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東大という位置から見た1960年代の学生運動史。
王子野戦病院闘争の時は私は小学生で明治通りの街路樹に登り、美しいヘルメットのジグザグ行進を見とれていました。
そう小学一年生の時はおしくらまんじゅうをするとき、ませた友人がこういうのをスクラムと言って「アンポハンタイ」と掛け声をかるのだと指導して、みんなで意味も分からず「アンポハンタイアンポハンタ」と小学校の校庭を走り回っていました。
私はかなり長い間アンポとはおいしいあんこの饅頭だと思っていました。
当時は滝野川に住んでいて学生たちが袋小路の我が家までやってきて角材とヘルメットを屋根の上に投げ捨てて逃げていきました。
ぼんやりした記憶の断片をつなぎ合わせてくれた本書でした。
巻末の補注は多くを当時の仲間への弔辞が占めます。
スタンドバイミーのようなアメリカングラフティーのような構成です。
(著者に怒られるかな)
以前読んだ「磁力と重力の発見」の著者と同じであることを途中から気がつきました。(笑)
自分の60年代の学生闘争の頃は、もっと平和な地域だったので何もなかったです
ただ、先生が学生運動に気をつけるようにといってビラを受け取りしないようにと言った事だけは覚えてます
何の事かもわからなかったですが(笑)
お身体まだ大変そうですね
早く良くなるといいですね
momohiroさん
コメントありがとうござます。
週末の金土は会社をさぼって北アルプスのはじっこの山を歩いてきます。
今どきは日帰りの人が多いようですが、先輩夫妻と小屋泊まりです。
天気が芳しくなく酷い天気なら先輩夫妻はやめようといいますが
安曇野まで行って何もしないで帰ってくるのは避けたいところです。
この山を歩ければ、次のステップです。(笑)
私は、1970年代の学生運動の世代でした。大学では、運動も既に退廃しせいぜい「学費値上げ反対」とかをアジっていました。そんな中、沖縄奪還反対の集会に日比谷まで出かけてデモに参加しました。デモが日比谷公園を出るとき中核か革マルのメットを渡されそうになりましが受け取りませんでした。機動隊の規制は想像を超えるものでした。隊列から1人でも引きずりだすため両端から盾を足に叩き付けてくるのです。難を逃れて神田で散会したことを思い出します。
gijinさん
コメントありがとうござます。
なるほどセクト拡大でヘルメットの配布という手があったのですね。
私が高校に入った初日に社研部の人が各教室を回って勧誘をやっていました。
その先輩はなぜか山岳部の夏の合宿に特別参加していました。
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