今日は久々に宮本常一を読みました。
いずれは未来社から出ている宮も常一著作集を全巻読んでみたのですが、気力と経済が許しません。
もともと民俗学には展望はないと思いますが、宮本常一は学問としては完全に欄外のようです。
今回は先に読んだ「風の王国」の口直しに読みました。
かつて山を移動しながら生きた人々が日本にもいた記録を
再確認するために読みました。
水田を持ち、川を遡上した人々と、
峰を越えて焼畑と狩猟で降りてきた人々の違いが綴られています。
数年前のゴールデンウィークに三伏峠から光岳に向かおうとしたのですが、
なんと樹林帯で滑落。!
今までは大体においてバカをやっていてやっぱり落ちちゃったという感じでしたが、この時は真面目に歩いていたのに滑落してしまいました。
樹林帯で。
とてもショックでした。
話を戻して。
敗退してタクシーで伊那谷へ降りる際、緩やかな尾根に集落を見ました。
屈折した路に決して同じ高さに軒を連ねない家々。
その尾根だけに西日が射し、前後の尾根は灰色に沈み込み、
そこは下界から孤絶した佇まいでした。
これが下栗でした。
下栗の人々はかつて大井川から茶臼岳を越えて、
食料となる栗の木が多く生える尾根の緩やかな斜面に定着したそうです。
いま脚光を浴びる下栗の里を宮本常一が知ったらどう思うでしょうか。
こんにちは。15年ほど前にテカリ岳の帰りにやはり下栗を通った時、とても驚きました。いまは脚光を浴びているのですね。ただ下栗と云えど世代代わりはして行くでしょうし。
大井川から越えて来ての集落だったのですか。「山に生きる人々」いま机の上に積んである所です。つぎ、読んでみたいとおもいます。
ことしの3月にやはり南アルプスの甲州側で小規模な下栗のような村落、茂倉に山越えしました。とても良い山旅ができまして、いつか下栗も大井川から山越えして行きたいなあなどとと考えています。
http://www.yamareco.com/modules/diary/826-detail-96278
「なんでこんな山奥に人が住んでいるのだろう。」
私も山を歩いていて民家を見かけると同じように思います。
奥多摩などではモノレールが敷設され、驚くほど奥地に人家があります。
しかし40年の経過とともに人家が廃屋になってきています。
残るのは江戸時代に建立された墓石だけです。
山奥に集落を見かけると行政の支配を受けずに暮らしているのではと
想像してしまいます。
しかし話してみると私の地元や東京に妙に詳しい。
地下鉄工事が盛んな時代に出稼ぎに来ていた人でした。
山を駆ける人は今は見られないでしょうが、興味をそそる世界です。
これから時々サイトを覗かせていただきます。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する