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今般のコロナ騒動、当初からあった夏開催の問題等々、いっそ中止の英断でもよかったんじゃないかと思ったりします。1940年開催が中止になったことも含めて、アジアの国で3度も開催地として選んでもらったんだから…もう充分かと

それはさておき、昨日に続いて「山に行かない日」のDVD映画鑑賞で『明日への遺言』を見ました。公開は2008年3月で、これも映画館で見ました。
地味

しかし、この映画も「実話」であり、名優「故・藤田まこと」氏の晩年の主演作でもあり、重厚感もあるヒューマン映画だったと思います。
監督は、黒澤明の助監督も務めた「小泉堯史」氏で『雨あがる』、『阿弥陀堂だより』などの名作を作られ、本作も15年越しの構想だったとか

【峠 最後のサムライ】公式HP
http://touge-movie.com/
昨日に書き込んだ映画「メンフィス・ベル」は爆撃する側、本作は受けた側…意図的に見たワケではなかったのですが

第十三方面軍司令官兼東海軍管区司令官だった岡田資中将は、名古屋大空襲の際に撃墜され、脱出したB29の搭乗員を、ハーグ条約違反の戦争犯罪人として略式命令により斬首処刑する。
戦後この行為に対し、「捕虜虐待」の罪でB級戦犯として1948年3月、横浜法廷で軍事裁判)を受ける。岡田は戦勝国による結論ありきの理不尽な裁判と戦い、裁判闘争を『法戦』と称し、アメリカ軍による無差別爆撃の非人道的行為の違法性を主張、一方で、捕虜処刑に関わった部下を庇い「私ひとりが一切の責任を負う」と述べ、裁判に臨む。
彼の高潔な人柄と態度は、アメリカ軍裁判長や検事の心も次第に揺り動かしていき、裁判の様相は次第に岡田に対し同情的な様相を展開していくが…。
判決は、絞首刑。法廷から退場する彼は傍聴する妻に「本望である」と告げる。
1949年9月17日、午前零時半。刑場の扉の前で「御機嫌よう…」と最後の言葉を残して旅立つ。
【明日への遺言】ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%97%A5%E3%81%B8%E3%81%AE%E9%81%BA%E8%A8%80
令和の時代には、もうこんな人はいないんでしょうかねぇ

コロナ、アベノマスク、給付金、マイナンバー、豪雨災害、Go To トラベル、延期中のオリンピック等々…誰が責任を取るのでしょうか

初めまして
昔は多くの偉人がいました。仰せのように 言い切る信念 です
ただそれが裏目に出てしまうこともあったんでしょう
おいらは幕末の製鉄所建設、小栗忠順の 土蔵つきのほうがよい、的な言葉が好きなんですが、、新政府軍により斬首
のち東郷平八郎により賞賛とのこと
コメントありがとうございます。
昔の人には「信念」を感じるようなエピソードや言葉が多いですね。
過去に恩師から聞いた話ですが、ビルマ(現ミャンマー)戦線で終戦を迎えた日本軍を代表して連合国と交渉にあたった現地軍参謀の方が、受け入れ難い内容について食下がったのち…その場で割腹自殺をされたと…。交渉相手も、妥協を考えてはいたこともあり、とても悔やんだそうです
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