≪記憶を辿る過去レコ第3弾≫1982年上高地〜西穂高岳〜焼岳〜上高地*2020年4月22日記*
- GPS
- 56:00
- 距離
- 27.4km
- 登り
- 2,177m
- 下り
- 2,168m
コースタイム
8月30日:西穂山荘→焼岳・上高地分岐→新中尾峠→焼岳→焼岳小屋→田代橋→(上高地散策)→上高地駐車場
天候 | ☁(写真から推測すると連日共) |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
高速を降りR20で山梨県内を抜け茅野、諏訪と進みます。 バイパスなどなく諏訪の街中を走り岡谷から塩嶺峠へ。 塩尻からはR20を離れ、裏道で波田付近でR158合流。 そして上高地へ。 これが定番のルートでありました。 ナビなど無い時代、地図を見ながらでありますが、まあ失敗も数々(笑) 懐かしい思い出です。 今回の登山では上高地駐車場を利用してます。(たぶん) 何度か上高地を訪れているので記憶違いかも知れませんが、上高地まで車利用だっと思います。今のように通年マイカー規制がなく夏季規制が解かれた後はマイカー可能の時代でありました。 また当時はいわゆる旧釜トンネルを通行します。 信号機による交互通行、岩剥き出しの素掘りトンネル、そして極め付きは急こう配(上高地に向かって)。 唸りを上げて排ガスを噴出するバスの後ろをついていきます。 帰りは必ず渋滞発生します(午後から) 渋滞回避で上高地で時間を潰してから帰路についたような思い出があります。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
一般登山道を歩きました。以下その時のルート状況と感想です。 ≪上高地登山口〜西穂山荘≫ 中盤以降は急登ですが木段などあり歩きやすく覚悟した割にはすんなり歩けたような気がします。 ≪西穂山荘〜西穂高岳〜西穂山荘≫ 西穂独標以降は岩場連続。それ以降はピークの連続。 思った以上に体力消耗。帰りの下りも緊張の連続で疲れました。 当時ヘルメットは使用しませんでしたがず今思うと随分危険なことをしたなぁ〜。ヘルメット必須です。 ≪西穂山荘〜新中尾峠〜焼岳〜上高地≫ 西穂山荘から焼岳ルート。アップダウンを繰り返しいくつかのピークを越えます。途中巻き道もあったかな?(忘れたました) 焼岳、雲多く残念ながら展望無しでした。 焼岳小屋で山バッジ買いました(今も手元にあります) 焼岳小屋からは長いハシゴを下りさらに鉄ハシゴ・橋など数か所あり。 上高地に下るにつけ高原ムードの遊歩道になります。 |
その他周辺情報 | ≪立ち寄り湯≫ *安曇野みさと温泉ファインビュー室山(当時は室山温泉と呼んでいたかな) 山に限らずこちら方面に出向いた時にはよく寄ってました。 この日もたぶん寄ってたかも? 小高い山の上の温泉で安曇野・松本平が一望の温泉です。 http://www.fineview.co.jp/spa 4月21日現在コロナ感染拡大予防のため臨時休館となってるようです。 休館期間は4月16日〜6月30日 ≪その他利用したことがある立ち寄り湯≫ *上高地温泉ホテル https://www.kamikochi.or.jp/article/show/66 *坂巻温泉旅館 https://www.kamikochi.or.jp/article/show/63 *中の温泉旅館 https://www.kamikochi.or.jp/article/show/64 |
写真
感想
遡ること38年前の写真、またまた「押入れ古墳」より発掘したのでレコにしてみました(笑)
西穂高岳には2回程登りましたが、このレコは初めて登った時のレコであります。日程についてですがどうもハッキリしません。
年号はあってると思いますが、日付がどうもあやふやです。
お盆を過ぎた後は間違いないと思うのですが、、、。
”仮”で8月30日〜8月31日にしてます。あしからず。
この時は車利用で上高地に行ってます。(たぶん)
あの急勾配で狭い釜トンネルを抜けて早朝の上高地に着いてます。
上高地側の登山口より入山してまずは西穂山荘を目指して樹林帯を登りました。距離は短いものの急登は覚悟してましたが意外にあっけなく小屋に着いたような気がします。ここでしばらく休憩を取り丸山→西穂独標と進みました。
独標までは多くの人でに賑わっておりましたが、その先はぐっと減ります。ここから先は気が抜けない岩場の連続。そして鋭鋒の連続。
当時ピラミッドピークとかジャンクションピークと名前すら解りませんでしたが兎に角、前へ上へ時には下へと岩場を進み山頂に立ちました。
さて展望は?というとどうもよろしくありません。
(2回目の西穂高岳も☂、どうもこの山と天気の相性はよくないようです)
それでも登った感ありありの達成感は今でも脳裏に焼き付いております。
山頂を後に来た道を戻りますが、ガスが立ち込め高度感は感じず。
西穂山荘、数年後に焼失し建て替えられてますが古い時代の小屋に泊ったようです。繁忙期を過ぎそれほどの混み具合ではなかった気がします。
翌日、5時には小屋を出て焼岳への縦走を開始。
焼岳小屋まで3時間ぐらいの行程だっと思います。
そこから北峰まで1時間位で山頂へ。
残念ながら雲に覆われ絶景は拝めずでした。
以降リベンジ登山を狙うものの今だ果たせずです。
その後焼岳小屋へ戻り上高地へ下山。渋滞回避でぶらぶら歩いてます。
この1年前、上高地を訪れた時釜トンネルの渋滞に嵌ったための回避策でありました。
写真を元に遠い記憶を思い出しながら書いております。
記憶違い等多々あると思われますがご了承ください。
【1982年(昭和57年)主な出来事・流行】
・ホテルニュージャパン火災
・日航機羽田沖墜落(逆噴射)
・東北・上越新幹線開業
・500円硬貨
・ソニーCDプレイヤー発売
・テレホンカード開始
・「笑っていいとも」開始
・積木くずし(穂積隆信)、悪魔の飽食(森村誠一)
・窓ぎわのトットちゃん(黒柳徹子)
・中森明菜・小泉今日子
・待つわ(あみん)・セーラー服と機関銃(薬師丸ひろ子)
・悪女(中島みゆき)・チャコの海岸物語(サザン)
・E.T. などなど。
【このレコを書いた4月22日のキーワード】
・緊急事態宣言
・接触8割減
・3密を避ける行動
・一人10万円支給
・医療崩壊
・アベノマスク
・stay-home などなど当然ながらコロナ一色です。
【2020年4月22日記】
teru-3さん、こんばんわ。押し入れ古墳の発掘作業、ご苦労さまです。リアルなお片付けといい、今年の大型連休は有意義に使えそうですね。38年前、たしかに生まれておりました。女子の服装に時代を感じますね。男子の山服も、今よりアウトドアっぽくなかった感じがします。そもそも、アウトドアブランドなんてなかったのかな。ゴアテックスが出たてで、ダグロンとかの速乾性シャツなんてなかった時代のような気もします。なんだか懐かしいですねぇ・・・^^
yamaonseさん、こんばんは!
38年前、もう考古学の世界です
年号はあってると思うのですが、日付、コースなど推定です。
断片的な記憶を繋ぎ合わせてるのでどうも曖昧。レコ作成に時間ばかりかかってます。辛いコロナですが時間はたっぷりあるのでボチボチやってます。
それと山以外の写真もデジタル化なんかしてます。
これはこれで楽しいです
当時のアウトドアブランドですか〜
ザックと靴は外国の老舗ブランドが多かったですが、ウェアとなると無かったような?ゴアテックス物は高価で手が出なかったですねぇ。
着古したシャツやGパンの裾をたくし上げたり、そんなスタイルでした。
そうそう、この時代は近くにショップは無くニッピンとかICI石井とか休日の楽しみでもありましたね
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