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お父さんに県立高校に入れないなら東京に行けと言われた俊介。
働かない俊介。
新井薬師前の何もないアパート。
ゴミ捨て場から拾ったラジオを質屋に売ってそのお金でパンの耳を買ってきてソースをかけて暮らしていた俊介。
テントキーパーくらい務まるだろうと涸沢まで連れて行った俊介。
横尾の岩小屋で1キロの塩に漬けてきた肉でカレーを作ったらしょっぱくて誰も食べれなかったのに一人鍋を抱えて完食した俊介。
今思えば塩漬けなのに塩がどこにも残っていなかったのは肉が全て塩を吸収していたからなのですね。
56のコルのてっぺんから亀の子になって滑落してきた俊介。
ある日「テレビの高圧電流部に触れたけど死ねなかった。」と言って帰省した俊介。
貴重な青春時代を精神病院で過ごした俊介。
退院後地元のスーパーでパートとして40年間働いた俊介。
漫画家になる夢を見て過ごした東京。
存在理由を求めて漫画を買いあさる俊介。
膵臓癌になり2年の闘病の末におなかをスイカのように膨らませて死んだ俊介。
ガロ全巻、COM全巻、手塚治虫のすべて、一万冊のマンガ残して死んだ俊介。
死ぬ一週間前に福光の実家で一人暮らしをする俊介を見舞いに行った際、「俊介、漫画本どうするんだよ。」と言うと「全部あげるよ。」と言った俊介。
あれほど大事にしていた漫画本に固執しなくなった俊介は、生きることにも固執しなくなったのか、6月上旬に余命3か月と言われたようだが、もたないなと思いました。
見舞いのあと毎日電話を掛けたが手の届くところに電話があるのに出てくれなかった。
27日に電話をかけると「現在この電話は使われておりません。」と。
川崎に住む妹さんに電話をかけると「6月25日に容態が急変して亡くなった。」とのこと。
私の中ではいつまでも19歳の俊介。
65歳まで生きたけれど彼は幸せだったのかな。
写真は昨年抗癌剤治療中に我が家に遊びに来た際プレゼントされた俊介の絵
二輪目の睡蓮
2022年4月21日の俊介。
お悔やみ申し上げます
ご冥福をお祈りいたします
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