬季小屋に戻れたのです。
そこで二日か三日か死んでいました。
もうこれ以上とどまると下山できなくなり、捜索隊が出てしまいと思い小屋を後にしました。
小屋で入り口の斜面が怖くてスコップに結び付けられたロープで下降しました。
大変お世話になった冬季小屋でした。
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