コシバ沢〜棚沢ノ頭〜丹沢山〜檜洞丸〜石棚山稜☆山毛欅林を巡る山旅


- GPS
- 11:33
- 距離
- 26.9km
- 登り
- 3,048m
- 下り
- 2,798m
コースタイム
- 山行
- 6:45
- 休憩
- 0:33
- 合計
- 7:18
- 山行
- 3:59
- 休憩
- 0:14
- 合計
- 4:13
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス タクシー
|
コース状況/ 危険箇所等 |
玄倉林道はかなり荒れている。先日の台風19号の影響か その他のルートは特に問題なし |
写真
感想
金曜日に横浜への出張があったため、木曜日から休みを取得し、泊りがけで丹沢を歩く計画を考える。寄(やどろぎ)から入って鍋倉峠を越えて鍋割山の北尾根を越え、箒杉沢を渡り蛭ヶ岳に登頂し、翌日は石棚山稜を下るコース取りを考える。熊木沢出合から棚沢ノ頭に至る尾根道は玄倉林道が通行止めである限り日帰りでは歩くことの出来ないルートである。
台風19号の影響が懸念されるところではあったが、折しもほぼ毎週のように丹沢を歩かれるFT氏より、寄からコシバ沢を経て鍋割山へと至るコースを先週の土曜日に歩かれたそうで、ルートの詳細な情報を頂く。おまけに懇切丁寧に寄沢はすべての渡渉点で、写真上に渡渉のポイントまで写真上に図解を載せた写真を送って下さったので非常に心強い。
【一日目】
急速に発達する爆弾低気圧が日本海側を通過し、南西に長い尾をひく寒冷前線が日本列島に雨をもたらす。夜半に降りだした雨は朝のうちには上がる。名古屋のあたりでは新幹線の窓を雨が激しく叩いていたが、小田原ではすっかり雨も上がる。寄のバス停から登山口に向かって歩き始めると檜岳山稜の上には青空が大きく広がるのだった。
寄沢の第一渡渉点は台風による激流により渡渉点が変わってしまったようで、FT氏の情報の通り、堰堤の手前を右岸に渡渉する。渡った地点からは斜面の上の登山道に上がれないので、少し右岸を戻って木製の梯子を登る。第二渡渉点は広い河原を踏み跡を辿ると、FT氏の写真の通り川に渡された丸太棒が目に入る。
FT氏が送って下さった写真を確認しながら、その後の渡渉点も問題なく通過する。コシバ沢に入ると沢の水はほとんど枯れており、傾斜もそれほどきつくはないので歩きやすい。大きな倒木を越えたところを右岸に上がれば登山道に上がれるとの情報をFT氏から頂いていたが、紅葉に見惚れているうちに右岸に上がるポイントを見過ごして、そのまま谷を奥へと進んでしまう 。
やがて沢を奥に進むと瓦礫が切れて緩い滑滝が現れる。さほど勾配もないので左岸の岩場を直登する。振り返るとルンゼの上に被さる樹々の紅葉が綺麗である。しかし沢の奥に現れたV字のルンゼは意外と手強かった。足場は多くあるように思えるのだが、ここは大丈夫だろうと思って足をかけると大きな岩がいとも容易に剥がれ落ちては下へ転がってゆく。一人であったから良かったが後続がいたら怖いところだ。
狭隘なルンゼを越えると目の前には大きなガレ場が現れる。さすがにそろそろ山腹に上がる潮時だろう。右岸の斜面を登るとすぐに明瞭な登山道に合流する。ガレ場の上を緩やかににトラバースするとまもなく鍋割峠に辿りつくのだった。峠からは木製階段を登って鍋割山を目指す。さすがは鍋割山、あたり一帯は山毛欅の林が広がる。階段を登りきったあたりで振り返ると富士山がすっきりとその姿を見せてくれる。
山頂にたどり着くと平日とはいえ流石に鍋割山は人気だ。鍋割山荘の小屋の前のベンチでは3組ほどのパーティーが休憩しておられる。これまで鍋割山荘で鍋焼きうどんを食したことがなかったが、空いている平日ならばと思い、注文してみることにする。中に入ってみると大学生らしい若い男性二人が鍋焼きうどんが出来上がるのを待っているところであった。噂には聞いていたが、噂通りの不愛想な大将が大学生に「お代は二人まとめて、食べ終わったら食器を重ねてここにおいて」と指示(?)している。山荘から外に出てくると、富士山は短時間のうちに雲に隠れてしまっていた。
出来上がった鍋焼きうどんにはかぼちゃの天ぷら、きのこ、油揚げ、卵、ほうれん草といった具材が載っている。うどんの汁はさほど嫌味な味には思われなかったので、コシバ沢の登りで多少の汗をかいたせいだろうか、汁をレンゲですくってはついつい口に運ぶ。
食べ終わると再び富士山が雲の中から顔を出す。北尾根の下降点は鍋割峠の方に少し戻り、木製階段が始まるあたりである。FT氏の情報の通り、山毛欅の樹に記された赤いペンキを探すとすぐに見つかった。
北尾根に入ると紅葉はすでに終わってしまっているようだが、山毛欅の樹林が続く。急下降の尾根を下るにつれ、紅葉を纏う山毛欅の樹々やその間に紅く色づいた楓の樹々が現れ、林相は一気に賑やかな色彩を呈するようになる。遠方から眺める限りでは北尾根は直線的に玄倉沢に向かっているように思われるが、意外と小さな蛇行を繰りかえす。尾根上の踏み跡はあくまでも明瞭である。尾根の末端部の小さなコルにたどり着いたところで踏み跡は左右の植林地に分かれて下ってゆく。次に目指す熊木沢出合は西の方角なので、左の斜面へと下降する。
ルンゼを横切り、小さな谷の左岸を歩く。堰堤が現れるがその左岸を下るとまもなく林道にたどり着く。林道を歩き始めるとすぐに斜面が崩落し、林道が大きく抉られている。果たして今回の台風による被害かどうかはわからないが、崩落地をトラバースしてその先に進むと林道の上には随所に斜面から土砂が流入している箇所が見られる。流入した土砂の上では踏み跡が極めて薄いことからすると多くは今回の台風によるものだろうと思われる。
熊木沢の出合に至ると河原に下る。熊木沢の正面にはこれから登る蛭ヶ岳を遠くに望む。対岸に渡るコンクリートの橋は半分しかなく、梯子で橋に攀じ登る。残りの半分は流されたのだろうか。
熊木沢の左岸尾根に取り付く。最初は杉の植林の中の急登である。西側斜面の崩壊地を通過すると植林は終焉し、途端に紅葉の自然林となる。高度が上がり、広々としたなだらかな尾根になると再び尾根上には下草のほとんど見られない山毛欅の樹林が広がるようになる。
山毛欅の樹々は樹高が高く、間隔は広いこともあり、壮麗な林相の雰囲気だ。褐色のカーペットの上の踏み跡はいつしか不明瞭になるが、広々とした尾根の上を気ままに進む。しかし昼間に食べた鍋焼きうどんのせいだろうか、喉の渇きを覚えるのだった。普段はさほど水分を必要としないので、今回はペットボトル一本しか水分を用意して来なかったのだが、水を少しづつ喉に流し込む。
山毛欅の美林がどこまでも続くことを期待したが、そう上手くいくものではない。再び尾根の勾配が増し、低木帯に差し掛かると思わぬ艱難が待ち構えていた。薄い踏み跡の周囲には有棘植物が多く繁茂し、服に引っ掛かる。下手によろめいてこれらの植物を掴もうものなら大変なことになる。
少しでも通りやすいところを選んで茨の道を通り抜けるとまもなく笹原が広がるようになるといよいよ丹沢主稜、棚沢の頭に到着する。時間はまだ15時前、この時間なら丹沢山を往復することが出来るだろう。丹沢主稜の中でこの区間だけは歩いたことがないのであった。
まずは不動ノ峰へと向かう。瞬く間に左手の北斜面から雲が湧き起こり稜線に押し寄せる。南側は綺麗に晴れている変わった光景に出遭う。雲の上の私の影の周りに虹色の光輪が生じる。いわゆるブロッケン現象だ。しかし、この美しい光学現象を見せてくれた雲は不動ノ峰にたどり着く頃には瞬く間に霧散するのだった。
不動ノ峰からは丹沢山、塔ノ岳から鍋割山に至るまで、玄倉川の源流域を取り囲む丹沢東部の山々が目に入る。普段は人が多い筈のこの稜線には全く人の気配は感じられない。丈の低い笹原が続くパノラマ尾根の眺望を独占する贅沢を味わう。
丹沢山にかけて登り返すうちにあたりの斜面は黄金色を帯びてゆく。急速に陽が傾いていくようだ。丹沢山の山頂にたどり着くと最後の水を飲み干してしまう。丹沢山荘の小屋の前には蛇口があるが、蛇口を回すためのひねり口は全て外されている。どうやら水は宿泊客のためのものらしい。
不動ノ峰の北側には水場があるはずなのだが、水が涸れることがあると地図には記載してある。しかし、昨夜も雨が降ったところであろうから水が流れていることを期待して谷の源頭部を目指して下降してみると、すぐに微かな沢音を耳にする。これで人安心である。源頭の細い水流をペットボトルに汲むとほとんど一本分の水を喉に流し込む。
不動ノ峰を後にして棚沢の頭に再び戻ると、富士山の左の肩につるべ落としのように沈んでゆく夕日を見ながらいよいよ蛭ヶ岳への稜線を辿る。鬼ヶ岩ノ頭から鞍部にかけての下りに差し掛かるとすぐに太陽は富士山の陰に隠れるのだった。
薄暮の蛭ヶ岳山頂にたどり着くと急にあたりの温度が下がっていくのを感じる。山荘の扉を開けると中は電気を落として静まり返っている。「こんばんわ」と声をかけるとしばらくして左手の管理人室から白い長髪を後ろに束ねた小屋の主人が現れた。「この時期は陽が沈むと気温の低下が如実です。あっという間に5度程、下がるでしょう。」
今晩は私以外には宿泊者はいないようだ。夕食は小屋に入った広間ではなく、右手の小さな自炊室でとることになるらしい。というのも石油ストーブで部屋を暖めるにはそちらの部屋の方がすぐに温まるからだろう。先ほど不動ノ峰で水を大量に流し込んだせいで喉の渇は解消はされたもののやはりビールが欲しいところだ。早速一缶のビールを開ける。
広間に戻ると何やら毛むくじゃらの拳ほどの生き物が部屋の隅を走り回っている。鼠である。まずは私の食料をリュックに入れてしっかりとファスナーを閉める。というのも四国の三峰の西にあるお亀岩避難小屋で夜半に鼠に齧られた経験があるからだ。それにしても蛭ヶ岳山荘の鼠は丸々と太っており、お亀岩避難小屋の鼠よりはるかに餌に恵まれているようだ。
夕食をとりながら小屋のご主人と語らいううちに夜が更けていくのだった。まずは台風19号による被害の話からである。風よりも大雨の被害が激しいらしく、玄倉林道で見たように何処でも林道への土砂の流入が激しいらしい。ご主人の車が停めてある林道は土砂により開通の目処が全く立たないらしい。焼山〜籾殻山のいわゆる丹沢主脈と呼ばれる尾根を経て蛭ヶ岳に至るルートも登山道の崩落により再開通の目処が全く立たないらしい。ここは高校時代に畦ヶ丸まで縦走した思い出のあるところで、いつか再び歩いてみたいと思っていたところだ。
しばらく前の富士山での遭難にも話は及ぶ。昨日も富士山には新たな積雪があったらしいが、今日一日のうちにみるみるうちに富士山の雪が少なくなっていったらしい。気がつくと満月が東の空の既に高いところに昇っている。南の方角から流れてきた雲がかなりの勢いで上空を通過してゆく。小屋の消灯時間は8時と張り紙がしてあるが、8時を大きく回ったところでようやく就寝した。
【二日目】
翌朝は東の空はすっかり厚い雲に覆われている。東京湾の向こうに房総半島が見えるが、小屋の大将によると今の時期はそのあたりから陽が昇るとのこと。本来は日の出の時間であり、雲の上では空が明るく輝いているが朝陽を拝める気配は全く感じられない。
檜洞丸にかけて、左右に大きく蛇行する丹沢主稜を見ながら蛭ヶ岳の尾根を下り始める。山と高原地図に記されているように臼ヶ岳が近づくとそれまでの見晴らしの良い笹原の登山道は山毛欅の回廊に変わる。
分岐から南に下り臼ヶ岳の山頂を探すも、山頂と思しきあたりには山名標は見当たらず、受講の高い山毛欅の林が広がっているばかりだった。彼方からヤッホーと声が聞こえる。
臼ヶ岳を通過すると稜線の北側の谷はいつの間にか雲海が広がっている。稜線を辿るとすぐにも濃い霧の中へと入ってゆく。神ノ谷乗越に下ると鍋割山荘以来、初めて人と出遭う。昨晩は青ヶ岳山荘に泊まられたらしいが、管理人はおられず無人小屋状態だったらしい。勿論、電話で予約をした上での宿泊だったらしいが。
振り返ると霧の中からおぼろげに朝日が差しこむ。霧の上は青空が広がっているのはわかるのだが、目の前の霧はなかなか晴れない。とはいえ霧の中に佇む山毛欅の樹々はそれはそれで幻想的で良いのだが。再び雲海の上に出て眺望が得られたのは檜洞丸の山頂も近づいたところであった。振り返ると雲海の彼方に蛭ヶ岳が浮かび上がっている。
雲海はあれよあれよという間に霧散してゆくのだった。雲海を見慣れている者には当たり前のことかもしれないが、その発生もさることながら消退の速度にも驚くばかりであった。
蛭ヶ岳からは昨日辿った尾根を視線で辿ると、その南には朝陽を反射して銀盤のように輝く相模湾が目に入る。最後にこの檜洞丸を訪れたのは一年半ほど前の四月、大学時代の友人と共にたどり着いた山頂の光景はガスの中であた。檜洞丸の山頂の景色はこんなに良かったのかと再認識する。しかし、富士山は相変わらず山裾に至るまで今日は雲の中だ。
檜洞丸の山頂を後にすると石棚山稜を下る。テシロノ頭の登りに差し掛かると再び山毛欅の美林が広がるようになる。石棚山にかけては緩い下りが続くが、樹高の高い山毛欅の樹による壮麗な林が広がる。昨日に辿った弁当沢の頭のあたりの山毛欅の樹林も素晴らしかったが、この石棚山稜の尾根の山毛欅林も引けを取らない。山毛欅林の林床に広がる草紅葉のベージュ色があたりの林相に柔らかな印象を与える。
ヤブ沢の頭から石棚山を振り返るとなだらかに思われた尾根が背後に高くそびえ立つ。尾根を下るにつれて紅葉が賑やかになる。板小屋沢ノ頭から右手の斜面を急下降し板小屋沢に降り立つ。釜や縁の青碧色が印象的な沢を眺めながら沢沿に歩くと箒沢公園橋にたどり着く。
下山すると晴れ間が広がるというのはよくあることだが、新松田の駅に向かうと朝には広がっていた雲もいつの間にかなくなり青空が広がっている。富士山のあたりを振り返ると先程まで山裾まで広がっていた雲も消退し、山頂まですっきりと姿を見せているのだった。鍋割山北尾根、熊木沢左岸尾根、石棚山稜と紅葉と同時に山毛欅の美林を堪能した山旅であった。
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